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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

父親賛歌の一つ、「ヒーロー」(ファンキーモンキーベイビーズ)

2021-02-08 22:16:21 | うた
最寄りのTSU…YA書店で、レンタルCDの中古品販売をやっていた。
あまりいいモノはないが、1枚300円で、5枚で1000円だという。
これは、ラッキー!と2枚組や3枚組のベスト物のCDとともに、ファンキーモンキーベイビーズの10周年記念ベスト盤「YELL」も買った。
購入理由は、今度楽天に復帰した田中将大投手の、あのころの登板ソング「あとひとつ」を聴きたくなったからだ。
気持ちよくその歌を聴いていたら、終わって次の曲になった。
そこに入っていたのが、「ヒーロー」という曲である。

最寄り駅の改札抜ければ いつもよりちょっと勇敢なお父さん…

で、1番も2番も3番も始まる歌。
それが、ファンキーモンキーベイビーズが歌った「ヒーロー」という歌。

この歌は、日本中の働くお父さんに贈られるエールのように聞こえる。

1番の詞の中には、こんな文句が続く

昨夜の疲れとアルコールがまだ残った午前6時OH
暗いニュース野菜ジュースで流し込み朝から全力疾走
きっと今日も七転八倒 でも鳴らすな10カウント
家族にとってのヒーローになる為 転んでも立ち上がるんだぜ


別に家族のヒーローになる為ではないが、転んでも立ち上がらないといけない毎日には変わりがない。
ただ、励ましてもらっていることは分かる。


2番の詞は、こんなふうになる。

毎日おんなじ時間に起きてはテレビのニュースを見る父さん
はたから見たって一見そんなに冴えない普通のサラリーマン
だっていつも家族の為 人知れずに一人で戦ってる
照れくさくって言いづらいけど がんばっているのはわかる

これ、ちょっとうれしい。
自分の子どもは、自分のことをさえないサラリーマンと思っているのだろうなあ…と思うお父さんは多いことだろう。
だが、「照れくさくって言いづらいけど がんばっているのはわかってる」なんてことを聞くと、心の中でニコニコしてしまうだろう。

3番になると、

カカア天下のお茶の間 第三のビールで乾杯しよう
明日の見えない日本の夜に それでも陽は昇るんだ


…こんなことを歌われると、見抜かれてる!と思うじゃないか。

さて、歌全体を通して、元気付けられる部分はまだあるけれど、働く父親としては、子ども側からすべてを見抜いてくれて、ありがとう!と言いたい気分になりそうだ。


今まで、父親賛歌のような歌。
浜田省吾は、「I am a Father」という歌で、父親であることの自覚と責任を歌っていたけれども、あれも父親賛歌の一つだと思う。
この歌は、息子が賛美してくれている歌だから、余計にうれしいかもしれない。

働くお父さんだという皆さん、この歌聴いて、元気出していきましょう!
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今、この歌は好きになれないな…~「雪のおどり」

2021-01-04 21:53:33 | うた
「こんこん こんこん」
と聞くと、何を思い浮かべるだろうか?

キツネのなく声、咳をする音、ドアをノックする音、何かをたたく音、水が湧き出る様子…。

こんなものを考えるのが一般的かな、と思う。

でも、別なものの様子を表す言葉としても使われることがある。
それは、雪の降る様子。
こんこんと降る雪は、当地でも1m近くになり、庭や雪の屋根に大量に積もっている。

こんな歌い出しの曲がある。

こんこん こんこん ふれふれ 雪
ずんずん ずんずん 積もれよ 雪


「こんこん こんこん」で始まる、これは、「雪のおどり」という曲。
以前には小学校の音楽の教科書にも載っていたことがある。

この曲は、もともとチェコ民謡で、そこに日本語の詩をつけたものらしい。
全部の歌詞を載せる。

「雪のおどり」  チェコ民謡

こんこん こんこん ふれふれ 雪
ずんずん ずんずん 積もれよ 雪
声なき リズムにのり  ゆかいに おどりながら
ふれふれ いつまでも  ふれふれ 屋根までも

こんこん こんこん ふれふれ 雪
ずんずん ずんずん 積もれよ 雪
みんなみんな 手を取りあい  きれいな ダンスをして
ふれふれ いつまでも  ふれふれ 屋根までも


