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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

元NSPの中村貴之氏逝く ~「始発電車」という歌が好きだった~

2021-12-01 18:05:28 | うた


先日、元NSPの中村貴之氏が亡くなったというニュースが流れた。
NSPは、いわゆるフォークグループという分類に入っていた。
私は、学生時代、天野滋、中村貴之、平賀和人の3人で構成されるこのNSPが、好きだった。
アルバムが出ると、あの頃は、毎回買っていたものだった。
ただし、社会人になってからは、新曲を買ったり買わなかったりになってしまったけれども。

その後、NSPは、1980年代の後半に中村氏、平賀氏と相次いで脱退したため、活動停止となってしまった。

でも、2002年に再結成して再び3人で活動を再開して新しいアルバムまで出したので、再び注目するようになった。
ところが、そのNSPのリーダーであり、リードボーカルであった天野氏が2005年に52歳の若さで亡くなってしまった。
せっかく新たな活動に期待していたのに、残念だった。

ただ、その後2011年からは残ったメンバーの中村氏、平賀氏が、元ふきのとうの細坪基佳氏と一緒にスリーハンサムズというグループを結成し、音楽活動を続け、NSPの歌なども大切にしていたのだった。

それなのに、このたびの中村氏の逝去で、かつて好きだったNSPのメンバー3人のうち2人が亡くなってしまった。
かつてよく聴いていた歌を歌っていた人たちが、歌を遺してこの世を去っていくのは、とてもさびしくなる。

3か月近く前に、NSPの「コンクリートの壁にはさまれて」という歌を紹介したが、このボーカルは、今回亡くなられた中村氏だった。
中村氏がボーカルを務めた歌はほかにも多いが、この「コンクリートの壁にはさまれて」は、彼が歌ったものの中で、私が2番目に好きだった。

では、一番好きだった歌は何か、というと、「始発電車」という歌である。
この歌は、7枚目のアルバム「シャツのほころび 涙のかけら」に収録されていた。
作詞作曲は天野氏だったが、歌っていたのは中村氏だった。

起きぬけの ホームにひとり
そでの汚れに 吐息が白い
手のひらの キーを放る
レールを めがけ ひといきに
少女のうすい胸が
僕の隠れ家だった
始発電車はまだこない


早朝の駅のホームに立つ男性を歌った歌だが情景が浮かんでくる。
一番も二番もサビの部分の「少女のうすい胸が 僕の隠れ家だった」というところがすごく気に入っていた。
きっと当時純情だった私(?)の心をくすぐるものがあったのだろうなあ。

この曲は、レコードのB面の3曲目に入っていたが、2曲目の「都忘れ」も中村氏が歌っていた佳曲だし、次の4曲目の「ゆうやけ」は、NSPらしい名曲だった。
「都忘れ」「始発電車」「ゆうやけ」の3曲を続けて聴き、都会暮らしの繊細な若者の気持ちに自分を重ね合わせていたように思う。
歌に出てくるような女性がいなかったことは別にして…(苦笑)。


いずれにしても、青春時代に私の心を和ませてくれたNSP。
中村氏の逝去で、ますますその時代が遠くに行ってしまったような気がする。

中村氏の冥福を祈ります。合掌。

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中秋の名月を見ながら、月の歌連想

2021-09-22 22:13:06 | うた
昨夜は、中秋の名月。

満月になるのは、8年ぶりだとか。
当地でも、夜空によく輝いているのを見ることができた。

月を見ていたら、このまえNSPの歌(「コンクリートの壁にはさまれて」)のことを書いたせいか、そういえば、NSPの歌に、「FLY TO THE MOON」なんてのがあったなと思い出した。

NSPの初期の歌は、田舎の少年の気持ちを表した歌が多かったのだ。
「さようなら」だって「夕暮れ時はさびしそう」だって「お休みの風景」だって、とても純情な少年の気持ちを歌っていた。
それが、この「FLY TO THE MOON」を初めて聴いた時には、面食らった。

Fly to the moon  Fly to the moon 
いくら遠くへ来ても僕も安心できないけど 
急なカーブの前で恐いわなんてつぶやいてね
(略)
君の彼もきっと怪しんでるし
僕の彼女 たぶん感づいてる頃
(略)
君は彼にうまい言い訳するだろう
僕は僕でなれたアリバイ作り


