今日は、2週間前の抗ガン剤の経過を見る検査と診察。
モニターを見ながら「何かありますか?」という先生の問いに、
「肘と胸がずっとではないのですが、急に痛くなります・・」
というと、先生はJudyの方を向いた。
先生「胸はどんな痛みですか?」
Ju「特に胸の骨のここの部分が特にズキンと痛むことがよくあります。」
先生は、ちょっと真剣な顔になって、
「その痛みは、どのくらい続きますか?」
Ju「数分だと思いますが・・・」
先生「毎日ですか?」
Ju「ここ1週間くらい、毎日で、一日に何度か・・・」
先生は、モニタを見ながら、言いました。
「念のために、検査をしておきましょう。」
「・・・それって、転移しているかもしれないということですか・・?」
「たぶん大丈夫だと思うけれど、念のためにしておいた方がいいでしょう。」
“そうなんだ、転移の検査なんだ~”と、頭の中で思ったけれど、口に出せず、何度も心の声がリフレインする。
待ち時間に、「がんのひみつ」や他の本を一生懸命読んで、癌について色々調べていたので、
皮肉にも、さっき読んだばかりの、“転移の仕組み”が頭の中で復習される。
「たぶん、大丈夫でしょう」と言われても、やっぱり動揺する
2週間後に、胸の骨の検査を受けることになりました・・・
昨日の夜に、心優しくJudyのことも大好きで、しかしひどいことを平気でのたまうけれどもオモロいメンズ友達から電話があった。
暴言の数々・・
「余命1ヵ月の花嫁見た?」と聞いてくるので、「見れるわけ無いじゃん!」と答える。
または、Judyのことを「余命3ヵ月のバカ嫁」と言うので、「何があっても根性で絶対70歳まで生きてやる!」と答える。
または、「葬式は、行くから心配するな」とか、
「葬式の音楽は決めてあるの?」というので、
「smile」 と「you are so beautiful」 と言うと、「死んでも、それなんだあー」とか、言いやがる。
でも、ついつい色々と妄想しお葬式について話し合ってしまった。
「写真はね、この前、仕事で撮ってもらった写真がものすごく嬉しい~なかなかキレイな写真だったので、
それを見たとき、葬式用の写真はこれにしよう!、と思わず決めたのよ~!」などと、
昨夜は、縁起悪い話しを大笑いながら話していたのでした・・
それなのにーーー、翌日には、まさか、転移を疑われるとは、、不覚でござる、、
いやだよ~、転移しないで~
神さまあ~、仏さまあ~、お地蔵さま~、えんまさま~、なんでもいいから、助けてえ~!!
そういえば、昨日、その人に、このブログを読んでいると、
「痛々しい」 「そんなに頑張らなくていいよ」と言われた。
その上、このブログのサブタイトル
「乳癌デモ笑顔デ生きるコツ」
(Judyの気持ちとしては、“癌であるにもかかわらず、笑顔で生きよう!”という感じ。)
これの、“デモ”が違うような気がするとおっしゃる。
(ホント色々言ってくれるよね~ ホントありがとう、お陰で色々と考えるきっかけをもらいました)
もっと癌を忘れてもいいんじゃないか、
もっと癌を受け入れて普通に暮らしたらいいんじゃないか、
頑張って笑顔にならなくてもいいんじゃないか、
というようなコトだったと思うけど、
癌“デモ”のデモは、いらないのでは?というのだ。
あたしだってね、忘れられるなら、忘れて暮らしたいし、
癌ももっと快く受け入れられるなら、
心からそうしたいよ~、まじで。
でもね、
毎日、腕はしびれるし、左の胸には重たい鉄の鎧を着けられてるみたいな感じだし、
鏡を見れば、
片方はゴツゴツして、どう見ても醜いし、
頭は丸坊主だし、
すぐ疲れて横になりたくなるし、
やってられないわけよぉ~
癌に関わることが、いやでも、いつも身近にあるわけよぉ~。
みたいな?
だからこの生活に早く慣れて、これが自分にとっての普通なこと、となる状態になれれば、それは理想です。ベストです。
しかし、まだまだ、うーーん・・・なかなかね・・そう簡単には、なれなーーーい!