今日も除雪作業をしながら、急に昔子どもたちと歌ったこの曲を思い出した。
あの頃は、何も考えずに楽しく歌っていた。
けれども、今、この曲は楽しくない。
なぜなら、「ふれふれ 雪」「積もれよ 雪」なんて、とても思えない。
毎日毎日ものすごい量の除雪作業をしている身にもなってごらん。
とても大変なんだ。


それなのに、この曲は、降ること・積もることを願っている。
さらに、
「ふれふれ いつまでも  ふれふれ 屋根までも」
…とんでもないことだ!
いつまでも降られてはたまらない。
だいたい、屋根はかなり近くなっているぞ!


生活に支障は出るし、除雪に体力は奪われるし、こんなにきつい毎日はいい加減終わりにしたい。

きっとこの詩の作者は、雪国出身ではないのだろうなあ。
少なくとも、豪雪地帯の出身ではないことだけは確かだ。

今日も、雪に降られながら除雪作業を行った私は、うらめしい思いでこの歌について考えていたのだった。


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虹を歌った歌、1970年代

2020-12-01 22:00:55 | うた
先日のブログにも書いたけど、立て続けに虹を見る機会があった。
見ていたら、虹を歌った歌をオジ(イ)サンなりに、いろいろと思いついた。
特に若い頃の歌たちが…。
今回は、1970年代によく聴いた虹の歌を5曲紹介する。


まずは、「虹と雪のバラード」。

トワエモワが歌ったこの歌は、1972年札幌オリンピックのテーマソングだった。
懐かしいなあ、スキージャンプの70m級。
笠谷・金野・青池のメダル独占が思い出される。


その曲と同じ年の秋に流行ったのが、当時の№1アイドル、天地真理が歌った歌。
「虹をわたって」

あの当時の若者向け雑誌「明星」を、私が初めて買ったのは、その天地真理の特集があった号だったと記憶している。
真理ちゃんは、魅力的だったのだ。
ついでに言えば、今日マンガ家引退を発表した水島新司の「ドカベン」の中で、岩鬼が入浴しながらこの「虹をわたって」の歌を歌っていたシーンがあったのを、なぜか覚えている。


フォークソングが全盛となった頃、1グループだけあか抜けているコーラスグループがあった。
それが、赤い鳥。

赤い鳥の「虹を歌おう」。
♪虹を歌おう 雨上がりに
 色のはじめを思い出すままに
赤とオレンジ、黄色、緑、ブルーそれから藍、紫

シンプルだけど、きれいな歌だった。


同様にグループでヒットした、「なのにあなたは京都に行くの」「だからわたしは北国へ」
から、男女のデュオになって、やがて夫婦デュオになったチェリッシュ。
1974年ころに出された当時のベストアルバム「チェリッシュ・スーパーデラックス」のB面1曲目に入っていたのが、「雨あがり」という歌。

最初と最後に、口笛が入っていて力を抜いて聴ける歌だった。
♪涙を拭いたら ほほえみ浮かべて 泣いた顔など あなたに似合わないわ
 …(中略)…空には 虹が架かる♪

全然世に知られている歌ではないが、私の心の中には、深く残っている歌なのだ。


そして、学生時代一番の虹を歌った曲といえば、やっぱりこれ!

