礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和18年における雑炊食堂の行列と銭湯の混雑

2012-12-20 05:15:15 | 日記

◎昭和18年における雑炊食堂の行列と銭湯の混雑

 本日も、高田保馬『社会歌雑記』(甲文社、一九四七)からの紹介。

(36) 老若も貧富もまじり黙し居りえんえんとして雑炊の列(昭和十八年)
 これは昭和十八年五月頃にかきつけたと思つてゐる。その頃電車から見かけた九段坂上の食堂や丸ビルの幾つかの食堂などには十一時過になると蜿蜒〈エンエン〉長蛇の列を作つて、男女貴賤互に物も言はず黙々として一杯の雑炊〈ゾウスイ〉をまつてゐる。日本の統制経済は統制経済の病理を示す上に於て恐らく類例少いものではないかと思ふ。最近に於ては食糧品など公定価格の約百倍を上下する闇値〈ヤミネ〉に於て配給品よりも多くのものが横流れしてゐた。遡つて当時を見ると、此二の値開きはなほ少くなかつた代りに、普通の人にとつては横流れの品物を手に入れるなどといふことは中々困難であつた。そこで人人は已むなく〈ヤムナク〉一食でも二食でもいいから雑炊でも手に入れたいといふことになる。かつての自由経済の時であつたならば乞食でもするやうな立待〈タチマチ〉の様子をして、淑女も紳士も列の中に入つて居た。しかし此行列も長くは続かなかつた。雑炊食堂への配給も出来ぬ位に食糧の事情が逼迫して来た。それとともに空襲が頻繁になつては半時間も一時聞も平気で列を作るといふやうな段〔場合〕ではなくなつて来た。
 貴賤貧富の区別が撤せられたといふことは、難炊行列に限つたことではない。それは銭湯に於て文字通りである。燃料の騰貴とともに各家庭の風呂の利用が困難となつて来た。大抵の家では一家挙つて〈コゾッテ〉銭湯に行くこととなつた。湯銭は十銭から二十銭、五十銭と引上げられても客は減らぬ。銭湯の休業日が多くなるにつれて、営業の日の風呂は一杯のひとだかりである。「真はだかの生れしままが相ひたる湯槽尊く〈ユブネノトウトク〉思はゆるかな。」芋を洗ふやうな湯は寸分のすき間もない、一人が出ると足だけ入つて次の人の出るまでは立つてゐるといふ状況である。一切の世間的の人工物をつけず、裸と裸とが相触れる。そこには財産もなく階級もない。人間は自然の平等に於て相接するではないか。かう考へて来ると、此湯糟〈ユブネ〉こそは人間平等化の強力なる因子である。人人は革命をまたず、法律をまたず、契約をまたず、ここでは完全なる平等の関係に入る。私はもと温浴がすきで、朝湯にひたつて疲れたる頭を休めることもあつた。銭湯にはさういふ趣を求めることが全然出来ぬにしても、亦別の味が出てゐると思つてゐる。

 戦時中の雑炊食堂と銭湯を、巧みな筆で描写している。こういった記録は、ありそうでいて、そうあるものではない。
 文中の和歌にある「相ひたる」は難訓である。おそらく〈タガイタル〉と読み、「入れ替わる」という意味で使っているのであろう。そのあとの「湯槽尊く」は原文の通り、読みは、原ルビに、「ゆぶねのたふと」とあったので、それに従った。なぜ、「湯槽の尊く」でなく、「湯槽尊く」なのかは不明。
 昨日のブログに対しては、どういうわけかアクセス数が急進し、歴代五位につけた。たぶん、今回の衆議院総選挙に関するコメントだと勘違いされた方が多かったのであろう。明日は、いったん話題を変えるが、高田保馬『社会歌雑記』についての紹介は、今後もさらに続けたいと思う。

今日の名言 2012・12・20

◎此湯糟こそは人間平等化の強力なる因子である

 高田保馬が、戦時中の銭湯の状況について評した言葉。高田保馬『社会歌雑記』(甲文社、1947)の108ページに出てくる。湯槽は〈ユブネ〉と読む。上記コラム参照。

 

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