ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「大きな古時計」歌の思い出

2019-12-23 21:39:19 | うた
昨日時計のことを書いていたら、頭の中で時計の歌が何度も流れて止まらなくなってしまった。
どんな歌かというと、「たぶん、アレ!?」と思い浮かんだ人も多いはず。

そう、その歌は、今日の表題にも書いてあるとおり、
「大きな古時計」

もともとはアメリカの合衆国のポピュラー・ソング。
1876年に発表され、「おじいさんの古時計」という邦題もある。

この「大きな古時計」は、2つの理由で、私にとって子どもとの思い出の歌。

1つ目の理由。
1年生を担任していた頃、朝の会で、日直が好きな歌をみんなで一緒に歌おう、というコーナーを設けていたことがあった。
手持ちの歌集から一曲を選んで歌うのだった。
ピアノが弾けない私は、フォークギターを1つ教室に持ち込んでいたのだが、その歌集だとFだとかCだとかB♭だとかのコードが載っていたので、なんとか音を出して歌を歌わせることができたのだった。
その中で、最もよく選ばれたのがどういうわけかこの歌だった。

この歌を、みんなで歌っていたら、いつの間にか1番から3番まで、みなそらで歌えるようになってしまった。
そして、3番を歌う時には、なぜか静かになって歌う子どもたちだった。
「だって、おじいさんが死んじゃうんだよ。」
だから静かに歌うのだと。
そういう感受性豊かな子どもたちと過ごし、よく歌ったこの曲のことは、30年余り前の忘れられない思い出である。

そして、この歌を大切に思うもう一つの理由。
それは、この歌を子守唄にしていたことである。
前述の感受性豊かな子どもたちを受け持っていた頃、私は、単身赴任であった。
1歳の娘とも別れて暮らしていた。
家に帰ると、人見知りの娘にまるで知らないおじさんと会ったように泣かれた時期もあったが、夜寝かせるのが私の仕事になったときがあった。
そのときによく歌って聞かせたのが、「大きな古時計」であった。
だいたい3番まで歌って聞かせていると、いつにまにか眠りについていた娘であった。
3番が終わっても眠らないときは、もう一度繰り返してうたってやると、いつの間にか寝息を立てているのであった。

こんなふうに、子どもたちや自分の子どもとかかわりのある、大切な歌となったのであった。

これらのことは、平成の時代に平井堅がこの歌を歌うはるか前の昭和の時代のことである。


この歌の大きな古時計は、自分の経験から、掛け時計なのではないかな、と思っていた。
「おじいさんの」古時計ではないが、昭和の時代から30年以上使っている掛け時計。
わが家でも、まだ、ネジを巻くゼンマイ式の振り子の掛け時計を使っている。



すでに、わが家の歴史をみてきた古時計となっている。
コメント
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