健常者が「障害は個性」と言ってしまうと、ちょっと意味がずれてしまうような気がする。
でも、障害を持つ方が、自ら言うとしっかりした意味を持つ。
人が前向きな姿には、伝わってくるもの、教えられるものがある。
それは、健常者であろうと障害者であろうと同じだ。
同じパラリンピックの競泳で今大会大活躍した鈴木孝幸選手のことを紹介していたときもそうだった。
彼は、小さいころから、自分の今の体で他の子たちと同じことを同じようにやろうと、前向きだった。
走る運動でも、自分の体に不満を言わず、彼に与えられた四肢を使って、前を行く同級生たちを懸命に追いかけていた。
ともすると、ハンディのある体だから、かわいそうだからという配慮をする人たちがいるが、
それは、本人にとって迷惑な行為でしかないということが結構多くあるのかもしれない。
本人がどう思っているか、どうしたいのか、ということが最も大切なことなのだと、改めて思う。
それは、健常者たちの日常社会でも同じではないかと考える。
自分には、よいところがない。
自分は、ほかの人のように恵まれていない。
自分が努力したって、たかが知れている。
そんなふうに、自分に対する言い訳をして生きていないか!?
パラリンピックの競泳で、14歳の山田選手は、生まれつき両腕がなく、足も長さが違い、不自由だ。
だけど、2つの銀メダルを獲得した。
彼女は、報道陣に対して、語っている。
障害は個性だと思う。
健常者もいろいろなことで悩んでいる。
障害があるからとか考えないようにしている。
前向きな彼女の姿勢は、メダルを獲得した後も続く。
代表として内面的にもふさわしくなれるようにがんばりたい。
山田選手をはじめ、私たちの知らない苦しい体験を有しながら大きな大会で活躍するまでになった姿を見せる、パラアスリートたち。
言い訳をしない。
前向きに生きる。
健常者、障害者に関係なく、人として、そんな生き様をしていくことが大切なのだと思わせてくれている。