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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

盛り上がらなかった第20回衆議院総選挙(1937)

2012-12-19 07:34:23 | 日記

◎盛り上がらなかった第20回衆議院総選挙(1937)

 またまた古本の話で恐縮だが、先々週の土曜日、神田の古書展で、高田保馬の『社会歌雑記』(甲文社、一九四七)という本を入手した。売価は二〇〇円であった。
 高田保馬〈タカダ・ヤスマ〉が社会学者・経済学者であることは知っていたが、歌人としても有名だったことは、この本を買ったあとで知った。
 戦中・戦後、折々に詠んだ歌を掲げ、その歌のまつわる思い出を語っている。そういう素朴な構成の本であるが、これがなかなか興味深い。史料としての価値も高いのではないかという印象を持った。
 本日は、一九三七年(昭和一二)の第二〇回衆議院総選挙の選挙運動期間中に、高田が詠んだ歌と、それにまつわる思い出を語っているところを紹介しよう。

(28) 聴衆〈キキテ〉ただ三人〈ミタリ〉を前に非常時を説きつつをれば外の面〈トノモ〉かぎろひ(昭和十二年)
 昭和十二年四月総選挙の頃、愛知県一宮市付近の演説会場にあてられてゐた村公会堂にての作。同時の作、外に二首。「集らぬききてまちつつ昼久し世間話を警官のする。」「出荷場ならべたるうど〔独活〕のたけ見れば春は尾張の野に老いにける。」これらの歌が作品として価値があるとは少しも考へてゐない。ただ当時の日本の社会の空気といふものが、此数首に一の記録を残してゐると思ふのである。林〔銑十郎〕内閣の下に於ける総選挙であつたが、もはや議会に自律の勢力はなく、軍部、而もその一派の意志によつて政治が行はれてゐると、少くも民衆は考へてゐた。そこで選挙に気乗りのせぬこと甚だしい。知人の選挙演説会場に定刻にいつて見る。場合によつては聴衆は一人も来てゐない。警官と世間話をしてゐると、一人か二人集る。二人集ると警官と一諸に来たも一人の応援弁士と四人を相手に鹿爪らしい話を始める。近所の鎮守からは春祭の大鼓の音が風につれて流れて来る。村人はそちらに列をなして行くがこちらには中々来ない。偶々〈タマタマ〉通りがかつても、会場に上つて坐らず、椽の外に立聞していつでも去つて行く姿勢をとる。終りに候補者が来て演説をすます頃にも十人に足らぬといふことすらあつた。日中は格別さうであるが、夜分でもやはり人は集まらぬ。愛知県ばかりではない、やはり北九州の方にいつても大体同様の様子であつた。これから日本の選挙にかういふことは永久にあるまいと思ふが、その点からいへば、普通の歴史の上に記されぬ民間の事情ではあるが、やはり残して置くべき一の記録であると考へる。

 第二〇回衆議院総選挙は、一九三七年(昭和一二)四月三〇日だったが、その五年後に実施された第二一回衆議院総選挙は、一般に「翼賛選挙」と呼ばれているものである。「翼賛選挙」は、政党解体後における異様な総選挙であったが、その前の総選挙も、盛り上がらないという点において、異様な選挙であったらしい。
 しかし、こういうことは、一般の史書にはあまり書かれていない。だからこそ、こうした記録が重要なのである。高田は、「これから日本の選挙にかういふことは永久にあるまいと思ふ」と述べている。また、「普通の歴史の上に記されぬ民間の事情ではあるが、やはり残して置くべき一の記録であると考へる」とも述べている。聞くべき言葉であろう。
 なお、ウィキペディアの「第20回衆議院総選挙」には、次のようにある。

 1937年2月2日に成立した林銑十郎内閣は、同年2月15日に再開された第70回帝国議会において、重要法案の審議引き延ばし戦術に出た、立憲政友会、立憲民政党に対して、反発を強めた。昭和12年度予算が可決された後、林内閣は議会を翼賛体制にすべく、衆議院を解散した。しかし、与党的立場をとる昭和会、国民同盟などは、合わせても40議席程度で野党の政友会、民政党が優位に立った。また社会大衆党が躍進し、無産政党が憲政史上初の第三党となった。5月31日林内閣は総辞職した。
 なお、この選挙での当選者は1941年、「戦時下」に選挙が度々行われることを好まない軍部の意向によって、衆議院議員任期延長ニ関スル法律が制定されて衆議院議員の任期が1年延長されて任期5年に変更された。この任期中〔の1940年〕に大政翼賛会が結成されて日本から政党が事実上消滅し、衆議院の解散が行われることもないまま、「翼賛選挙」との悪名の高い次の〔第21回〕総選挙を迎えることとなる。

 ちなみに、林銑十郎内閣が五月三一日に総辞職したあと、六月四日には、近衛文麿内閣(第一次)が成立した。同年七月七日に発生した盧溝橋事件が、日中戦争に発展してゆくのは、よく知られている通りである。【この話、続く】

今日の名言 2012・12・19

◎これから日本の選挙にかういふことは永久にあるまいと思ふ

 高田保馬の言葉。1937年(昭和12)の第20回衆議院総選挙の選挙運動期間中、知人の選挙演説を聴くために、演説会場に赴いた高田は、そこに、聴衆が三人しかいないことに驚いた。上記コラム参照。総選挙が盛り上がらないのは、民主主義が衰退していることを象徴している。今回の第46回衆議院総選挙(2012年12月16日)は、はたして、盛り上がったと言えるのだろうか。

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