礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

深刻化する小作争議、その対策としての「農地法案」

2012-12-07 06:04:34 | 日記

◎深刻化する小作争議、その対策としての「農地法案」

 昨日の続きである。『官報付録週報 別刷』第二一号(内閣印刷局、一九三七年三月一〇日)所載、農林省「農地法案に就て」のうち、「一 農地制度改善の必要なる理由」の(ロ)および「二 自作農創設維持事業の拡充」の部分を紹介したい。漢字や仮名づかいは、現代風に直している。

(ロ) わが国の農村は世界において有数の小作争議国である。
 大正六年〔一九一七〕頃より漸次〈ゼンジ〉いわゆる近代的小作争議が各地に瀰漫〈ビマン〉し、大正十一、二年〔一九二二、一九二三〕頃においては労働運動思想問題の発展に伴うた〈トモノウタ〉農民組合運動が展開され、小作争議に件う〈トモナウ〉幾多の不詳事件を発生せしめるに至ったのであるが、もし農地制度の整備があったならば、かくの如きこともそれほどでなくても済んだであろうと想はれる。その後最近に至っては思想的、団体的小作争議は概して少なくはなったが、小作争議全体としてはかえって次第にその件数を増加し、質的にも深刻になった。これを統計的に見れば大正十一、二年の頃には一千六百件内外であったものが、昭和十年度〔一九三五年度〕においては六千八百余件という驚くべき激増の趨勢を示し、これを内容的に見るならばかつては小作料に関する争議がほとんど全部を占めていたのであるが、同十年度には土地返還争議が四割余を占めるに至っている。農家が土地から離れるということはその生活に非常に不安を与えるものであって、かかる土地問題を係争題目とずる争議は最近における争議の深刻化を物語るものである。
 以上の如き農地の特殊事情を緩和するためには色々の方策が考えられるのであって、欧米諸国においては既に種々の制度がなされている。小農国であり、小作争議国であるわが国こそ欧米諸国に先立って、すべての農業政策に先んじて農地政策が樹てられなければならなかったのであるが、耕地の改良拡張政策を除いては、わずかに小規模の自作農創設維持施設が大正十五年〔一九二六〕以来なされた程度に過ぎない。これとて今日までにわずかに九万五千町歩余の自作農創設維持がなされただけであって、農地制度の改善というにはあまりに小規模であった。
 ここに、農地政策を徹底して考案する必要があるのであって、各種の政策の中で最も実現可能のものとして取り上げられたのが今度計画された自作農創設維持事業の拡充強化と小作関係の調整ととであり、この両者はあい表裏〈ヒョウリ〉するものであって離るべからざる関係を有している。人によっては自作農創設維持に徹底すれば小作関係の調整は考えぬでもよいと思っている人もあるようであるが、二百八十万町歩の小作地を自作地にすることには莫大なる融通資金と国費の補助とさらに強力な立法とを要する。このことは現在の事情では不可能なことであり、かりに可能としても小作地を全然なくすることがわが小農制度の上から見て適当であるかどうか考究する必要がある。農業労力の増減、小農の耕地の拡張その他農業事情より見てある程度の小作制度の存在はやむをえないことではないだろうか。
二 自作農創設維持事業の拡充
 自作農創設維持のために明年度〔一九三八年度〕より年々四千万円、利子三分二厘の創設維持資金を二十五年間にわたって融通しようとする案である。このために要する費用は総額十億円であって、これによって創設維持せられる面積は約四十二万町歩、現小作地の七分の一にあたり、二十五年後には全耕地六百万町歩の約五分の三が自作地となる(現在の自作地を合せて)計算である。その結果、全耕地面積の約五分の二は小作地として二十五年後にもなお残るのであるがこれに対しては小作関係の調整を図ろうとするのである。この自作農創設維持の方法は一二異なるところがあるが大体従来の方法とほとんど変わらないといってよい。
 ここに注意を要するは、この大規模の事業をおこなえ土地価格が騰貴するであろうと考えられる向きもあるけれども、それは杞憂に過ぎないと思われる。何となれば現在農地の取引きは調査の結果によれば年間十九万町歩にも及び、この事業による一年の創設面積はわずかに一万六千町歩に過ぎないのであって、二十五年後の累計においてさえわずかに四十二万町歩すなわち年々の取引きの約二倍にしかならないからである。

 ここまで読んでくると、農林省がなぜ、この「農地法案」を成立させようとしているのかという事情が飲みこめてくる。農林省は、頻発する小作争議に手を焼き、その解決策として、農地制度の改善を図っているのである。
 またここでは、言及されていないが、この『官報付録週報 別刷』第二一号が発行された年の前年には、二・二六事件というクーデター未遂事件が発生している。この事件の首謀者たちは、当時の疲弊した農村の実情をよく把握しており、そうしたこともまた、事件の重要な要因となっていたとされる。
 引用文中に、「農地制度の整備があったならば、かくの如きこともそれほどでなくても済んだであろう」という言葉がある。この「かくの如きこと」には、「二・二六事件」に象徴されるような政治的動向も含まれると、深読みしたくもなる。
 とは言え、この段階で農林省が提示しようとしている「農地法案」の内容が、画期的、抜本的なものであることは、まずありえなかったのである。このことは、当時の日本が、「国体」を不可侵とするとともに、「私有財産制度」を不可侵とする国家であったことを考えれば(一九二五年、「治安維持法」公布施行)、まことにやむをえないことだった。そうした中でなお、「自作農創設維持事業」を拡大する一方、「農地制度の改善」を訴えなければならないところに、農林省の苦労があったと見るべきであろう。【この話、さらに続く】

今日の名言 2012・12・7

◎同十年度には土地返還争議が四割余を占めるに至っている

 農林省の言葉。『官報付録週報 別刷』第21号(内閣印刷局、1937年3月10日)所載、「農地法案に就て」に出てくる。同十年度とは、昭和10年度(1935年度)のこと。上記コラム参照。なお、「土地返還争議」とは、地主側が小作人側に対し、小作地の返還を求めることによって生じる争議のことを指していると思われる。当時、小作人側の小作料引き下げ要求に対抗するために、地主側が小作地の返還を求めることがあったという。

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