
【原文】
六日。澪標のもとより出でて、難波に着きて、川尻に入る。みな人々、媼、翁、額に手を当てて喜ぶこと、二つなし。
かの船酔ひの淡路の島の大御、みやこ近くなりぬといふを喜びて、船底より頭をもたげて、かくぞいへる。
いつしかといぶせかりつる難波潟葦漕ぎ退けて御船来にけり
いと思ひのほかなる人のいへれば、人々あやしがる。これが中に、心地悩む船君、いたくめでて、「船酔ひし給べりし御顔には、似ずもあるかな」と、いひける。
【現代語訳】
六日。澪標のところから船出して、難波に着いて、河口に入る。一同、老女、翁ともども、額に手を当てて喜ぶこと、この上ない。 あの船酔いをした淡路の島の老女殿が、都が近くなったというのを喜んで、船底から頭をもたげて、このように言った。 いつしかと… (着くのはいつのことかと、心もとなく不安であった難波潟で、葦を漕ぎ分けながら御船はやってきたことだ) まったく思いがけない人が言ったので、人々は不思議がる。 そんな中で、気分を悪くしていた船君が、たいそうこれを褒めて、「船酔いをなさったお顔には、似合いませんね」と言ったことである。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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