◎1962年5月、白木屋で「史上最大の祭典」
『日本古書通信』通巻504号(一九七一年七月一五日)から、太田臨一郎のエッセイ「古書展覚え書(下)」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。昨日、紹介した部分のあと、改行して次のように続く。
昭和二十六年〔一九五一〕十二月二十五日大阪版に、二十七日東京版に朝日新聞は「古本屋には最悪の年」と題して業界の現状を伝えた。当時、戦前に比べて東京は七十店減少して八百五十店だったし、戦災を蒙らなかつた京都でも五十店減じた二百七十店であつた。しかし、二十五年〔一九五〇〕六月には「無慮三万点の古書陳列」と号した綜合古書展が松坂屋で行われたほか、銀座書友会が伊東屋で、東京古典会は白木屋で、前記のぐろりや、東京書友会と趣味展は古書会館で、という具合に開かれていた。荻窪の古物会館を会場とした中央線古書会が第一回を開いたのも二十五年〔一九五〇〕十一月ではなかったか。
これが三十年〔一九五〇〕には、和洋会、趣味展、ぐろりや、書友会、新興古書会、愛書会、古典会、洋書会、資料会、荻窪展、上野松坂屋古書展、城南古書展などがあつた。もつとも年一回のもあり、隔月のもあつた。城南古書展は二十五年〔一九五〇〕三月、第一回を三軒茶屋の世田谷古物会館でやり、翌年宮益坂の喫茶店サザエさんに移つた。明治物など出ることもあり、狭い割に面白い会だつたと覚えているが、現在は古書会館と五反田で開催している。
大阪では二十六年〔一九五一〕、阪急七階での彙文堂、文求堂、山本書店と東西連合の「中国古書籍即売展」のごとき異色ある会もあつたが、比較のため三十年度〔一九五五〕の会を挙げるとセコハン街と愛称された地下に古書部のあつた松坂屋の古書即売会のほか、阪急古書大会、京阪神有名老舗古書大廉売会、オール大阪古書大会、同じく十合の良書と名著の古典籍展示即売会、三越古書即売会などがあつた。
昭和二十六年一月、東京の一流古書店が、文車の会を組織して、毎月一回、書誌学や、経営の研究を発表していたが、その文車の会が三十七年〔一九六二〕五月に行つた白木屋古書大即売展は「史上最大の祭典」と謡つただけに稀覯〈キコウ〉の和書が多く、目録も口絵入りのB5判で、以後の大古書展の模範となつた。これに対して庶民的な企てで成功したのは三十七年十一月読書週間に呼応した青空市であつた。神保町〔交差点〕角の現在信山会館が建つている岩波書店所有地を使用させて貰つて一店一台割当の五十台、看板通りの野天会場。新聞や、ラジオでも伝えられたので、それまで古書展の存在を知らなかつた人達まで吸引して成功を収めたので、以来、毎年の恒例となり、近頃は錦華公園を会場としている。
設備で目を見張らせられたのは三十九年〔一九六四〕十一月、古書会館で開かれた東京古典会の絵巻物、絵入本絵本即売会で、場内に幔幕〈マンマク〉をめぐらし、床に赤い絨毯を敷き、低い台に平に本を置くという趣向。目録もA5判で図版五十頁、目録三十二頁総アートの豪華なものであつた。A4判のぼう大な目録は四十一年東京古典会の西武古書大即売展が最初であろう。爾来、明洽古典会、東京古典会、三都古典連合会の入札目録や、弘文荘の古典籍逸品稀書展示即売会の目録など、同じくA4判総アー卜紙の見事なものを配布してくれた。実はこの種の目録を重ねておいた押入の一角は床板が折れて、大工さんから「本も大事でしようが、家も大事にしなさい」と忠告される始末。もとより、これは貧寒な陋屋が悪いので、わが文運の為めには賀すべきことには相違ない。
一方、古書会館での例会の他に南部古書会館で五反田古書展があり、下町書友会の浅草古書即売展があり、吉祥寺で武蔵野古書会も開かれる。荻窪古書展は杉並古書即売会と改名し、高円寺の中央線古書展も毎月開かれる。三十一年〔一九五六〕以来、年二回開いている神奈川古書会館のハマ展は横須賀の本屋さんも入っているせいか、日露戦争当時の軍事書や、県下の郷土誌がよく出る。東京にいると、延べ日数にして毎月古書展のない日の方が少ない。まことにめでたい限りだが、「良い本を廉く届ける」という昔からの古本屋さんの持つ矜持〈キョウジ〉は保持しつづけてもらいたいものである。文化の配給業者なのだから。
文中に、「この種の目録を重ねておいた押入の一角は床板が折れて」という一節がある。筆者の太田臨一郎は、大正末期以降の「古書展」関係資料を大量に蒐集保存していた。それに依拠しながら、この文章を書いているわけである。その太田にしても、荻窪の古物会館を会場とした「中央線古書会」(ママ)が最初に開かれた年は特定できていない。
また、本日、引用した部分によると、このエッセイが書かれた一九七一年(昭和四六)七月現在、中央線沿線では、吉祥寺で武蔵野古書会、荻窪で杉並古書即売会、高円寺で中央線古書展が、「毎月」開かれていたらしい。しかし、このあたりの事実関係も、まだ十分に把握していない。博雅のご教示をたまわれば幸いである。