礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

六人以外にはその決定内容は一切極秘

2016-09-19 11:27:30 | コラムと名言

◎六人以外にはその決定内容は一切極秘

 一六日からの続きである。「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「鈴木内閣の対ソ三政策決定」の節の、一六日に紹介した部分に続く部分を紹介する(一一~一二ページ)。

 四月の末から五月の初めにかけて、ドイツは徹底的破壊と名状すべからざる混乱との中で、完全に壊滅し去つた。
 日本は――事実上はとうの昔からさうであつたのだが――いまや真に単独で全世界を敵として孤軍奮闘せざるを得ない立埸に立つた。加ふるに、日本が望みの綱と恃んだソ連の対日中立態度の持続も四月のモロトフ外相による中立条約廃棄声明によつて、いまは全く絶望と見るほかはなくなつて来てゐたのである。一方国内的にはますますその頻度と強度とを付加し来つた〈キタッタ〉敵のわが本土空襲は、さらでだに殆ど絶望状態に追ひつめられてゐたわが戦力のあらゆる部面に亘つて、最後のとどめにも等しい痛撃を連日連夜加へつつあつた。
 かうした事情のもとにあつて、鈴木〔貫太郎〕内閣は五月十一、十二、十三日の三日に亘り、連日「最高戦争指導会議」を開いて、この難局に対処すべき最高の根本政策の議定に当つたのであつたが、この時の会議は真の秘密会議で、その構成メンバーである鈴木首相、東郷〔茂徳〕外相、阿南〔惟機〕陸相、米内〔光政〕海相、梅津〔美治郎〕参謀総長、豊田〔副武〕軍令部総長の六人以外にはその決定内容は一切極秘とされることが固く約来されたのであつた。従つて、その詳細については今日なほ知るべくもないが、この重大会議で決定されたのは大要次のやうな三段構への対ソ政策であつた。【以下、次回】

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コメント (3)
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