◎日本がこのまま亡ぶことを望まない(繆斌)
先月の一一日から一三日にかけて、三文字正平〈サンモンジ・ショウヘイ〉の「葬られた繆斌工作」という論文(一九五二)を紹介した。その際、いわゆる繆斌工作については、まだ歴史的評価が定まっていない、この工作については、まだまだ研究の余地がある、という印象を強く抱いた。
その後、たまたま東久邇宮稔彦著『私の記録』(東方書房、一九四七年四月)を手に取ったところ、繆斌工作に関する記述があった。東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこおう)が、当時、繆斌工作に、かなり深く関わっていた事実は、緒方竹虎の証言で明らかであるが(当ブログ、2017・4・6のコラム参照)、東久邇宮自身の証言を読むのは、これが初めてであった。
本日は、同書から、「布衣の使」の章を紹介してみたい。
布 衣 の 使
昭和二十年〔一九四五〕三月十六日、南京政府の考試院次長繆斌〈ミョウ・ヒン〉氏が、小磯〔国昭〕総理の非公式招請によつて東京に来た時、彼はその即夜〈ソクヤ〉人を以てだれにも会わない前に私に会いたいと通じて来た。それで翌日、麻布の家に来てもらつて会つた。
【一行アキ】
繆斌氏が、話を切り出そうとするから――私は
――ちよつと待つて下さい。三つのことを最初に聞いておきたい。
といつた。
繆氏――
――どういうことですか?
――第一に、重慶〔蒋介石政府〕では、日本の天皇を認めるか、どうか?
――認めます。
――第二に、何故に日本と和平するのか?
(当時、フィリッピンにおいて米軍は圧倒的優勢を示し、率直にいつて戦争は殆ど絶望的であつた)
――中国は、日本がこのまゝ亡び去ることを決して望んではいない……中国の自衛のためにも、日本の存在を必要とする。
日本は亡びる前に米国と和解してもらいたい。日本は中国の防波堤であり、いま和平が出来れば、ソ連の進出を未然に防ぐことも出来る……
――小磯総理の招請で来たのに、何故に最初に私に会うことを欲したか?
――日本では、誰も信用出来ない。頼りになるのは、たゞ天皇御一人〈ゴイチニン〉だけである。しかし直接お会い出来ないから、殿下によつて雑音なしに自分の考えを取りついでもらいたいと考えた。
――天皇を認めることについては、わかつた。しかし、重慶の中にも、天皇抹殺論があるではないか。
――今日では、変つているはずである。
――日本を防波堤といふ考えもよくわかつた。もともと日華ば共存共栄であるべきばずで、日華の和平はもとより望むところであるが、私の願いは、日華和平から日米和平、さらに世界和平にまで発展させることである。蒋主席が音頭をとつて、世界和平を提唱してはどうか?
【一行アキ】
繆氏は、非常に感動して
――今日のお話を、直接、今すぐにでも、蒋主席に打電したい。無電機を東京に携行することを、日本側が禁じたことが残念である。
そこで、私は
――同じ東洋人として、蒋主席が、世界の傑人となることを、われわれ日本人は心から望んでいる。
東洋の蒋介石から世界の蒋介石になつてほしい――と、蒋主席に伝えてもらいたい・
【一行アキ】
繆氏は、非常に喜んでいた。
繆斌氏には、最初会うまでは、実は、相当に警戒もしていたのだが、会つて見ると、術策をろうするといつた謀略型の人ではなく――率直に胸襟をひらいて話し合えると思つた。【以下、次回】
タイトルは「布衣の使」となっている。この読みは難しい。「布衣」は無位無官の意で、読みは「ほい」または「ふい」。次回、引用する箇所には、【ほい】というルビがある。「使」は、「し」とも「つかい」とも読める。ここでは、仮に、「ほいのつかい」と読んでおこう。