チューリップの大ヒット曲「虹とスニーカーの頃」。
♪わがままは男の罪 それを許さないのは女の罪
若かった 何もかもが あのスニーカーはもう捨てたかい

…のフレーズが繰り返されながら、若い男性と女性がいる風景が目に浮かぶような歌だった。
最初は、それほどヒットするとは思えなかったが、チューリップで一番のヒット曲となったのだった。



これらの歌を聴いたのは、高校生から大学生の頃だった。
あの頃は、「虹とスニーカーの頃」に歌われるように、若さからくる不安をたくさん抱えていたものだ。
「虹」は、美しいけれども、やがて消えていってしまう。
若い頃の「夢」も同じじゃないのかな、と思ったりする。
虹を見ると、懐かしいような、ちょっと切ないような気がするのは、そのせいなのかもしれないな…。
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今日は十三夜 井上陽水の「神無月にかこまれて」を思い出す

2020-10-29 22:16:24 | うた

「十三夜」という言葉を初めて知ったのは、案外遅くて、井上陽水の「神無月にかこまれて」という歌からだった。
「十五夜」は、月見の夜で、お供えをするなど日本古来の大事な行事だと思って育った。
だが、「十三夜」は、知らずに育っていたのだった。

だから、「神無月にかこまれて」を聴いた当初の頃は、
● なんで十五夜じゃなく、十三夜なの?
● 神無月は、月のことではなく十月という時期の呼び名だから、囲まれることはないだろう。
などという疑問を思っていた。

今日が、その歌にも歌われていた十三夜に当たるのだそうだ。
十五夜は、もともと中国で行われていた行事が日本に伝来したものなのだが、十三夜は、日本で古来から美しい月であるとして重んじてきたらしい。

十五夜は「芋名月」と呼ばれているが、十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれているという。
これは、十五夜ではサトイモなどを供えることが多いためであり、十三夜には栗や豆を、神棚などに供えるからだとか。
 
十五夜は、あまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜は晴れることが多く、「十三夜に曇り無し」という言葉もあるのだそうだ。

これらのことは、「十三夜」という言葉に興味を持つまで、まったく知らないことであった。

井上陽水の「神無月にかこまれて」は、「陽水Ⅱ センチメンタル」のアルバムのB面の1曲目にあった。


イントロが独創的だった。
歌詞の持つ雰囲気とは違って、アップテンポで畳みかけるように歌が始まる。
歌い出しが「人恋しと泣けば 十三夜」。
「十三夜」という表現はすぐに出てくる。

人恋しと泣けば 十三夜
月はおぼろ  淡い色具合
雲は月を隠さぬ様に  やさしく流れ
丸い月には 流れる雲が 
ちぎれた雲が よくにあう

こんなふうに歌われているが、今夜当地では、十三夜の月は雲に隠れることが多かった。


曲の2番では、風と渡り鳥が出てきて、次の季節である冬の直前の季節であることを思わせる。

風がさわぐ 今や冬隣り
逃げる様に 渡り鳥がゆく
列についてゆけないものに
また来る春があるかどうかは
誰も知らない
ただひたすらの風まかせ

そして、3番では「神無月に  僕はかこまれて」と歌う。

神無月に  僕はかこまれて
口笛吹く  それはこだまする
青い夜の空気の中に  生きてるものは
涙も見せず  笑いも忘れ
息をひそめて 冬を待つ


月、十三夜、風、渡り鳥など、秋の深まりを感じさせるものに囲まれるのが、10月つまり神無月だというわけだ。
だから、「神無月にかこまれて」なのだろう…と思う。
「生きてるものは 涙も見せず  笑いも忘れ 息をひそめて 冬を待つ」
なんとも無表情で、ひたすら冬の近づきを待つ季節の神無月。

見るものからだけでなく、心の中も寒さが増してくる。
「神無月にかこまれて」は、そんなことを感じさせる歌でもあった。
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Negicco、Kaedeの「秋の惑星、ハートはナイトブルー」がいい

2020-10-23 22:39:25 | うた


新潟のアイドルグループ、Negiccoも、3人のうち2人(Nao☆さん、Meguさん)が結婚してしまった。
まあ、そういう事実があっても、3人はちゃんとグループでの活動を続けているし、その活躍ぶりは変わらない。

