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日本男道記

ある日本男子の生き様

道標(岡山県倉敷市矢部)

2005年05月15日 | 道標
道標は古くより旅人の道しるべとして、石等に里程や方向を示し、三叉路の路傍に立てられたものです。現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。散歩の途中気をつけてみて歩くと、今なお大切に残されている道標を見かけます。私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。道標シリーズ第十五段。
・所在地  岡山県倉敷市矢部
・建立年  大正四年(1915)
・建立者  矢部青年団
・導(しるべ) 右面  吉備津 岡山 大坂
        正面  川辺 やかげ そうじゃ 道
        左面  金比羅 くらしき 庄早島
        裏面  御大典記念 大正四年十一月建設 
            世話人 青年団 吉備郡高松町 彫刻人 牧野芳太郎        
・撮影日   2005/05/02
・メモ   高さ170cmがっしりしている。大正天皇即位の大礼が行われたので、その記念事業に見事な道標を建てた。
位置図


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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矢部 (地理佐渡・かんりにん)
2005-05-15 06:31:31
管理人様 おはようございます。



位置図を見させていただきました。今となっては当時とは別の道が主要道路になっている場所ですね。



地図を拝見したところ、幾つか読みの難しい地名などあります。西惣爪、庄新町、楯築遺跡等々、鯉喰神社はこいばみ神社でしょうか?



また、新興住宅地として造成されている高台。向山には三角点がありますね。さて、矢部とはどの辺にある集落でしょうか?探してみなければと思います。
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おはようございます。 (4126nk)
2005-05-15 10:02:35
コメントありがとうございます。

周辺はご指摘のとおりの場所ですが、また吉備津彦命の伝説が伝わる所が多くある場所でもあります。

詳しくはhttp://www.pref.okayama.jp/sangyo/kanko/rekishi100/011/011.htm をご覧下さい。

楯築遺跡(たてつきいせき)は、神話では、吉備津彦命が鬼ノ城にこもる温羅(うら)と戦うために、ここに陣を構え、石楯を築いて温羅の矢を防いだといわれている場所です。

詳しくはhttp://www.webtsc.com/kanko/momotarou/spot/tatetuki.htmlをご覧下さい。

次に鯉喰神社(こいくいじんじゃ)は吉備津彦命のために矢傷を負った温羅が、鯉に化けて血吸川から足守川へ出て瀬戸内海にのがれようとしたところ、逆に吉備津彦命は鵜になってこの鯉を喰い鬼のような温羅も、ついにこの場所で命を断ったという場所です。

詳しくはhttp://homepage2.nifty.com/mike1203taiyo/kibiji/koikui/koikui.htmlをご覧下さい。

最後に、西惣爪はにしそうづめ、庄新町はしょうしんまちと読みます。

良い休日をお楽しみ下さい。

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