今日は、甲状腺の専門病院で精密検査。
表参道の伊藤病院。
こんなに甲状腺の病気の人がいるんだ、、、と新しい世界を見た。
そして、私も正式に仲間入りとなった。
今日の検査の結果、
橋本病、という病気だった。
甲状腺機能低下症とも呼ばれ、甲状腺の機能が低下し、甲状腺ホルモンの分泌が不足する病気で、特に橋本病は、甲状腺に原因があって起こる病気らしい。
そもそも甲状腺ホルモンの役割というのは、からだの元気をつかさどり、新陳代謝を活発にしてくれるホルモンとのこと。
そのホルモン量が減りすぎてしまっているのだから、何とも不安でやるせない気持ちになってくる。
乳癌の手術をし乳房を失い、抗癌剤をやったり、放射線治療をして、やっとのことで1年半が経ち、
必死に前を向いて一生懸命がんばってきたのに、
いきなり、目の前に見えない壁が立ちふさがった感じだ。
今までの、なんと言っても元気が取り柄だったようなもの。
そんな私が、元気を奪われたり、免疫力が弱まってしまう病気になるなんて、信じられない。
さすがに昨晩は夫の前で初めて号泣した。
がっくり、心が折れた。
しかし、昨晩、そこまで自分を解放したお陰で、
今日は、気持ちを切り替えることができ、
落ち着いて結果を受け入れることができた。
伊藤先生とは、知り合いだったが、こんな形でお世話になるとは夢にも思わなかった。
気楽に相談が出来てありがたいが、
先生から、「これから長いおつきあいになるのでよろしくね」と言われ、
思わず、いやです、と言いそうになった。
できるのなら避けたいおつきあいというものです
一生、薬を飲み続けなければならないらしいので、生きている限り、お世話になるのかしら・・・
まずは、このご縁にも、素直に感謝いたしましょう・・
癌と同じで橋本病も完治するということは、ありえないらしい。
治療方法は、ホルモン補充療法。
乳癌のホルモン療法のように、毎日薬を1錠飲むだけ。
それにしても、この1ヵ月近く続いている数々の体調不良は、まさにこの橋本病の症状だった。
今週、前田病院へ行かなければ、ずっと発見されなかったかも。
全く、考えつかなかった。
うつっぽい、無気力になりがち、記憶力の低下、むくみ、しびれ、声がかれる、尿の色、、、など、私の場合は、乳癌治療の副作用や、ホルモン療法のせいで更年期障害のような症状や、放射線肺炎、癌の転移、腎臓の病気など、他の病気と間違えられがちな症状ばかり。
このお薬で、これらの症状がすっかり改善される人もいるらしいので、期待したい。
帰り、伊藤病院を出ると、すぐ帰る気にならず表参道をブラブラ歩いた。
夏の激しい日差しの下で風に揺れる青々と生い茂ったケヤキの木々の葉を仰ぎながら、たくさんの行き交う人々の間を歩いて行く自分。
なんだか、『私がいる世界』とはやけに別世界のように感じる冷めた私がいる。
2年前の秋も、この伊藤病院の並びの乳腺専門のクリニックで癌を告知され、この同じ道を途方に暮れて歩いた日を思い出した。
病気の告知と、この道、この景色、なんという因縁だろう。
午後、帰宅すると、息子が不安そうに待っていた。
息子の大好きな青山のWESTへ遅い昼食に行く。
ときどき、二人でフラッと出かけて、お互い本を読んだりしながら、ゆっくり過ごせる場所。
テーブルにつくと、「どうだった?」と息子が不安そうに私の顔を見る。
心配させるのもイヤだなと思いながらも、真剣な表情をして私の顔を見ているので、将来、医者になりたいという息子には、正直に話しておいた方がいいだろうと、詳しく説明する。
なんと言うのかと思ったら、
「よかったね、癌が治るための代償だね。」
と、笑顔でサラッと言われた。
まさに、目から鱗が落ちた。
そうだ!そうだった!!
