◎初笑・日本版ドッグレース実況中継
坂口安吾『安吾人生案内』(春歩堂、一九五五)から、「衆生開眼」という一編を紹介している。ここでは、まず、辻二郎の「ドッグレースの話」という文章がされる(昨日のコラム参照)。続いて、この問題に対する安吾の論評に移る。
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世の中には色とりどりの愉しいこと面白いことがあつた方がよろしいな。ドッグレースなどというものも、あつて悪かろう筈は一ツもないね。しかし、運動会の余興かなんかにやるのはよろしかろうが、まず当分は犬券などの発売は見込みがなさそうだ。八百長以上の大騒動になるのはウケアイ。なぜなら、ドッグレースに向く犬が、日本には少いのだから、仕方がない。
まア、シェパードは訓練次第でレースに用いられるかも知れんが、全然ダメなのは日本犬である。日本人は外国のことを知らずに一人ぎめの国粋主義者が多いから、日本犬というものを大そう買いかぶつているけれども、日本犬というものぐらい手に負えないバカ犬はないのである。
一生一人の主人にしかつかない、二主に仕えず〈ツカエズ〉、という、なるほど日本のサムライの賞讃を博するに適した犬であるけれども、日本人はバカでも忠義なのが何よりだと考えて、バカということを問題にしていないから、共同の作業をやらせると大変なことになつてしまう。
主人だけに仕えるということは、主人の命令でないと動かん、主人が居ないと一人前、イヤ、一犬前には立居振舞いができんということで、主人と合せてようやく一犬前、主人が居て命令し、犬はその顔色をよんでから動きだすことになる。けれども、犬の競走だもの、主人が犬と一しよに走るわけにはいかんし、さすれば大は途中で主人と離れるから、どうしてよいか途方にくれてウロウロと主人を探しはじめるし、一犬ウロウロして万犬ウロウロし、ウロウロ犬同志で喧嘩がはじまる。横丁の勝手口とちがつて喧嘩をやるには申し分のないフィールドがあつてワンワン、ウーウーやりだせば先頭に立つてまちがわずに走つていた二匹三匹の感心な犬も、サテハ敵ニ計ラレタリ、我オロカニモ先頭ニ走ッテオクレヲトリシカ、一大事、とコウべをめぐらして、競走の方を忘れてフヰールドの喧嘩の一団にフンゼンなぐりこみをかけるに極つたものなのである。
一番たしかなのは犬と一しよに主人も走れば犬も心配せずに、またも喧嘩も起らずに無事トラックを一周することはいくらか確実であろう。けれども、犬と犬のオヤジと一しよに走ると、これは犬の競走ではなくて、オヤジの競走である。犬よりも早いオヤジがいる筈がないもの、犬券を買うお客は、犬の走力ではなくてオヤジの脚力を調べなければならんな。しかしオヤジの脚力だけ調べたつてダメだね。魚屋のアニイが愛犬と一しよに先頭をきると、八百屋のハゲ頭の愛犬がハゲ頭の心臓マヒを心配したわけではないが、とにかくハゲ頭の一大事であるというので、魚のアニイのスネに食いいつてしまう。それから後は人間と犬が一かたまりに、どういう目的不明の大闘争が展開するか、お分りであろう。最初に噛みついた組と、噛まれた組の人間と犬には各自の闘争の原因や理由が分つているかも知れんが、それを発端として各人の愛犬が各犬コモゴモ逆上熱戦を展開の後は、どの犬とどの人間にとつても自分の闘争の目的も理由も全然不明である。とにかく犬人ともに現に必死に相闘いつつあるから相手は敵であり、そのために必死に闘わねば相ならん。その時さすがにデンスケ君はソッと陰に隠すようにしながら喧嘩の一団をはなれてトラックへあがると、ゴールめがけて抜け駈けをやる。と、デンスケ君よりも頭のよい山際さんがオーミステイクと云つて先に走っているから、デンスケ君は死に物ぐるいに追走してゴールインとともに山際さんにムシャブリついて小僧同志の大乱闘とある。犬の先手をうつような闘争的な小僧さんなども現れるな。しかし、ここまではレースを行う選手の側の話である。
以上のレース経過をたどつて、山際さんの犬とデンスケの犬で連勝一二着と相なつたが、本命の魚屋と対抗の八百屋と、その他の入賞候補の注意犬がみんなダシぬかれて負けてしまし、一番名もない駄犬が一二着。見物人はオーミステイクと云つて済ますことができんというので、方々に火をつけて大変な騒ぎになる。【以下、略】
読んで、思わず笑ってしまった。新年初笑いである。文章は、このあとも長々と続くが、要するに安吾が言おうとしたのは、ドッグレース自体は悪くないが、日本には、ドッグレースに向いているイヌがいないということである。是非について言えば「是」、可否について言えば「否」ということであろう。
ウィキペディア「畜犬競技法案」によれば、同法案は、一九五一年(昭和二六)五月二一日、衆議院本会議で可決されたが、参議院で可決できず廃案となったという。もしこのとき、「畜犬競技法」が成立していれば、競犬(ケイケン)、犬券(ケンケン)といった言葉が、日本語に加わることになったはずである。