不良おやじの小言

思いのまま、自分で考え 人の生きる人生を認めた上で 

自由に、のびのびと、たった一度の人生

不正融資事件(2)

2008年08月09日 | 国内不正・汚職事件
不正融資事件(2)
この中の事件は表面にでたものばかりです。
この日本の仕組みではまだいっぱい同様のことがあると思います
(例えば元K総理と広域暴力団稲川会)。
これからも過去の亡霊のような事件が多発すると思います。私もお金は欲しいのですが、
金のことは不浄だと教わってきたのです、でもやっぱりお金?
この事件たちをみていると、金融破綻の時の税金投入は、国民や中小企業のためでなく
、税金を食い物にした人たちへの、また税金の穴埋めだったようですね。

1)コスモ信金事件-1990年(楽天ブログより)
経営破たんしたコスモ信組(本店・東京)が高値で買い集めたエスエス製薬株への投資で
約六十五億円の含み損をかかえていることが、
十日、同信組がまとめた昨年九月期の仮中間決算から分かった。
バブル全盛期の天井相場で買い込んだ株が半値前後まで値下がりした結果だ。
この株買い集めは、泰道三八前理事長がエスエス製薬への影響力を確保するために指示したとされ、
同製薬の会長になるなど、「経営私物化」で破たんを招いた一端が、また浮かび上がった。
コスモ信組が保有するエスエス製薬株は一千百十七万三千株。仮中間決算によると、
この購入原価(簿価)は百三十二億千六十三万円なのに対し、
昨年九月末現在の時価は六十六億四千七百九十四万円しかない。
この差額の六十五億六千二百六十九万円が含み損となっている。
コスモ信組によるエスエス製薬株の買い集めは一九八一年から始まり、九四年まで続いた。
バブル最盛期には年間二百万―三百万株を一株千百―千七百円の高値で購入した。
しかし、株式相場の暴落に伴い、昨年以降は五百二十―八百円で推移している。
また、時価を数百円上回る単価で購入したケースもあり、
正常な取引なのかどうか、コスモ信組内部でも疑問が出ていた。

同信組の複数の元役職員の証言では、株買い集めは、泰道前理事長の指令で進められた。
前理事長は、大株主の地位を背景に、九〇年にはエスエス製薬の代表取締役会長に就任。
元役員らは、泰道前理事長が買い集めを指示した理由として
(1)コスモ信組への帰属意識が薄いエスエス製薬への支配力を強める
(2)泰道前理事長個人がエスエス製薬の経営トップに入ることを希望していた
などを指摘している。 エスエス製薬は二七年に設立され、
戦後になって泰道前理事長の父親が経営権を握った。
現在の社長は泰道前理事長の義兄の直方氏だが、
両者は疎遠といわれている。コスモ信組に十億円を出資しているものの、
無借金経営のためコスモからの借り入れはなく、泰道一族が経営するグループの中でも、
コスモ信組からの独立色が強い。
このため、泰道前理事長は大株主の立場でエスエス製薬への支配力を強めようとした、とみられている。
破たん後、泰道前理事長はエスエス製薬会長を辞任したが、
同信組職員の間には「個人的覇権への思惑から信組を私物化した結果であり、経営責任を取るべきだ」
との批判が高まっていた。
小泉元総理とは親戚筋にあたる。

2)金丸信脱税事件-1995年
(月刊基礎知識より抜粋) 
平成5年3月6日、東京地検は、自民党元副総裁の金丸信と秘書の生原正久を、
所得税法違反(脱税)の容疑で逮捕した。
金丸は、前年の「佐川急便事件」で、巨額の金を受け取っていながら
申告していなかったことで略式起訴されていた。
しかし世論は、略式起訴で片付けてしまった検察に強い不満をもっていた。
そのような状況の中、金丸が、
日本債券信用銀行の割引金融債「ワリシン」を大量に購入しているとの情報を得た。
そこで、東京地検が、金丸の事務所・自宅を家宅捜索した。この結果、
金丸の金庫から何とワリシンなど70億円の有価証券類がでてきた。
このワリシンは3000万円以下であれば無記名で購入が可能で、脱税する側は都合が良かった。
更に、金丸は名義を分散して複数の銀行口座を使うなど悪質であった。政界のドン金丸は、
ゼネコンからの資金がベースになっていた。正規の政治献金以外に、
巨額の盆暮れの付け届けや闇献金でワリシンを購入して、所得申告をせず金庫に貯め込んでいた。
捜査は、このゼネコンも対象となった
。東京地検・特捜部は、金丸の献金元であるゼネコン20社の家宅捜索を実施。
そこで押収した各社の帳簿から賄賂授受の実体が明らかにされる。
6月末、宮城県・仙台市の石井亨市長が、市の公共工事の発注に伴う賄賂1億円を
ハザマ、西松建設、三井建設、清水建設の4社から受け取っていた。
更に茨城県、埼玉県などの市長、知事なとが逮捕される。
ゼネコンも上記4社以外に大成建設や鹿島などの会長・社長等も逮捕され、
24人が贈賄容疑で逮捕、起訴された。金丸の追徴税額は、
43億円を超えると見られていたが、
平成8年3月26日、山梨県の自宅で脳梗塞によって死去した為、公訴棄却となった。


