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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岩波茂雄は、なぜ編集部に相談しなかったのか

2014-05-13 07:05:37 | 日記

◎岩波茂雄は、なぜ編集部に相談しなかったのか

 昨日のコラムで、戦前の岩波新書(旧赤版)に付されていた刊行の辞「岩波新書を刊行するに際して」(一九三八年一〇月)を紹介した。
 吉野源三郎の回想するところによれば、これは、店主の岩波茂雄が、「ひそかに独りで執筆」したもので、「全く編集部の目を通さず印刷に回した」ものだったという(「赤版時代―編集者の思い出―」一九六三、一昨日のコラム参照)。
 吉野ら編集部員の感想は、「この宣言には少々困りました」というものだったという。なぜ困ったのか。吉野の回想文を読むと、その困った理由は、宣言のなかに、「現下政党は健在なりや、官僚は独善の傾きなきか、財界は奉公の精神に欠くるところなきか、また頼みとする武人に高邁なる卓見と一糸乱れざる統制ありや」など、右翼を刺激する言葉が含まれていることにあったかのようである。しかし、実際はどうだったのか。
 一方で吉野は、「私たちとしては、威勢のいい宣言などは避けて、内容において必要なことをやろうと考えていました」とも述べている。つまり、吉野ら編集部員の間には、時局的発言そのものを避けようとしていたことがわかる。
 ここからは臆測がはいるが、この吉野が「威勢のいい」という言葉で表現しているのは、同宣言のうち、右翼を刺激しそうな部分を指すのではなく、むしろ、冒頭の時局迎合的な発言、「天地の義を輔相して人類に平和を与へ王道楽土を建設することは東洋精神の真髄にして、東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられたる世界的義務である」などを指しているのではないか。おそらく岩波茂雄は、宣言が、こうした時局迎合的な言葉ではじまっている以上、「なまじ編集部の意見を徴したら」、宣言の表現がチェックされるばかりでなく、宣言そのものの撤回を求められる可能性があると考えたのであろう。だからこそ、「ひそかに独りで執筆」し、「全く編集部の目を通さず印刷に回した」のではなかったのか。【この話、続く】

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