日本男道記

ある日本男子の生き様

29:下目黒

2011年05月29日 | 富岳三十六景
29:下目黒(View from Shimo-Meguro)/font>

江戸時代の目黒は田園であった。
この絵は左右相対、シソメトリカルに描かれ、中央に富士山の遠望で絵をしめている。
「神奈川沖浪裏」の図法を段畑で用いた感じである。
田夫、田婦、鷹狩りの侍の配置もいい。目黒あたりは、大名の鷹狩りの遊び場であった。
田舎家と段畑の描写がいささか混み入っているが、これは北斎の画法であって、そのために鍬をかついだ農夫が高い松の木と対称的に生きている。

富岳三十六景
「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いている。
初版は1823年(文政6年)頃より作成が始まり、1831年(天保2年)頃から1835年(同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。[1]版元は永寿堂西村屋与八。
発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。また西洋画法を取りいれ、遠近法が活用されている事、当時流行していた“ベロ藍”ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。
浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言える。
「凱風快晴」や「山下白雨」のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏」や「甲州伊沢暁」のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。
日本のみならず、ゴッホやドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。
当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2 コメント

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下目黒かぁ (地理佐渡..)
2011-05-29 07:49:33
おはようございます。

たぶん誇張もありますから、多少は
違うにせよ、江戸期はこのような風
景が見られたのでしょうね。
今ではもうそんなところではなくなっ
ていますけどね。

さて、出張からは昨日戻りました。
今日もこれから職場に向かいます。
来週末もまた同様の予定ですから
今のうちに出張中の後始末と、来週
の準備をせねばなりません。

妻も、当方もどうも似たような感
じでして、それでも仕事があるから
ありがたいよなと慰め合っています(苦笑)。

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Re:下目黒かぁ (日本男道記)
2011-05-29 08:00:17
おはようございます。

ホントにお疲れ様です。
今週も続くのですか?
現役から退くと出張もありません。
当然ですが(笑)

先週の月曜日、二回目の挑戦にしてキャリア関係の資格試験に合格しほっとしているところです。
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