3)阪和銀行・副頭取射殺事件-1995年(事件史探求より抜粋引用)
平成5年8月5日午前7時50分頃、和歌山県を本拠地とする
地方銀行の阪和銀行副頭取・小山友三郎さんが自宅に迎えにきたハイヤーに乗り込んだところ、
突然白ヘルメットでサングラスの中年男が近づき、
不思議なことに「部長!」と叫んでピストルを3発発射。小山副頭取は30分後に死亡した。

名門地方銀行の副頭取が白昼堂々と射殺されたことに大きな衝撃が走った。
特に、バブル崩壊後の債権回収や融資打ち切りなどトラブルが続出している銀行業界では
恐怖のどん底に陥った。が、結局この事件は警察の懸命な捜査にもかかわらず迷宮入りとなった。
同行では以前から闇社会とのトラブルがあり様々な憶測が続いた。

特に事件から4年後の平成9年11月、和歌山県警が特別背任容疑で同行の橋本元頭取等が逮捕され、
複数の暴力団・右翼団体に食い物にされ「ヤクザの貯金箱」とまで
呼ばれるようになっていた実態が明らかになった。
同行は前年の平成8年11月に業務停止命令をうけ事実上倒産した。
この時に当局が入手した資料に「特殊案件貸し出しリスト」があり、廃業直前まで暴力団関係、
右翼団体関係などに総額14億5000万円の不正融資をしていたことが発覚した。
同行が廃業まで転落するきっかけは平成3年9月に月刊誌「SEIKAI」で
同行経営陣への批判記事からだった。同行は当初無視していたが、
福田秀男頭取(当時、以下同)の長男である
福田文七郎常務の私生活を暴露されるなど多大な影響を及ぼした。
そこで、発行元の政界出版社を相手取り損害賠償を求める民事訴訟をおこした。
これに対し同誌はインサイダー取引疑惑など同行への攻撃を益々強めていった。
この頃、同行では橋本副頭取と福田常務、小山専務の3人の経営陣抗争が激化していた。
そのため橋本副頭取は小山専務が自分の失脚を目的に出版社へ記事内容をリークしていると憶測し
、知人の紹介で和興開発の前田喬社長へ出版社との仲介役を依頼した。だが、
この時の話し合いで同行は仲介を断った(恐らく、同行にとって不利な条件が多々あったと思われる)。

だが、前田喬社長は「SEIKAI」の記事中止をさせれば
阪和銀行からの融資を得ることができると考え、今度は小山専務へアプローチを始めた。
そこで自分の長男・前田雅生が社長を務める不動産会社で三共土地開発に融資依頼する
ことを思いついた。ここに和興開発と暴力団組長らが共同で三共土地開発に阪和銀行から融資させる
構図が出来上がった(この会社は設立当時、広域暴力団組長や右翼団体幹部が役員を勤めていた)。
平成4年5月、阪和銀行の小山専務、暴力団組長、前田喬社長、政界出版社の社長が一同に集まり
「福田常務による政界出版社への損害賠償請求訴訟の取り下げ」を条件に
同誌の連載記事中止が決定した。ところが、福田常務は訴訟取り消しを拒否した。
この頃、株主総会で福田秀男頭取の引退、福田文七郎常務の解任が決定し小山専務が副頭取に、
橋本副頭取が頭取に昇格した。
が、その裏では福田元常務の政界出版社への訴訟取り下げの約束が実行できず、
小山副頭取は苦しい立場に追い込まれていた。

この結果、約束違反だとして暴力団組長や前田喬社長らは同行からの融資話をエスカレート。
小山副頭取は行内の反対を押し切って、不正融資を重ねていった。
平成9年11月、特別背任に連座したとして、
橋本元頭取ら旧経営陣と融資先である三共土地開発の
前田雅生社長、実父・和興開発の前田喬社長、暴力団組長等を逮捕した。
しかし、結局は橋本元頭取だけが起訴され
平成11年3月、一審で懲役2年、執行猶予3年を言い渡された。