それよりか、最近は、この身体の不自由さに、時々、叫びたくなる。
もういやだよーー!!!!って。
だから、ある意味、頑張らないと、踏ん張ってないと、心が折れそうになるのよ。
Judyが少しでも、癌を忘れられる時間、もしくは癌と仲良く向き合える時間は、
仕事だったり、読書だったり、走っている時間だったり、何かに夢中になってときだ。
以外と、誰かのために頑張っているときが、一番忘れられる時間だったりする。
しかし、自分で故意にテンションを上げて、
“よっしゃーー!!今日も笑顔でがんばりますよーーー!!!”と、
自分を持ち上げないと、自分がどうなるか恐い。
恐いので、毎日がんばらないときはないのだが、
意図的にエンジンをかけなければ、
きっとベッドの中で布団をかぶって動けなくなるかもしれないなあ。
イヤ、待てよ。
今、ふっと気づいた。
これは、癌になったからではない。
ずっと、そうなんだ。
性格やん!?
自分が最も納得できる自分像というのは、
自ら、自分に、ガッツリと、とことん追い打ちをかけ、
歯を食いしばり、血を吐くほど、地をはってでも、負けずに、
頑張る自分が最もステキだと思ってしまうのだ。
いやだ。もうやめたい。
でも好きなのだ。
たまらなく。
どうしても、
ド根性、という言葉を愛しているのだ。
しょうがないけど、
これが、Judyの生き方なのではなかろうか。
そういえば、そんな性格だから、癌になったんじゃないの?と、人に言われたことがある。
しかし、頑張るのをやめてしまったとき、
それは、生きることをあきらめてしまった時じゃないかしら・・・
今朝、夫に言われた。
「おまえ一人の命じゃないんだから。一緒にがんばるから、絶対に負けるな!」
涙が出そうになりました。
やっぱり、頑張らないといかんのですわぁ~
今夜は、かなり愚痴っぽいJudyさま・・となってしまいました・・・お許しを・・・
どうか転移はありませんように
モニターを見ながら「何かありますか?」という先生の問いに、
「肘と胸がずっとではないのですが、急に痛くなります・・」
というと、先生はJudyの方を向いた。
先生「胸はどんな痛みですか?」
Ju「特に胸の骨のここの部分が特にズキンと痛むことがよくあります。」
先生は、ちょっと真剣な顔になって、
「その痛みは、どのくらい続きますか?」
Ju「数分だと思いますが・・・」
先生「毎日ですか?」
Ju「ここ1週間くらい、毎日で、一日に何度か・・・」
先生は、モニタを見ながら、言いました。
「念のために、検査をしておきましょう。」
「・・・それって、転移しているかもしれないということですか・・?」
「たぶん大丈夫だと思うけれど、念のためにしておいた方がいいでしょう。」
“そうなんだ、転移の検査なんだ~”と、頭の中で思ったけれど、口に出せず、何度も心の声がリフレインする。
待ち時間に、「がんのひみつ」や他の本を一生懸命読んで、癌について色々調べていたので、
皮肉にも、さっき読んだばかりの、“転移の仕組み”が頭の中で復習される。
「たぶん、大丈夫でしょう」と言われても、やっぱり動揺する
2週間後に、胸の骨の検査を受けることになりました・・・
昨日の夜に、心優しくJudyのことも大好きで、しかしひどいことを平気でのたまうけれどもオモロいメンズ友達から電話があった。
暴言の数々・・
「余命1ヵ月の花嫁見た?」と聞いてくるので、「見れるわけ無いじゃん!」と答える。
または、Judyのことを「余命3ヵ月のバカ嫁」と言うので、「何があっても根性で絶対70歳まで生きてやる!」と答える。
または、「葬式は、行くから心配するな」とか、
「葬式の音楽は決めてあるの?」というので、
「smile」 と「you are so beautiful」 と言うと、「死んでも、それなんだあー」とか、言いやがる。
でも、ついつい色々と妄想しお葬式について話し合ってしまった。
「写真はね、この前、仕事で撮ってもらった写真がものすごく嬉しい~なかなかキレイな写真だったので、
それを見たとき、葬式用の写真はこれにしよう!、と思わず決めたのよ~!」などと、
昨夜は、縁起悪い話しを大笑いながら話していたのでした・・
それなのにーーー、翌日には、まさか、転移を疑われるとは、、不覚でござる、、
いやだよ~、転移しないで~
神さまあ~、仏さまあ~、お地蔵さま~、えんまさま~、なんでもいいから、助けてえ~!!