なんじゃ、こりゃ!?
これは、不倫かいけない恋の歌じゃないか!!?
…と、「少年の変貌」に驚いてしまったのであった。

「MOON」といえば、レベッカの歌にも、そういう曲があったなあ。

「POISN」というアルバムに入っていて、その後シングルカットされたのではなかったかな。
途中、変な声が入るとか言われた歌でもあった。

昔ママがまだ若くて 小さなあたしを抱いてた 月がもっと遠くにあった頃

で始まるこの歌。
その娘は、13歳で盗みをした。
初めての恋で家を飛び出した。

Moon あなたは知ってるの
Moon あなたは何もかも
初めてキスした日のことも


そんなフレーズが繰り返し流れる。
その繰り返しが、若い日の過ちで人生を踏み違えたように感じ、悔いを残している…と感じる歌だった。
その不安定さが結構心に残り、20代後半によく聞いた歌だった。


最後に、健康な若さを感じる歌で、口直し!?
やっぱり、荒井由実時代の「14番目の月」が、最高。

これを聴いていると、いつも元気が出てくる。

あなたの気持ちが読みきれないもどかしさ
だからときめくの
愛の告白をしたら最後 そのとたん 終わりが見える


すごい感覚だ、と思った。
愛の告白されたら、もうその恋は終わり!?
何、それ!?
なんて浮ついた女だ。
聴き始めの頃は、そんなことも思ったっけ。
でも、サビの部分を何度も聴くとその感覚を新鮮だと思ったりしたのだった。

次の夜から 欠ける満月より
14番目の月が いちばん好き



「Fly to the moon」
「MOON」
「14番目の月」
昨夜は、中秋の名月を見ながら、こんな歌たちを連想していた私であった…。
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2色のクレオメの花から思い出した、「コンクリートの壁にはさまれて」(NSP)

2021-09-14 22:27:15 | うた
去年は、2本のクレオメが、コンクリートの隙間から生えてきて、秋の遅くまで花を咲かせていた。
「ど根性クレオメだなあ」と思い、時々ここでも紹介したのだった。
なんと、今年もコンクリートの隙間から生えてきたものがあり、これを「ど根性クレオメ2世」として、抜かずに育ててきた。


今年の場合、咲く花の色を見ていたら、微妙に色が違う。

紫色っぽいものと、ピンクっぽい色のものと、2種類が咲く。


どうやら、1本に見えていたけれど、色の違う2本のクレオメが、狭い隙間から発芽して育ってきたようだ。


コンクリートの壁にはさまれながら、2本ともよくここまで育ってきたものだ。

ん?
2本がコンクリートの壁にはさまれて育った?
何かでよく聴いていたことがあったぞ…???
えーと…。

…そうだ!!!

♬ 君もぼくも コンクリートに はさまれて育った仲なのさ

思い出した!
NSPの2枚目のアルバムにあった、「コンクリートの壁にはさまれて」という歌の歌詞にあったじゃないか。


NSPの天野滋が作詞作曲して、中村貴之が歌っていた歌だった。
1974年に出たNSPの2枚目のアルバム「NSPⅡ」では、この「コンクリートの壁にはさまれて」が、私は一番好きな歌だった。

最も好きな理由は、アップテンポのこの曲のギターテクニックがすごかったのだ。
それもそのはず、ギターの演奏者は、世に出る前の「Char」(チャー)だったのだ。
なんでも、このころは高校生だったが、この曲に合わせて演奏させたら、一発でOKとなったのだそうだ。
本人は不満だったらしいけれども…。

紫の花のクレオメもピンクの花のクレオメも、コンクリートにはさまれて育った花。

♬ ああ コンクリートに咲いた花 ああ コンクリートに 咲いた花

2色のクレオメの花から、なんだかとっても懐かしい歌を思い出してしまったぞ…ははは。
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子どもの夏の景色が浮かんでくる歌 ~「夏の空」(BUZZ)

2021-08-16 21:49:35 | うた
夏になると、子どもの頃はよく遊んだなあと思う。
そんな子どもの夏の景色が浮かんでくる歌がある。
「ケンとメリー」のBUZZ(バズ)が、40数年前に出した「夏の空」という歌だ。