4)山一証券粉飾決算「廃業」事件-1998年(月刊基礎知識より抜粋)
山一証券はかつての4大証券会社のひとつで、法人営業に強く、「法人の山一」ともいわれた。
創業は1897(明治29)年。1960年代なかば頃の証券恐慌で危機を迎えるが、
日銀特融により持ち直す。しかし30年後の97(平成9)年11月、
経営破たんを招き、自主廃業した。1998(平成10)年3月4日、
山一証券の経営破綻を招いた約2700億円の債務隠し事件で、
商法違反(違法配当)などに問われた
前会長行平次雄、前社長三木敦夫、前副社長白井隆二各容疑者ら3人が東京地検特捜部に逮捕され、
同年9月16日、東京地裁で行平、三木両被告の初公判が開かれた。検察側の冒頭陳述によると、
「法人の山一」とよばれた同証券は、事業法人から直接資金を預かり一任勘定で運用するなど、
いわゆる「ファンド」営業を展開していたが、株式相場の急落以降、膨大な損失を抱え込んだ。
行平被告らは、この巨額の含み損を「顧客企業との取引で評価損を生じた場合、
決算で損失が表面化しないよう決算期の異なる企業間で含み損のある有価証券を転売する=飛ばし」
方式で粉飾決算を重ね、約3500億円の簿外債務を発生させ会社を破綻に追い込んだ責任を追及された。
この山一証券破綻の核心である飛ばし処理について、
大蔵省の証券局ぐるみの指導・助言があったとの疑惑がある

5)東京協和信用組合・安全信用組合破綻事件-1995年(広瀬隆著「私物国家」より)
95年6月27日、東京地検特捜部は、経営破綻したふたつの信用組合、「
東京協和信用組合」の理事長だった高橋治則と、
「安全信用組合」の理事長だった鈴木紳介を、背任容疑で逮捕した。
この事件では、小沢一郎や中西啓介らの政治家が、大蔵官僚たちと共に、
高橋治則の自家用ジェット機で、オーストラリアなどのカジノ遊びに明け暮れ、
そのような乱脈の限りをつくす遊興費が、信用組合を舞台に捻出されていたのである。
最後には、倒産したこのふたつの金融機関の再建のため、東京共同銀行を設立して、
彼らが遊んだ金の穴埋めにわれわれの都民税を投入しようという計画が、
堂々と大蔵官僚や日銀総裁・松下康雄たちの手で進められた。
小沢一郎は、中曾根康弘内閣の自治大臣として、
国家公安委員会委員長のポストについてから闇の世界を動き周り、
自民党の幹事長時代には、財界に300億円の献金を請求して、
今日の日本全土にはびこる政財界の腐敗を生み出す土壌をつくった。
次には新生党の幹事長を経て、新進党の幹事長となり、
比例名簿の順位決定権をにぎってオレンジ共済組合詐欺事件をひき起こし、
それでも新進党の党首となった土建業界の利権者であった。
中西にとっては、小沢一郎と遊んだオーストラリアへのカジノ旅行は序の口で、
自民党当時すでに、イ・アイ・イ・インターナショナルから月額82万円のマンションを無償提供され、
87年にはイ・アイ・イが中西のためにパーティー券6000万円分を購入しながら、
使途不明金として処理していた。さらに、イ・アイ・イ・グループが
中西の公設秘書・小川博光の関係先に26億円を融資していたことが発覚したのである。
その後の中西は、小沢幹事長が支配する新生党で細川護熙内閣の防衛庁長官をつとめ、
続いて、新進党の選挙対策事務局長として、やはり小沢と一体となって、
オレンジ共済事件の主犯として逮捕された参議院議員・友部達夫と密談を重ねていた。
これに対して、逮捕された山口敏夫は、建設政務次官だった山口六郎次の三男として
土建業界の小さな利権屋となり、小沢と共に中曾根内閣に入閣すると、労働大臣となり、
その後も小沢幹事長の側近として新進党の幹事長代理をつとめてきた。
イ・アイ・イの高橋治則とは 20年来の付き合いで、ふたつの信用組合から山口側に流れた金は、
合計300億円以上とされている。泉井事件で絵画を贈られた涌井洋治が主計局主計官だったように、
高橋と密着して "訓告"を受けた中島義雄は85年に、田谷廣明は87年に、いずれも主計局主計官とし
て国家予算を動かしてきた。
大蔵省が彼らを免職にできなかったのは、彼らが喋ると困る上司が、山のようにいるからである。