まだ結婚していないのは、Kaedeさんだけになってしまったのだが、この2年間、歌で彼女の新しい魅力が開発(?)されているなあ、と思う。
去年からソロ活動も始めた。
去年と今年で、2枚のミニアルバム、1枚のフルアルバムと、3枚のアルバムを発表している。
Negiccoでは、他の2人とは声の質が違っているので、その違いがいい味わいを出しているなあと思っていた。
それが、ソロで歌っていると、これがなかなかいいのだ。
素朴で押しつけがましくないその歌声は、聴いていて心地いい。

9月に出たミニアルバム、「秋の惑星、ハートはナイトブルー」でも、そのよさはよく表れている。
1曲目の「秋の惑星」と7曲目の「ハートはナイトブルー」は、それぞれオープニングとエンディングだとして、残りの5曲がいい。

少し歌詞の内容が古いのではないか、と思いながらも、特に好みなのは、「モーニングコール」。

いつものバス停のガラスの電話ボックス 
新しいテレホンカードであなたに 
モーニングコール


と始まる歌。
スマホが普及している現代では、テレホンカードで電話をする、ということはないだろう。
けれども、ちょっと昔を思い出すような気がしてしまう。
そして、1番でも2番でも繰り返される、最後のフレーズが、

もしもし もしもし

これを繰り返す彼女の声がいい感じだ。
もう一つのお気に入りが、「ジュピター」
かつて2人で素晴らしい時間をもっていたのに、今は別れてしまい今も想い出しているというオチになってしまう歌。
「ジュピター」という彼女の声に、とても引き込まれてしまう。

このアルバムを部屋で聴いていると、心地よい時間が流れていく。
中身の5曲は、いずれも3分台の曲だが、アイドルの曲というよりも、なんだか昔の「ニューミュージック」と言われていた頃に出た女性歌手の歌声のような雰囲気がある。
それだけ、Kaedeさんも、単純なアイドルから脱皮して、年齢の重ね方にふさわしい魅力を高めてきているということかな。

爺さん年齢の私からすると、娘みたいな年代の彼女だが、これからも、注目していきたいな。
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9月なのに、陽水の「かんかん照り」を思わせる今日の暑さ

2020-09-03 22:20:30 | うた
昔の井上陽水の歌に、「かんかん照り」というのがあった。

やけついた屋根が ゆらいで見える」とか、「お日様は空で あぐらをかいて」いるとか、まあ、そんなのは、夏にはよくある風景だと思ったりもした。

ところが、その後の歌詞には、
水道の水が『ぐらぐら』たぎり セッケンはすぐに『どろどろ』とける
帽子を忘れた子供が道で 直射日光にやられて死んだ
僕の目から汗がしたたり落ちてくる 本当に暑い日だ
などという部分があった。

なんと大げさな!!?…そこまで暑くなるはずがないじゃないか!!?と、この歌を聴いた昔は思っていたのだ。

…がしかし、この歌詞がちっとも大げさではないと感じた今日の暑さだった。
給湯機を通して出てくる水は、蛇口の栓をお湯にしていないのに、熱いお湯になって出てきたりした。
目から汗は出てこないが、汗をかいたものが目に入って流れてくることはあった。

ただ、この歌は、サビの部分では、

いやな夏が Uh Ah
夏が走る Uh Ah

暑い夏が Uh Ah
夏が走る Uh Ah


と歌うのである。
暑いのは、夏の真っ最中を考えての歌だった。

ところが、今日は、9月の3日。
暦の上では、立派に秋のはずなのである。
なのに、新潟県内の三条市では、9月の国内最高気温を更新する、40.4℃を記録した。
また、同じく県内の胎内市でも、40.0℃を記録。
今までの記録ホルダーである埼玉県熊谷市の39.7℃を破る、ワン・ツーの最高気温を記録したのである。

陽水の歌は、真夏を考えていたはずだが、9月3日は真夏ではないだろう…!!

台風が東シナ海を通過するとき、当地はフェーン現象に襲われる。
次の台風10号はもっと強いもので、同様なコースを取りそうだ。
また同様な暑さあるいは暴風雨の可能性があるということか?

