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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

外務省「終戦経緯報告書」(1945年9月)

2016-09-23 02:03:49 | コラムと名言

◎外務省「終戦経緯報告書」(1945年9月)

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「松岡・廣田は起たず」の節の後半を紹介する(一六~一七ページ)。

 そこで次の手段として、六月初旬の廣田・マリツク強羅〈ゴウラ〉会談の運びとなるのであるが、その次第は後述するとして、こゝで序で〈ツイデ〉であるから、去る九月の第八十八臨時議会〔一九四五年九月四日~九月五日〕に外務省から提出された「終戦経緯報告書」中からこの間の経緯に関する部分を摘記しておく。
 帝国政府は東亜の静謐〈セイヒツ〉を保持し、戦争の拡大を阻止し、延て〈ヒイテ〉世界平和の確立に貢献せんことを祈念し、本年四月以来不安となり来れる〈キタレル〉蘇連邦〈ソレンポウ〉との中立関係を改善し、一層鞏固〈キョウコ〉なる善隣関係を樹立する目的をもつて、六月以来同国政府に対し友好親善条約締結等に関する交渉を開始し、更に七月に至り速かに戦争を終結せしめて人類を戦争の惨禍より救はんとの大御心に従ひ、帝国と交戦国との間に公正なる平和を樹立する為、蘇連邦政府に斡旋を依頼すると共に、日蘇間に恒久的親善関係を確立する目的を以て、 同政府に対し近衛公爵を特使として派遣する意向を通達せり。
 然るに同国政府に於ては未だ右に対する明確なる見解を表示するに至らずしてその首脳者は「ポツダム」会談に赴きたり。
 以上の文章中、最初の数行に該当する部分が具体的にはいかなる事実を意味してゐたかは既に説明したところである。次に文中いはゆる「六月以来同国政府に対し云々」とある件以下の簡単な報告が、実際上の外交的動きとしてはいかなる経過を辿つた〈タドッタ〉かを、順を逐うて〈オウテ〉記述する。

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