6)厚生省汚職事件-1996年(事件史探求より抜粋引用)
平成8年11月18日、警視庁と埼玉県警は厚生省課長補佐の茶谷滋と
社会福祉法人「彩福祉」グループ代表の小山博史を贈収賄の容疑で逮捕した。
更に翌19日、小山代表から6000万円を受け取っていた疑惑で厚生省事務次官・岡光序治が辞任。
12月4日に収賄容疑で逮捕された。
この3人は福祉を食い物にして「私腹を肥やす」という典型的な官僚-民間の汚職事件を引き起こした。

小山は昭和55年頃、玉置和郎参議院秘書を経て福祉を目的とした「彩福祉」グループを設立した。
一方、厚生省の岡光は平成元年6月に厚生省の老人保健福祉部長に就任。
このポストは社会福祉法人を認可する都道府県知事の監督、
特別養護老人ホームへの補助金許認可を担当するもので、 ここに岡光と小山の利害関係が一致した。
更に岡光は厚生省から埼玉県に出向していた高齢者福祉課長の茶谷滋を小山に紹介し
3者一体の汚職が開始された。
平成5年8月、小山が申請した社会福祉法人「桃泉園」が茶谷らの便宜で認可された。
この認可を端緒に社会福祉法人「彩吹会」・「彩光会」、特別養護老人ホーム「吹上苑」など
次々に法人を設立。小山は埼玉県内に6つの特別養護老人ホームを建設するという異常ぶりだった。
また彩光会の理事に岡光の妻が就任していた事実も判明した。
この許認可に便宜を図ってもらうため小山は茶谷の埼玉県出向を1年間延長する要請を岡光にしていた。
小山は、この特別養護老人ホームの建設にあたってJWMという建設会社を設立。
県からの建設認可でJWMを通して大手ゼネコンに請負させて利ざやを稼いでいた。
日本は高齢者社会に変遷していくなかで「高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略(ゴールドプラン)」
を制定したが、岡光、小山、茶谷らは、この政策(補助金)につけこんで私腹を肥やしていた。
岡光は「要求型汚職」の典型で小山に数々の便宜の見返りとして、
自動車・ゴルフ会員権・自宅マンションの購入資金など約6000万円を受け取っていた。
茶谷も同様に1020万円を受け取っていた。
平成8年10月、茶谷は衆議院選挙で埼玉6区から出馬したが次点で落選した。
この落選を待っていたかのように警視庁、埼玉県警は11月18日、収賄容疑で茶谷を逮捕、
小山を贈賄容疑で逮捕した。12月になると厚生省最高トップの岡光次官を収賄容疑で逮捕した。
さらに厚生省の幹部職員16人が小山から接待を受けていたとして処分を受けた
(当時、小泉厚生大臣)。
平成10年6月24日、東京地裁は岡光元厚生省事務次官に懲役2年、
追徴金6369万円の実刑判決。岡光は判決を不服として東京高裁に控訴。
茶谷は懲役1年6ヶ月、執行猶予4年、追徴金1122万円の判決。
小山は懲役1年6ヶ月、追徴金600万円の実刑判決。小山は判決を不服として控訴した
(いずれも平成10年6月24日現在)。平成10年1月に発覚した「大蔵省・日銀接待事件」
と同様、官僚が国民ではなく自身の私腹を肥やす事のみに目が向いていた事件であった。

7)大蔵省・日銀接待事件-1998年(事件史探求より抜粋引用)
平成10年1月26日、東京地検・特捜部は、大蔵省(当時)の銀行局や金融検査部を家宅捜索した。
その結果、大蔵省・金融検査金融証券検査官室長の宮川宏一と
同部管理課課長補佐の谷内敏美を収賄の容疑で逮捕した。宮川は、
第一勧業銀行(当時)への検査で手心を加え、その見返りに過度な接待を受けていた。
谷内は、自宅マンション購入の際、あさひ銀行(当時)の関連会社から400万円の値引きをさせ、
その見返りとして検査に手心を加えていた。この逮捕のきっかけは、
証券会社による総会屋への利益供与事件であった。
総会屋の小池隆一(平成9年5月14日商法違反で逮捕)は、4大証券の株を大量に購入し、
大株主の立場を利用して不正な取引を要求していた。東京地検は、
小池の株購入資金の出所を調査した結果、第一勧業銀行であることを突き止めた。
第一勧業銀行は、担保も殆ど無い状態で小池に500億円の融資をしていた。