いやはや、なんともオソロシイ…。
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8月6日。「いつも見ていたヒロシマ」(吉田拓郎)と「八月の歌」(浜田省吾)

2020-08-06 21:42:26 | うた
8月6日。
言わずと知れた、広島に初めて原爆が投下された日。
もう、その日から75年の月日が経過したことになる。
75年!
自分が生きてきた年を考えてみると、被爆した年代というのはずいぶん年上の人たちのような気がしていた。
ところが、こうして自分も63年余りも生きていると、その年の違いが「わずか12年しかない」と思うようになった。
12年は、干支でいうとひと回りしかない。
自分も、たしかに「戦争を知らない子供たち」なのだけれども、今生きている大半の人たちからすれば、近ごろは、十分に「戦争に近い」世代だと言えるような気がしている。

自分より上の戦後世代の人たちであれば、なおさら「戦争」を意識しただろうなと思う。
私よりも10歳年上であれば、まさに戦後1,2年後に生を受けた人たちだから、「反戦」をうたったのは、当然であったと思う。
最も多かったのは、フォークソング。
反戦や権力への抵抗を歌うのが当たり前だった。
フォークソングなのに、「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら 町の教会で結婚しようよ」なんて歌っていた吉田拓郎は、そういった反戦平和の歌を歌うシンガーたちと比べて軟弱なイメージをもたれてしまったりした。
それで、「帰れコール」を浴びたりもしたのだったが。

しかし、吉田拓郎は、ただそんなヤワな存在ではなかった。
やがて、そんな愛の歌ばかりでなく、骨太な歌も多くなっていった。
彼の生誕は鹿児島県だったそうだが、出身地は広島県となっている。
広島と言えば、やはり被爆した都市のイメージがある。

その彼が、アルバム「アジアの片隅で」の中で歌っている曲に、「いつも見ていたヒロシマ」というのがある。

作詞は、岡本おさみによるものだが、拓郎の心情を表現している内容だと思う。
八月の光がオレを照らし 」で歌い始まるのは、やはり8月6日を意識しているのだろう。
2番には、次の歌詞がある。

時は忘れ去る 幾千のごまかしを
時は汚してる 幾千のやさしさを
焼きつきた都市から 確かな愛が聞こえる
子供らに オレ達が与えるものはあるか
安らかに笑う家はいつまであるか
いつもいつも遠くから 遠くから 見ていたヒロシマ


やはり遠くにいても、出身の広島のこと、次世代の子どもたちに対しての責任などを、自分のこととして強く受け止め、歌っているように思える。

吉田拓郎と同様に、やはり広島県出身で、愛だけでなくメッセージ性の強い歌も歌えるソングライターに、浜田省吾がいる。

アルバム「J.BOY」に収められている「八月の歌」、その2番。

八月になるたびに “広島―ヒロシマ”の名のもとに平和を唱えるこの国
アジアに何を償ってきた
おれ達が組み立てた車がアジアのどこかの街角で焼かれるニュースを見た
今日も Hard rain is fallin'. 心に Hard rain is fallin'.
子供等の肩をうつ
飢えてゆく すさんでゆく 
明日への希望など持てないまま


八月になるたびに “広島―ヒロシマ”の名のもとに平和を唱えるこの国
と、広島と日本を指して、「アジアに何を償ってきた」と、もどかしさを歌っている。
今日も Hard rain is fallin'. 心に Hard rain is fallin'. 子供等の肩をうつ
と、やはり自分の国と子どもたちの未来を不安視して歌っている。

8月6日。
戦争の悲惨さを忘れていないか。
広島のことから訴えられることがある。
核兵器の誇示よりも子どもたちの未来を考えることの方がよほど大事なはずだ。
吉田拓郎も浜田省吾も、それぞれの歌を歌うことで2人とも同じメッセージを訴えていると感じる。
これらの歌は、どちらも1980年代の後半に出されたものではある。
しかし、30年余りたった今でも、この歌の根底にある思いの重要性は変わっていない。