この歌は、「BUZZ」の2枚目のシングル「朝」のB面の曲だった。


ファーストアルバムにも入っている。


躍動感に満ちたイントロから、ごきげんな感じで歌は始まる。


パセリのようなむこうの森へ
かけっこしたけど ころんで負けた

森がパセリに見える。
いかにも子どものような見え方。
この歌の始まりから、引き付けられる。
そして、かけっこ。
子どもは、すぐに走って競走しようとする。

泣きべそ涙でさかさの空を
雲もいじわるく追い抜いて行く


転んで泣くのも、子ども。
しかも、見上げた空の雲は動いている。
その動きを、意地悪く追い抜かれたように感じるのは、主観的な考え方をする子ども心ならではだ。

小さい心にどこまでも あおく続くよ夏の空.
大きくなってももどっておいでと
抱きしめてくれた夏の空


とうもろこしの髪の毛と
風のむこうを誰かがゆくよ


とうもろこしの「髪の毛」。
あの部分を「髪の毛」と表現できるのも、純粋な子どもが見たままに表現したような感じ。
髪の毛は、正式名称ではないけど、そう言うと、誰もが想像できる。

1、2の3でみんなが呼ぶと
知らない誰か手を振っていた


1人が呼んでも声が届かないから、みんなで声を合わせて大きな声で呼びかける。
この行動をとるのも、いかにも子どもたちだ。
そして、互いに手を振って、自分をわかってもらおうとする。

小さい心にどこまでも あおく続くよ夏の空.
大きくなってももどっておいでと
抱きしめてくれた夏の空



もうこの歌が、50年近くも前の歌になってしまっているというのが信じられない。
今でも、新鮮な夏が感じられる。
聴くたびに、子どものように心がウキウキしてくるのである。


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「あじさい寺」(北川とみ)を聴きたくなる

2021-07-15 21:58:53 | うた

梅雨が明けたが、まだあじさいは見ごろを過ぎたとは言えない。
ピークを過ぎたものもあるが、まだきれいなものも多い。

こんな時期、学生時代に聴いた歌で、毎年のようになぜか聴きたくなる歌がある。
それが、北川とみの「あじさい寺」という歌だ。



あじさい寺といえば、さだまさしがグレープ時代に歌った「縁切寺」が有名。
その歌では、彼女と一緒に鎌倉を訪ねた時に、別れにつながると悪いから縁切寺に行くことだけは強く拒まれた。
なのに、その後その彼女から別れの言葉を言われたという内容の歌だった。

この北川とみの「あじさい寺」は、
女性の方が、かつて彼氏と一緒に来たあじさい寺を一人で訪ねた。
すると、なんとその彼氏がかわいい子を連れて来ていたのを見かけ、雨の中逃げるように石段を駆け降りる。
…というようなストーリーの歌。

一番でも二番でも、サビでは、

昔々 このお寺に 駆け込んだという 女の人の 悲しみが 痛いほどわかる

という歌詞が歌われる。

「雨」「あじさい」「別れ」
わずか3分余りの短い歌だったが、ドラマチックな悲恋が歌われている。
そういう歌の中の主人公の女性が、いじらしくてかわいそうに感じたものだった。
レコードを買って聴くほど好きだったわけではないが、梅雨の時期になると不思議に頭の中にイントロが流れ、「一人来たのよ あじさい寺に」と口ずさんでしまう。

CD化はされなかったようだが、今は便利な世の中、YOUTUBEで聴きたいときに聴くことができる。
改めて聴くと、多感ではあったが微妙な女性の心など知る由もなかった若かった頃の、酸っぱい思い出もよみがえるような気がする。

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「うろこ雲の絵」(西岡たかし)が頭の中に流れる

2021-06-24 22:44:47 | うた
時計の針が刻むのは 終わりを告げる時間ばかり
心の中に響く調べは 愛の歌でありたい


学生のころ、FM東京で朝9時から「奥様音楽を」というコーナーがあった。
もう40年以上も前のことになるので、時間や番組名は定かではないが…。
その番組は、20分か25分くらいでしかない音楽番組だったが、歌謡曲や当時のニューミュージックと言われていた曲を流していた。
その番組で、あのころ何度か流れていたから聴いた歌が、サビで冒頭の詞を歌う、「うろこ雲の絵」(西岡たかし;作詞・作曲・歌)という歌だった。

