礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

寺子屋では師匠の言行を見習う

2014-05-25 04:10:07 | 日記

◎寺子屋では師匠の言行を見習う

 昨日の続きである。清水文弥『郷土史話』(邦光堂、一九二七)の「民俗」の「三、村の遊戯と娯楽」の中の「二、寺小屋教育の話」を紹介する。「寺小屋」は原文のまま。
 この文章を読んで、寺子屋のイメージが変わった。もちろん、すべての寺子屋がそうだったとは言えないだろうが、少なくとも、清水文弥が通った「寺小屋」は、いわゆる「読み書き算盤」を教えるところというよりは、礼儀作法を教えるところだったようだ。

 二、寺小屋教育の話
 昔の寺小屋は男女共学であつたが、女は特志の者の外〈ホカ〉殆んど学ぶものがなかつた而して、男女何れも九歳にして初めて寺小屋に通ふたのである。
初めて子供を寺小屋に入るゝに当りては、先づ酒一升、こわめし二重〈フタカサネ〉、煮〆一重〈ヒトカサネ〉を、生徒の方から師匠に贈るのが慣習であつた。今日で云ふならば、これが束修〈ソクシュウ〉といふ訳である。
 さて入門に際しては、師匠から酒盃〈サカヅキ〉をいたゞいて子弟の関係を結んだものであるが、一度子弟の縁を結んだ上は、たとへ教はつても、互に生きてゐる間は師匠様であり、其縁は切つても切れなかつたものとされてゐた。
 昔の寺小屋は主として手習ひを教へられたもので、それ故門弟の事を一名筆子〈フデコ〉ともいふた。筆子が入門に際し師匠の家に持参する道具は、机、文庫などで、授業時間は別に定まつてゐなかつた。筆子に対しては学問を教へるといふ事よりも寧ろ師匠の日常の言行〈ゲンコウ〉を見習はせるといふ事が其教育法の一つであつたのである。
 先づいろは四十八字から片仮名四十八字を教はり、其間間〈アイダアイダ〉には御飯を粗末にするな。御飯をこぼしてそれを踏むと眼が潰れる。御飯を喰べ過ぎると健康をそこねるといふやうに、極く卑近な所から教へて行つたものである。
 この御飯を粗末にするなといふ事は、寺小屋教育の大本〈タイホン〉であつて、九歳にして始めて通ふ時から青年時代に至るまで、繰り返へし繰り返へし教へられるゝ重要な条項であつた。そして常識の涵養を旨とし、空論をさけしむることが、其教育方針の主眼であつた。であるから本を読み字を習ふといふ事よりも、きこり、木の子(椎茸とり)、魚〈サカナ〉取り、庭の草取り等〈ナド〉が仕事の大部分であつたのである。
 十日位の間に一字も教はらぬ事もあり、一ケ月の間に二日位教はる事もある。そして常に師匠の行ひを見て居ればよかつたのである。【以下は、次回】

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