そういえば、昨日、その人に、このブログを読んでいると、
「痛々しい」 「そんなに頑張らなくていいよ」と言われた。
その上、このブログのサブタイトル
「乳癌デモ笑顔デ生きるコツ」
(Judyの気持ちとしては、“癌であるにもかかわらず、笑顔で生きよう!”という感じ。)
これの、“デモ”が違うような気がするとおっしゃる。
(ホント色々言ってくれるよね~ ホントありがとう、お陰で色々と考えるきっかけをもらいました)
もっと癌を忘れてもいいんじゃないか、
もっと癌を受け入れて普通に暮らしたらいいんじゃないか、
頑張って笑顔にならなくてもいいんじゃないか、
というようなコトだったと思うけど、
癌“デモ”のデモは、いらないのでは?というのだ。
あたしだってね、忘れられるなら、忘れて暮らしたいし、
癌ももっと快く受け入れられるなら、
心からそうしたいよ~、まじで。
でもね、
毎日、腕はしびれるし、左の胸には重たい鉄の鎧を着けられてるみたいな感じだし、
鏡を見れば、
片方はゴツゴツして、どう見ても醜いし、
頭は丸坊主だし、
すぐ疲れて横になりたくなるし、
やってられないわけよぉ~
癌に関わることが、いやでも、いつも身近にあるわけよぉ~。
みたいな?
だからこの生活に早く慣れて、これが自分にとっての普通なこと、となる状態になれれば、それは理想です。ベストです。
しかし、まだまだ、うーーん・・・なかなかね・・そう簡単には、なれなーーーい!
それよりか、最近は、この身体の不自由さに、時々、叫びたくなる。
もういやだよーー!!!!って。
だから、ある意味、頑張らないと、踏ん張ってないと、心が折れそうになるのよ。
Judyが少しでも、癌を忘れられる時間、もしくは癌と仲良く向き合える時間は、
仕事だったり、読書だったり、走っている時間だったり、何かに夢中になってときだ。
以外と、誰かのために頑張っているときが、一番忘れられる時間だったりする。
しかし、自分で故意にテンションを上げて、
“よっしゃーー!!今日も笑顔でがんばりますよーーー!!!”と、
自分を持ち上げないと、自分がどうなるか恐い。
恐いので、毎日がんばらないときはないのだが、
意図的にエンジンをかけなければ、
きっとベッドの中で布団をかぶって動けなくなるかもしれないなあ。
イヤ、待てよ。
今、ふっと気づいた。
これは、癌になったからではない。
ずっと、そうなんだ。
性格やん!?
自分が最も納得できる自分像というのは、
自ら、自分に、ガッツリと、とことん追い打ちをかけ、
歯を食いしばり、血を吐くほど、地をはってでも、負けずに、
頑張る自分が最もステキだと思ってしまうのだ。
いやだ。もうやめたい。
でも好きなのだ。
たまらなく。
どうしても、
ド根性、という言葉を愛しているのだ。
しょうがないけど、
これが、Judyの生き方なのではなかろうか。
そういえば、そんな性格だから、癌になったんじゃないの?と、人に言われたことがある。
しかし、頑張るのをやめてしまったとき、
それは、生きることをあきらめてしまった時じゃないかしら・・・
今朝、夫に言われた。
「おまえ一人の命じゃないんだから。一緒にがんばるから、絶対に負けるな!」
涙が出そうになりました。
やっぱり、頑張らないといかんのですわぁ~
今夜は、かなり愚痴っぽいJudyさま・・となってしまいました・・・お許しを・・・
どうか転移はありませんように
声を出して祈るよ。
どうか転移がありませんように。
Judy、世界のしぶとさを見せてくれぇ
私も手術まで時間があるので、この間に転移があったらとか思いますし、触るといろんなところにしこりがあると思うときもあります。
judyさんのブログにもあったように、先週は気圧の関係なのか、私はずっと頭痛があったし、ある手術をした患者さんも傷口がずっと痛くて、お天気が分かるようになったと言ってました。
抗がん剤頑張っているから大丈夫。私は思います。私も祈っています。judyさん大丈夫。
私は全摘手術を甘く考えていて、術後の痛みや不自由さを実際知っている方は心配して下さっています。今は「そうなの??やっぱり?」と受け入れる準備をしてます。
私も元気にしてるので、励ましのつもりや無意識で、いろいろ言ってくる友人や同僚もいますが、聞き流すようにしています。
そんなときに有難いことを言ってくれる方が身にしみますね。。ご主人いいなぁ。私は独身なので羨ましいです。
愛情は抗がん作用がかなりあるみたいです。
judyさん大丈夫。私はそう思います。
一夜明けて、「まっ、しょうがないか。」と、いつもの言葉が出てきました。
前向きに、がんばります