この子は、今の私になんとナイスなことを言うのだろう。
乳癌の視点からだけでなく、橋本病とも向き合うことによって、これから一生、自分の身体に常に気を配るきっかけを与えられたのだもの。
息子よ、ありがとう。
君はきっといいお医者様になれるね・・・
そのあと、老人ホームにいる母に会いに行った。
言葉は通じないけれど、母と手をつなぎ、母の肩に顔を寄せる。
母のあたたかいぬくもりを感じているだけで、全ての緊張がほぐれる気がした。
私が娘とはわからないこの母も、
そしてこの自分も、
生きるとは、なんと過酷で大変なことなのだろう。
けれども、こうして誰かを大切に感じたり、
寄り添って愛を感じられるって、これまた、なんて素晴らしいことなのだろう。
妹からも電話がきた。
「きっとお姉ちゃまは、魂が大きいのよ!」
妹もなんといいことを言うのだろう。
これからも人を助けるために、神様から試練を与えられているのだから、ちゃんと乗り越えられるようにできているらしい。
そうだといいのだけれど
夫も仕事から帰ってくると、一生責任を持って俺が治してやるから心配するな、と真面目な顔をして言うので、笑ってしまった。
来週のスペイン旅行も、全て完璧にしたから楽しみにしていて、と非常に親切で、こわい。
肩ももんでくれるし、これからは夕飯も全て外食にしてもいいと言う。
そんなわけにはいかないけれど、普段、厳しく亭主関白な夫なだけに、滅多に無い優しい言葉
ありがたく気持ちだけ頂戴しておきます
今日は、色々な方にメールを頂きました。
優しいあたたかなメッセージ、とても励まされました。
どうもありがとうございました
これからもがんばります~。
いや、もう、がんばるのはやめて、
気楽に生きるコツを身に付けたい。
これがなかなか私には難しいのです。
もっともっと、人生を悟らないとダメかしら
とにかく、体調が復活しますように!!
表参道の伊藤病院。
こんなに甲状腺の病気の人がいるんだ、、、と新しい世界を見た。
そして、私も正式に仲間入りとなった。
今日の検査の結果、
橋本病、という病気だった。
甲状腺機能低下症とも呼ばれ、甲状腺の機能が低下し、甲状腺ホルモンの分泌が不足する病気で、特に橋本病は、甲状腺に原因があって起こる病気らしい。
そもそも甲状腺ホルモンの役割というのは、からだの元気をつかさどり、新陳代謝を活発にしてくれるホルモンとのこと。
そのホルモン量が減りすぎてしまっているのだから、何とも不安でやるせない気持ちになってくる。
乳癌の手術をし乳房を失い、抗癌剤をやったり、放射線治療をして、やっとのことで1年半が経ち、
必死に前を向いて一生懸命がんばってきたのに、
いきなり、目の前に見えない壁が立ちふさがった感じだ。
今までの、なんと言っても元気が取り柄だったようなもの。
そんな私が、元気を奪われたり、免疫力が弱まってしまう病気になるなんて、信じられない。
さすがに昨晩は夫の前で初めて号泣した。
がっくり、心が折れた。
しかし、昨晩、そこまで自分を解放したお陰で、
今日は、気持ちを切り替えることができ、
落ち着いて結果を受け入れることができた。
伊藤先生とは、知り合いだったが、こんな形でお世話になるとは夢にも思わなかった。
気楽に相談が出来てありがたいが、
先生から、「これから長いおつきあいになるのでよろしくね」と言われ、
思わず、いやです、と言いそうになった。
できるのなら避けたいおつきあいというものです
一生、薬を飲み続けなければならないらしいので、生きている限り、お世話になるのかしら・・・
まずは、このご縁にも、素直に感謝いたしましょう・・
癌と同じで橋本病も完治するということは、ありえないらしい。
治療方法は、ホルモン補充療法。
