
【原文】
十一日。雨いささかに降りて、やみぬ。
かくてさし上るに、東の方に、山の横ほれるを見て、人に問へば、「八幡の宮」といふ。
これを聞きて、喜びて、人々拝み奉る。
山崎の橋見ゆ。うれしきことかぎりなし。
ここに、相応寺のほとりに、しばし船をとどめて、とかく定むることあり。
この寺の岸ほとりに、柳多くあり。ある人、この柳の影の、川の底に映れるを見て、よめる歌、
かくてさし上るに、東の方に、山の横ほれるを見て、人に問へば、「八幡の宮」といふ。
これを聞きて、喜びて、人々拝み奉る。
山崎の橋見ゆ。うれしきことかぎりなし。
ここに、相応寺のほとりに、しばし船をとどめて、とかく定むることあり。
この寺の岸ほとりに、柳多くあり。ある人、この柳の影の、川の底に映れるを見て、よめる歌、
さざれ波寄するあやをば青柳の影の糸して織るかとぞ見る
【現代語訳】
十一日。雨が少し降って止んだ。 こうして、棹をさしながら上って行くと、東の方に、山に横穴が掘られているのを見て、そのことを人に聞くと、「八幡の宮」だと言う。 これを聞いて、喜んで、人々は拝み奉る。 山崎の橋が見える。嬉しくて仕方がない。 そこで、相応寺のほとりに、しばらく船を止めて、いろいろと決定することがある。 この寺の岸あたりには柳がたくさんある。 ある人が、柳の影が川底に映っているのを見てよんだ歌は、 さざれ波…る (水面にさざ波が描き出す緯糸の文様を、青柳の枝葉の影が経糸となって織出しているかのように見えるよ) |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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