![]() | 風の良寛文芸春秋このアイテムの詳細を見る |
【一口紹介】
■出版社/著者からの内容紹介■
良寛に学ぶ「無」を生きる愉しみ
良寛の詩・歌を愛する著者が、物にこだわらず生きることを楽しむ大切さを良寛に学び、これからの日本人の生き方を明示した名著!
「欲なければ一切足り」。厳しい修行と持戒無一物の暮らしに徹し、なお<遊游>と生きた良寛。
その詩や歌に魅せられ、長い間座右の銘に置いてきた著者が、本当の心の安らぎ、豊かさとは何か-----従来の習慣やものにこだわらず人生そのものを楽しむこと、棄てることの大切を良寛に学び、これからの日本人の生き方を明示した名著。
【読んだ理由】
ブログでの友人に紹介されて。
【印象に残った一行】
『有為でなく無為、鳥の声を聴き、白雲を見、自分自身が自然の一部になりきったような所にいて、それを退屈と感じない。
感じないどころか、そこにこそ真の「道」(タオ)がある。
無限にゆたかなものがそこから流れ出てくる始源に自分はいる。
ときにその静寂の中で座禅し、ときに詩を作り、晴れれば乞食に出て児童と遊ぶ。世の人のいう有益なこと、実利のあることは何もせず、托鉢で得た僅かなもので生をつなぎ、恵んでくれた人に感謝し、のこりのたっぷりある時間を瞑想や座禅や、読書や、書を書くことや、つまり己が心の充実のためにばかり使っている。
良寛は何も持たなかったけれども、時間に関するかぎりは、どんな王侯にもまさった時間大尽だった。
時間のすべてが自分のためにあった。
多忙の中にではなく、そういう自分のためにだけの時間の中、無為の時の中にこそ、真の心の充足があることを実践してみせたのが、良寛なのだ。
「徒然草」に、
名利に使われて、閑かなる暇なく、一生苦しむことこそ、愚かなれ。(第三十八段)
とあるが、たとえどれほどの富を得、どれほどの名声を得ようと、そういう外物のために捧げた生ほど愚かしいものはないのは、ちょっと考えれば誰にでもわかることだが、世の多くの人はそっちを選んでしまう。
草の庵に足さしのべて小山田のかはづ聞くがたのしさ』
【コメント】
「吾唯足るを知る」を実践した良寛、我が家の近くにある、その修行の地である『円通寺』を再度訪ねて、第四コーナーにさしかかった吾が人生の来し方、これからを考えてみよう。