乳癌のホルモン療法のように、毎日薬を1錠飲むだけ。
それにしても、この1ヵ月近く続いている数々の体調不良は、まさにこの橋本病の症状だった。
今週、前田病院へ行かなければ、ずっと発見されなかったかも。
全く、考えつかなかった。
うつっぽい、無気力になりがち、記憶力の低下、むくみ、しびれ、声がかれる、尿の色、、、など、私の場合は、乳癌治療の副作用や、ホルモン療法のせいで更年期障害のような症状や、放射線肺炎、癌の転移、腎臓の病気など、他の病気と間違えられがちな症状ばかり。
このお薬で、これらの症状がすっかり改善される人もいるらしいので、期待したい。
帰り、伊藤病院を出ると、すぐ帰る気にならず表参道をブラブラ歩いた。
夏の激しい日差しの下で風に揺れる青々と生い茂ったケヤキの木々の葉を仰ぎながら、たくさんの行き交う人々の間を歩いて行く自分。
なんだか、『私がいる世界』とはやけに別世界のように感じる冷めた私がいる。
2年前の秋も、この伊藤病院の並びの乳腺専門のクリニックで癌を告知され、この同じ道を途方に暮れて歩いた日を思い出した。
病気の告知と、この道、この景色、なんという因縁だろう。
午後、帰宅すると、息子が不安そうに待っていた。
息子の大好きな青山のWESTへ遅い昼食に行く。
ときどき、二人でフラッと出かけて、お互い本を読んだりしながら、ゆっくり過ごせる場所。
テーブルにつくと、「どうだった?」と息子が不安そうに私の顔を見る。
心配させるのもイヤだなと思いながらも、真剣な表情をして私の顔を見ているので、将来、医者になりたいという息子には、正直に話しておいた方がいいだろうと、詳しく説明する。
なんと言うのかと思ったら、
「よかったね、癌が治るための代償だね。」
と、笑顔でサラッと言われた。
まさに、目から鱗が落ちた。
そうだ!そうだった!!
この子は、今の私になんとナイスなことを言うのだろう。
乳癌の視点からだけでなく、橋本病とも向き合うことによって、これから一生、自分の身体に常に気を配るきっかけを与えられたのだもの。
息子よ、ありがとう。
君はきっといいお医者様になれるね・・・
そのあと、老人ホームにいる母に会いに行った。
言葉は通じないけれど、母と手をつなぎ、母の肩に顔を寄せる。
母のあたたかいぬくもりを感じているだけで、全ての緊張がほぐれる気がした。
私が娘とはわからないこの母も、
そしてこの自分も、
生きるとは、なんと過酷で大変なことなのだろう。
けれども、こうして誰かを大切に感じたり、
寄り添って愛を感じられるって、これまた、なんて素晴らしいことなのだろう。
妹からも電話がきた。
「きっとお姉ちゃまは、魂が大きいのよ!」
妹もなんといいことを言うのだろう。
これからも人を助けるために、神様から試練を与えられているのだから、ちゃんと乗り越えられるようにできているらしい。
そうだといいのだけれど
夫も仕事から帰ってくると、一生責任を持って俺が治してやるから心配するな、と真面目な顔をして言うので、笑ってしまった。
来週のスペイン旅行も、全て完璧にしたから楽しみにしていて、と非常に親切で、こわい。
肩ももんでくれるし、これからは夕飯も全て外食にしてもいいと言う。
そんなわけにはいかないけれど、普段、厳しく亭主関白な夫なだけに、滅多に無い優しい言葉
ありがたく気持ちだけ頂戴しておきます
今日は、色々な方にメールを頂きました。
優しいあたたかなメッセージ、とても励まされました。
どうもありがとうございました
これからもがんばります~。
いや、もう、がんばるのはやめて、
気楽に生きるコツを身に付けたい。
これがなかなか私には難しいのです。
もっともっと、人生を悟らないとダメかしら
とにかく、体調が復活しますように!!
9月楽しみにしています♪