子どものころに多く見たのに、いつの間にか見なくなったものが、いろいろとある。
身近にあったのに、いつの間にかなくなっている。
そんなものに、ふと出会うとやはり子どものころを思い出す。
先日、娘の散歩を兼ねた買い物に出たとき、川沿いの道を歩いた。
春から夏に移り変わろうとして、川沿いもいつの間にか草木が生い茂ってしまった。
ガードレールのすぐそばに、木が生えていたなんて気づかなかったのだが、川側から道路側に枝葉を張り出している木を見つけた。
葉の様子がなんだか懐かしいぞと思って、その葉の茂みをのぞいてみると、赤い実がなっていた。
おお、これは、桑の木ではないか。
赤いのは、もちろん桑の実。
このくらいの赤さでは、まだ酸っぱくて美味しくない。
もっと濃くなって、赤黒いくらいになると美味しくなる。
20年近く前に勤めていたところでは、桑の木があった。
休み時間になると小学校3,4年生のいやしい子どもたちが集まってきて、赤くなった実を次々に取って口にしていたのだった。
「まだ食べるのには早すぎるよ。もっと赤い色が濃くなってから取った方がおいしいよ。」
という私のアドバイスに、
「待っていたら、だれかに取られちゃうよ。」
「今のままでもおいしいよ。」
などの返事が返ってくるのだった。
街なかの校庭に食べられるものがある、ということが、彼らにとって何よりの魅力だったようだ。
だから、私が子どものころに味わった、おいしい桑の実の味を彼らが知ることはなかった。
私の家の目の前には、桑畑があった。
あのころ、桑畑は、わが家のそばだけでなくそこかしこにあった。
桑は、もちろん実を食用にするためではなく、葉を使うためだった。
葉は、蚕のえさとなった。
あのころは、養蚕をしている家が非常に多かった。
養蚕は、農作物以外で得られる貴重な収入源だった。
文字通り「おかいこさま」であったのだ。
桑畑はどこにでもあったから、桑の実の1つや2つをその辺の子どもが取って食おうと、畑の持ち主から怒られることはあまりなかったと記憶している。
たくさん取って食べていた連中は、指先と口の周りを赤黒く染めていたから、すぐにばれたものであった。
そんな桑畑が、わずか何年後かに急になくなっていった。
日本が高度経済成長社会に入ったあたりからだったのだろう。
わが家のまえの畑でも、桑の木は切り倒され、ほかの作物が育てられるようになった。
桑畑も口を染める子どもの姿も、すっかりなくなったのだった。
見かけなくなった桑の木が、こうした町を流れる川沿いに生えているなんて、きっと野生のものだろうと思う。
たくましいな。
そういえば、桑の木がたくさんあった時代の子どもも、もっとたくましかったな…。
見かけた桑の木から、20年前、そして50年以上前へと思いは駆け巡っていったのであった…。
身近にあったのに、いつの間にかなくなっている。
そんなものに、ふと出会うとやはり子どものころを思い出す。
先日、娘の散歩を兼ねた買い物に出たとき、川沿いの道を歩いた。
春から夏に移り変わろうとして、川沿いもいつの間にか草木が生い茂ってしまった。
ガードレールのすぐそばに、木が生えていたなんて気づかなかったのだが、川側から道路側に枝葉を張り出している木を見つけた。
葉の様子がなんだか懐かしいぞと思って、その葉の茂みをのぞいてみると、赤い実がなっていた。
おお、これは、桑の木ではないか。
赤いのは、もちろん桑の実。
このくらいの赤さでは、まだ酸っぱくて美味しくない。
もっと濃くなって、赤黒いくらいになると美味しくなる。
20年近く前に勤めていたところでは、桑の木があった。
休み時間になると小学校3,4年生のいやしい子どもたちが集まってきて、赤くなった実を次々に取って口にしていたのだった。
「まだ食べるのには早すぎるよ。もっと赤い色が濃くなってから取った方がおいしいよ。」
という私のアドバイスに、
「待っていたら、だれかに取られちゃうよ。」
「今のままでもおいしいよ。」
などの返事が返ってくるのだった。
街なかの校庭に食べられるものがある、ということが、彼らにとって何よりの魅力だったようだ。
だから、私が子どものころに味わった、おいしい桑の実の味を彼らが知ることはなかった。
私の家の目の前には、桑畑があった。
あのころ、桑畑は、わが家のそばだけでなくそこかしこにあった。
桑は、もちろん実を食用にするためではなく、葉を使うためだった。
葉は、蚕のえさとなった。
あのころは、養蚕をしている家が非常に多かった。
養蚕は、農作物以外で得られる貴重な収入源だった。
文字通り「おかいこさま」であったのだ。
桑畑はどこにでもあったから、桑の実の1つや2つをその辺の子どもが取って食おうと、畑の持ち主から怒られることはあまりなかったと記憶している。
たくさん取って食べていた連中は、指先と口の周りを赤黒く染めていたから、すぐにばれたものであった。
そんな桑畑が、わずか何年後かに急になくなっていった。
日本が高度経済成長社会に入ったあたりからだったのだろう。
わが家のまえの畑でも、桑の木は切り倒され、ほかの作物が育てられるようになった。
桑畑も口を染める子どもの姿も、すっかりなくなったのだった。
見かけなくなった桑の木が、こうした町を流れる川沿いに生えているなんて、きっと野生のものだろうと思う。
たくましいな。
そういえば、桑の木がたくさんあった時代の子どもも、もっとたくましかったな…。
見かけた桑の木から、20年前、そして50年以上前へと思いは駆け巡っていったのであった…。