クリスマス寒波が来る。
先日よりもすごいものが来る。
そんなふうに聞かされてきたが、幸い、そこまでひどくはなっていない。
だが、今もあられが打ちつける音がして、荒れた天気であることは確かなのだが。
こんな冬の荒天下にいると、埼玉で見たものは、「新潟なら、春」というものをいくつか目にすることができたなあと思う。
たとえば、スイセン。
もう花が咲いていた。
たとえば、ロウバイ。
新潟では、やっとつぼみが少し見えたくらいだったのに、もう花が満開だった。
田んぼの脇には、ホトケノザが咲き乱れていた。
河原では、野生の菜の花が咲いていた。
これらは、新潟では、春になって見られるものばかりだった。
ひと足もふた足も先に、春をいただいたような気がした。
そして、今日は、夕食の時間に本当に春をいただいた。
そのいただいたものとは、これ。
天ぷらになっているが、緑の丸いものだ。
これが、何かといえば…、
そう、ふきのとうなのだ。
埼玉の家の庭に、すでにふきのとうが出ていた。
それを持ち帰った妻が、天ぷらにしたのであった。
こちら新潟では、ふきのとうが出るのなんて、雪がとけてから。
つまり春になってから。
その春になった象徴(?)であるふきのとうを、冬になったばかりなのにいただいてしまった、というわけだ。
しっかりほろ苦かった。
でも、間違いなく春を告げる味だった。
…まだ新春も迎えていないというのにね…。
先日よりもすごいものが来る。
そんなふうに聞かされてきたが、幸い、そこまでひどくはなっていない。
だが、今もあられが打ちつける音がして、荒れた天気であることは確かなのだが。
こんな冬の荒天下にいると、埼玉で見たものは、「新潟なら、春」というものをいくつか目にすることができたなあと思う。
たとえば、スイセン。
もう花が咲いていた。
たとえば、ロウバイ。
新潟では、やっとつぼみが少し見えたくらいだったのに、もう花が満開だった。
田んぼの脇には、ホトケノザが咲き乱れていた。
河原では、野生の菜の花が咲いていた。
これらは、新潟では、春になって見られるものばかりだった。
ひと足もふた足も先に、春をいただいたような気がした。
そして、今日は、夕食の時間に本当に春をいただいた。
そのいただいたものとは、これ。
天ぷらになっているが、緑の丸いものだ。
これが、何かといえば…、
そう、ふきのとうなのだ。
埼玉の家の庭に、すでにふきのとうが出ていた。
それを持ち帰った妻が、天ぷらにしたのであった。
こちら新潟では、ふきのとうが出るのなんて、雪がとけてから。
つまり春になってから。
その春になった象徴(?)であるふきのとうを、冬になったばかりなのにいただいてしまった、というわけだ。
しっかりほろ苦かった。
でも、間違いなく春を告げる味だった。
…まだ新春も迎えていないというのにね…。