曲の初めの詞は、

子供の頃の思い出は つまらないことばかり
手をつないで駈けた公園は 誰もいない夕暮れ
それはとても美しい 少し悲しいけれど
だけど思いだすたびに 胸がはり裂けるみたいで

あの頃は、まだ20歳を過ぎたばかりのころでこの曲の初めの部分、「子供の頃の思い出はつまらないことばかり」には、本当にそうだと思ったものだった。

あれから何年も何年もたって、この歌がまた聴きたくなってきた。

しかたなく時は流れ しかたなく季節は巡る

などという部分も歌詞にあったなあと思うと、そう、自分の人生も、いつのまにか時が流れ季節が巡って、人生の後半を迎えたことをつくづく感じていたのだ。

この歌を聴きたくなって、何年か前、西岡たかしのベストものを探して購入したことがあった。

それからまたさらに年月がたち、最近自分の頭の中でこの歌がよく流れることがある。
今は、サビの部分が心の中によく流れている。

時計の針が刻むのは 終わりを告げる時間ばかり
心の中に響く調べは 愛の歌でありたい


「時計の針が刻むのは 終わりを告げる時間ばかり」という部分に、人生の終末を感じてしまう。
近頃、著名人ばかりでなく、かつて仕事をしていたときの上司や先輩方などが亡くなっていくせいだろうか。
自分も、高齢者と呼ばれる年齢になるまで正味あと数か月になってきた。

バラード調のこの歌を聴くと、「終わりを告げる時間」の接近におびえるのではいけないよな。
心の中に愛の歌を響かせながら心豊かに生きていきたいよな。
この歌を聴いて、そう思ったりもするのである。 
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さくら開花宣言、「さくら」が思い出に変わっていく…

2021-03-29 21:10:46 | うた


僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
桜並木の道の上で 手を振り叫ぶよ


…という歌詞で始まる「さくら」。
森山直太朗が歌ってヒットさせてから、もう18年もたってしまった。

あの頃、この歌を聴いて最初に思ったのは、桜を歌う歌が、3月の別れの歌になったということ。
以前、桜は4月の入学式の頃の歌だったのに、この森山直太朗の「さくら」以降は、完全に卒業シーズンの3月の歌になってしまった。

さくら さくら 今咲き誇る
刹那に散り行く運命と知って 
さらば友よ 旅立ちの刻
変わらないその想いを 今

歌詞のこの辺りでは、完全に、満開の桜の前での別れを表す表現になっている。

この別れの歌、今年小学校を卒業となった6年生たちは、12歳。
18年前にこの歌がヒットしたことは知らない。
それでも、彼らは、多くの卒業関係の歌から、この歌を卒業の日に歌う歌として選んだ。
別れの悲しさはあれど、この歌に「再会の誓い」などの明るさが感じられるからだろうか。

さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で


2か月余りの間、一生懸命この歌をマスターして、卒業合唱につなげた子どもたちは素晴らしかった。
そして、もちろん、合唱の出来も素晴らしかった。

この歌を、「さくら」(独唱)としてしか知らない私には、合唱となったときのパートの違いまではよく知らなかった。
しかし、子どもたちは、自分たち自身で楽譜から高音・低音を見つけ、歌えるようにしていったのだから、大したものだった。

毎日のようによく歌い、マスターし、立派な歌声を披露した彼らの姿は、とても印象深く残ることになった。

そして、新潟では、今日ついに桜の開花が宣言された。


しだいに開花の様子が広がっていくのを見て、改めて、この「さくら」を歌った子どもたちの声が思い出に変わっていくのを実感していた私であった。
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8年ぶり復活のファンモンがよかった

2021-03-11 22:28:23 | うた
仕事から帰ってきたら、テレビに映っていたのは、MISIA。
なんと、自衛隊の基地で隊員たちを前に歌っているではないか。

そうか。
東日本大震災から10年という特別番組の1つとして、TBS系の番組で「音楽の日」というのをやっていたのか。
隊員たちが微動だにしない中で、MISIAが熱唱する姿は、なんともいえないものがあった。
自衛隊も、ブルーインパルスが飛行して、ハートマークを描くことにもびっくりしたけれども。