パンデミックの状況下、大国が自国の強さを誇示しあうような現在の世界情勢の中で、今こそ日本が、私たちがなすべきことは何か、を考えなくてはいけない。
そう思う、2020年の8月6日である。
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「銀河」にかかわる歌(40年以上前のものですが…)

2020-07-07 22:10:15 | うた
今日は、七夕。
本来なら、空を見上げて、銀河が横たわる星空をながめたいところだ。
しかし、今年は、星空どころか、雨空。

銀河に思いをはせながら、昔よく聴いた「銀河」にかかわる歌を思い出してみよう。

まずは、小学生のころ。

銀河に浮かべた白い小舟
あなたとたずねた ゆめのふるさと


銀河という言葉を初めて知ったのは、この歌によってではなかったかな、と思う。
これは、当時若い女性たちに絶対的な人気のあった、ザ・タイガーズの歌「銀河のロマンス」。(1968年)

ジュリーこと沢田研二の甘い声に、「シルビー マイラブ」の歌詞の意味がわからなかったけど、私にとっては、女性たちのキャーキャー言う声がついてまわるというイメージがある歌。
今聴いても、ゆったりした感覚がいい。


銀河を歌うなら、一番銀河らしさをうまく生かしていたのは、太田裕美の「銀河急行に乗って」だった。(1975年)

もしもあなたがアルタイルなら
離れ離れのわたしはヴェガね

なんていう歌詞もいい。
作詞者は、「木綿のハンカチーフ」と同じく松本隆。
なんてったって、この「銀河急行に乗って」は、「木綿のハンカチーフ」が初めて入ったアルバム「心が風邪をひいた日」に一緒に入っている曲なのだ。

この「心が風邪をひいた日」がまたいいアルバムなのだが、まあそれはおいとこう。
アップテンポで歌われているのと、空をかけるようなアレンジがとてもご機嫌な曲であった。


突拍子もない歌詞で始まるなあと思った歌。

あいつなんかあいつなんか 銀河系まで飛んできゃいいのに

銀河系って、自分たちが住んでいる星のある太陽系も銀河系の一部でなかったっけ?
そう茶化したくなる歌は、梓みちよが歌った「銀河系まで飛んで行け!」。(1978年)

作ったのは、吉田拓郎だった。
拓郎・梓のコンビは、この歌のまえに、「メランコリー」を大ヒットさせている。
たしか、その次の曲としてこの歌を出したのだった。
梓の歌う2年ほど前に、キャンディーズがこの歌をアルバムに入れていたはず。
キャンディーズが歌った歌を梓みちよがカバーするとは、思いもよらなかったが、そこは吉田拓郎つながりが大事かな。


そして、銀河を行くといえば、銀河急行ではなく、銀河鉄道。
松本零士の漫画をもとにしたアニメの主題歌にもなったゴダイゴの「銀河鉄道999」。(1979年)

よくヒットし、当時の「ザ・ベストテン」で何週か連続して1位になったことをよく覚えている。

さあ行くんだ その顔を上げて
新しい風に 心を洗おう
古い夢は 置いて行くがいい
ふたたび始まる ドラマのために

聴いていて、出だしから元気が出る歌だった。
ただ、サビの部分は英語である。

The Galaxy Express 999. Will take you on a journey.
A never ending journey. A journey to the star.


これをためらいなく歌えるかというと、そう簡単ではなかった。
特に、“The Galaxy Express 999. Will take you on a journey.”の部分なんて、リズムに合わせて歌うことは困難であった。
元気は出るけれど、歌えなくて悔しいから、私自身はこの歌をあまり口ずさむことはなかったなあ。

以上、小学校から大学生時代までの歌で、「銀河」といえば、この4曲が浮かんでくるのだ。

来年の七夕は、星空の下で誰もがもっと幸福な思いで迎えられるといいなあ、と願っている…。
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隠れた名曲「君に捧げるラブ・ソング」(岡林信康)

