僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
桜並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
…という歌詞で始まる「さくら」。
森山直太朗が歌ってヒットさせてから、もう18年もたってしまった。
あの頃、この歌を聴いて最初に思ったのは、桜を歌う歌が、3月の別れの歌になったということ。
以前、桜は4月の入学式の頃の歌だったのに、この森山直太朗の「さくら」以降は、完全に卒業シーズンの3月の歌になってしまった。
さくら さくら 今咲き誇る
刹那に散り行く運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻
変わらないその想いを 今
歌詞のこの辺りでは、完全に、満開の桜の前での別れを表す表現になっている。
この別れの歌、今年小学校を卒業となった6年生たちは、12歳。
18年前にこの歌がヒットしたことは知らない。
それでも、彼らは、多くの卒業関係の歌から、この歌を卒業の日に歌う歌として選んだ。
別れの悲しさはあれど、この歌に「再会の誓い」などの明るさが感じられるからだろうか。
さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で
2か月余りの間、一生懸命この歌をマスターして、卒業合唱につなげた子どもたちは素晴らしかった。
そして、もちろん、合唱の出来も素晴らしかった。
この歌を、「さくら」(独唱)としてしか知らない私には、合唱となったときのパートの違いまではよく知らなかった。
しかし、子どもたちは、自分たち自身で楽譜から高音・低音を見つけ、歌えるようにしていったのだから、大したものだった。
毎日のようによく歌い、マスターし、立派な歌声を披露した彼らの姿は、とても印象深く残ることになった。
そして、新潟では、今日ついに桜の開花が宣言された。
しだいに開花の様子が広がっていくのを見て、改めて、この「さくら」を歌った子どもたちの声が思い出に変わっていくのを実感していた私であった。