それ以降から番組を見て、一番よかったのは、8年ぶりのファンキーモンキーベイビーズだったなあ。
一夜限りの復活、ということで、楽天のホームスタジアムで歌うなんて、なんかすごいことだった。
そのうえ、「あとひとつ」をあのころ登場のテーマソングにしていた東北楽天の田中将大投手までゲスト出演していた。
楽天が巨人を破って日本一を達成した時の試合の田中将大投手のことを思い出す。
スタジアムの観衆が、田中登板で声を張り上げて「あとひとつ」を大合唱したことに感激。
そして、ピンチを招きながら、見事に抑えて日本一を達成した時のあの感情を、久々に思い出した。

それを思い出させるのは、今日のファンモンのメンバーたちの熱唱、熱演があったからこそと思う。

さらに、あと2曲歌った。
「ありがとう」と「ちっぽけな勇気」。

特に、後者は、私も好きな歌。
俺たちはまだちっぽけで  手のひらの中には この手のひらの中には 何もないけど
雨に打たれ  風に吹かれ  でも諦めないから でも諦めたくないから…


こんな気持ちに若いときは思ったものだった…と思いださせてくれる歌。
そして、聴くと今も、「でも諦めないから でも諦めたくないから」が無性に何かを自分に問いかけてくるのだ。

そんなことで、ファンモンの歌を聴いて、とても感激していた私であった。





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古関裕而の行進曲・応援歌を聴き、元気を出す

2021-03-04 21:21:30 | うた
去年の朝ドラ「エール」は、それなりに面白かった。
自分にとっての面白さのツボの一つは、知っている曲が出て来ることだった。
特に、山崎育三郎がソロで熱唱した「栄冠は君に輝く」は、その中でも特別だった。
夏の高校野球、甲子園大会のテーマソングが、主人公古山裕一(古関裕而)の作った歌で、それがドラマでも大きな意味を持っていた。
また、私自身、20歳前後に夏の高校野球大会の時期に、甲子園球場で物を売るバイトに行ったことがあったから、よく聴いた曲だった。
そのせいか、この曲を聴くと、元気になれる気がするのである。

さて、もっと多くの古関裕而の曲を聴いてみたいと思って、ドラマがまだ放送されているとき、ベスト盤のような2枚組のCDを購入してみたのだった。


購入したものは、SIDE1の1曲目から7曲目までが、行進曲や応援歌だった。

NHKのスポーツ行進曲
オリンピック・マーチ(東京五輪入場行進曲)
栄冠は君に輝く
闘魂込めて(巨人軍球団歌)
六甲おろし(阪神タイガースの歌)
紺碧の空(早稲田大学)
我ぞ覇者(慶応大学)


こうしてみると、やっぱり、スポーツの名曲ばかりだ。
どれもこれも、やはり、聴いていて力が湧いてくるような感じがする。

人は、人に「エール」を送られると、「がんばろう!」と思うが、曲を聴いていて、確かに「エール」を送られているような気がした。

古関裕而の全曲集には、たしかに歌謡曲もあることはあるのだが、輝きは、行進曲や応援歌にあるように思う。
本来は、2回目の東京オリンピック開催のために、1回目のときに光を当てるためにドラマを放映したのだろうけれど、COVID-19 感染症のために延期となり、それが外れてしまったのは残念だった。

東京オリンピックの開催が難しいとの報道が流れる昨今だが、古関裕而の曲が人々を勇気づけることは変わらない。
苦しいときだからこそ、彼の行進曲・応援歌を聴いて、元気を出していきたいと思うのだ。
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疲れた… 気分は、「たどりついたらいつも雨ふり」

2021-02-17 21:57:37 | うた


いやあ、だるい。
眠い。
疲れた…という感じ。
今日は、何も浮かばない。
ただひたすら疲れている感が強い。

こんな時は、頭の中に、故鈴木ヒロミツがボーカルで歌っていた、モップスの「たどりついたらいつも雨ふり」のイントロが脳内に流れ出す。

疲れ果てていることは 誰にも隠せはしないだろう
ところがおいらは 何のために
こんなに疲れてしまったのか

今日という日が そんなにも大きな一日とは思わないが
それでもやっぱり 考えてしまう
ああ このけだるさは何だ

そう、今日はけだるさに支配されている以外の何物でもない。
すみませんが、疲れていて、眠くて仕方がないので、今日はこの辺で…。
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