2020-06-12 20:43:16 | うた
この前、ふっと、頭の中にメロディーが浮かんできた歌があった。

なぜ、この歌が浮かんできたのか、自分でもわからない。

その歌は、学生のころに聴いた、「君に捧げるラブ・ソング」。
「フォークの神様」岡林信康の歌う曲だった。
私が岡林信康を聴くようになったころには、もう彼が「フォークソングの神様」と呼ばれる表舞台から姿を消しているころだった。
岡林信康について書き始めると、簡単には終わらないだろうと思うので、そこは省略。
歌だけに限定したい。

この歌が出たのは、1980年。
「Gの祈り」というレコードのB面だった。


でも、この歌が大ヒットしたとかそういう話ではない。

この歌をしみじみいい歌だなと思ったのは、フジ系の歌番組「夜のヒットスタジオ」に、岡林信康が出演して、彼がこの「君に捧げるラブ・ソング」を歌ったことがあったからだ。
今から30数年前のことなのに、その番組を見て曲を聴いた時の驚きは、よく覚えている。

詩の内容がいかにも愛に悩み苦しむ人の姿をよく歌い上げているように思えた。
しみじみと歌い上げる姿も、とても共感を覚えた。

「悲しみにうなだれる君を前にして そうさ何も出来ないでいるのがとてもつらい」
「君の痛みの深さはわかるはずもない 何か二人遠くなる 目の前にいるというのに そうさ僕は僕 君になれはしない」
「二人は試されてるの 君は僕の何 これで壊れてゆくなら僕は君の何だった」

…分かり合えるようで、分かり合えない。
いかにも深い愛の歌だと思った。

ところが、後日、この歌は親しい人が重い病になって厳しい状況になり、何もできずに弱っていくのをそのまま見守るしかできなくなったことをもとにして作られた歌だったことを知った。

そんな背景などは知らなくても、純粋な愛の歌だとして聴いても、十分せつなくなる。

その曲を検索してみたら、YOUTUBEに、「夜のヒットスタジオ」に岡林が出演して歌った時の映像があるのを知った。
先日、30何年かぶりに、その映像を見た。
しみじみと、心にしみ込んでくる、いい歌だと思った.。
隠れた名曲であることは間違いない。
そう思っている。
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「いのちの歌」(竹内まりや)

2020-06-09 22:34:17 | うた
今から6年前の2月のことだった。
「これ、今度の六送会で歌いますから、覚えてきてください。」
と、一番若い職員から言われ、受け取ったのがこのCD-ROMだった。

「いのちの歌」と書かれたそれは、そのひと月ほど前に、竹内まりやが改めてシングルとして出した曲だった。
竹内まりやの歌は嫌いではなく、むしろ好きな方で、何枚かアルバムを買ったものだったが、その頃は、ちょっとご無沙汰となっていた。
それは、東日本大震災から1年近くがたとうとしていたときだった。
その歌が出されたのは、未曽有の災害を受けた人々を励まそうというねらいがあったと聞いた。

聴きなれない歌を、車を運転しながら何度も聴いた。
職場への行き帰りの車中で、歌えるように何度も何度も声を出して歌った。

生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに」で始まる歌。
歌えるようになると、詩をいろいろと考えるようになった。
卒業する6年生たちに、職員が合唱して歌ううたにふさわしい。
その歌を選んでくれた若い女性職員に感謝したい気持ちになった。


泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
…本当にそうだと思う。
いい日ばかりではない。

本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

…この部分の詩などは、COVID-19 の感染流行で苦しむ私たちが日々感じるようになっていることだろう。

いつかは誰でも この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう この命にありがとう


歌詞には、「この星」という表現がある。
世界的な感染流行で、誰もが命の危険にさらされている。
まさに、「この星」全体だ。

昨年末の紅白歌合戦で竹内まりやがこの「いのちの歌」を歌った時には、まさか新たな年が、世界中でこんなに命の危険が迫ることになるとは、誰も思っていなかった。

ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

かけがえのない喜びを感じられるのも、生きていてこそ。
生きている。
そのことを、本当に貴重なことだと考え、日々を大切に過ごしていきたいものだ。


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