そこで東京地検は、第一勧業銀行に対して事情聴取を開始。
厳しい事情聴取で、宮崎邦次会長が自殺した。第一勧業銀行への取調べで発覚したのが、
「MOF(Ministry-of-Finance)担」と呼ばれる銀行幹部社員達だった。彼らMOF担は、
大蔵官僚に対する接待を目的とした担当者で、一日中、大蔵省に張り付き、
銀行への検査日程や金融行政の動向を探っていた。大手銀行は、このMOF担を複数配置して、
大蔵官僚を銀座や赤坂の高級クラブ、料亭で饗応したり、休日のゴルフなどで接待漬けにした。
日本興行銀行では、大蔵官僚や特殊法人への接待は、年間1億円を超えていたという。

馬鹿げた接待で特に有名だったのが、「ノーパン・しゃぶしゃぶ」接待である。
しゃぶしゃぶ料理店のウェートレスが、ノーパン・ミニスカートで料理を運んでくるという店が、
官僚達には好評だったらしい。
大蔵官僚、MOF担も、共に東大卒のエリート。
それ故に、この馬鹿げた接待が好評であったのだろう。この一連の接待饗応で、
銀行のMOF担に、銀行への検査日や金融行政動向などをリークする官僚が多数いたという。
大蔵省と日銀は、幹部職員百数名に対して、停職・減給・戒告などの処分を実施したが、
本丸である証券局長や銀行保険部長など高級官僚は、司直の追及から逃れることができた。
よく大蔵官僚は「自分達が居なければ、日本はどうなるのか」と言う。
が、彼達が居たから、日本はここまで低迷してしまったことに気づいていない

8)日債銀社長怪死事件-2000年(事件史探求より抜粋引用)
平成12年9月20日午前8時30分頃、
日本債権信用銀行(以下、日債銀)・本間忠世社長(当時60歳)が、
出張先の大阪市内にある阪急インターナショナルホテルの一室で首を吊っているのを発見され
直ちに病院に搬送されたが同9時11分、病院で死亡が確認された。

大阪府警曽根崎署は、本間社長が首を吊った部屋から5通の遺書が見つかったことから自殺と断定。
この遺書は3通が会社関係宛、2通が家族宛だった。
このため、警察は司法解剖することなく本間社長の遺体は荼毘にふされた。
だが、その後次々と他殺説を裏付ける状況が明らかにされると、
「本間社長は殺害されたのではないか」という噂が絶え間なく続いた。
まず、首吊り自殺したとされる19日夜に、
偶然隣の部屋に宿泊していた女性歌手でタレントの森公子さんが、「隣の部屋が騒がしい」と
ホテル側にクレームをつけていた事が判明。
更に、本間社長が首吊りしたとされるカーテンレールになんら変形が無かった事や
紐の入手先が判明しなかった事など不自然な点が多々あった。

日債銀は平成9年に、バブル崩壊で生じた約3000億円にのぼる不良債権を
処理しきれなくなった系列ノンバンク3社の自己破産を申請。こ
のため同行に対する経営不安は一気に高まった。
この頃、次々と金融機関が破綻し日本の金融界は世界的な規模で信用を凋落させていた。
そのため、もうこれ以上、銀行の倒産は避けねばならないと判断した大蔵省(同時)と日銀は、
日債銀の救済のため大手銀行34社に増資を要請した。
銀行側は強い反発を抱きながらも゛お上゛の意向には逆らえず、
総額2000億円の資金を日債銀に供出した。この時、
日債銀への増資をお願いして回ったのが当時の日銀理事だった本間氏だった。
それから3年後に、こともあろうに本間氏が日債銀の社長に就任したのだから、
金融業界からは納得がいかないとの声が多かった。

いずれにしても、日債銀は大蔵省、日銀主導の下で一時的に国有化されたあと、
ソフトバンク、オリックス、東京海上3社の企業連合に譲渡され
平成12年9月4日に本間氏は同行の社長に就任し新生゛日債銀゛として再スタートを切った。
それから、僅か半月後に本間社長は自殺した。
金融再生委員会は、日債銀がバブル期に貸し付けた債権のうち、
約1000億円が゛反社会的勢力゛に貸し付けていたと公表した。
このため、闇社会とのトラブルに巻き込まれ殺害されたのではないかとの噂が広まった。
その後、平成13年1月に日債銀は、「あおぞら銀行」としてデビューした。

(参考)泉井事件-広瀬隆著「私物国家」より
総会屋事件で、主犯格の第一勧銀副頭取の金沢彰が逮捕された。
その義父が徳永久次で、通産事務次官から石油公団総裁への天下りであった。
その徳永を動かす石油資源開発の代表社長が和田敏信で、
これも通産事務次官から石油公団総裁への天下りであった。
しかも和田は、霞ヶ関の通産官僚天下りの支配者と目されてきた。
国家予算を握る大蔵省主計局で、主計官として大きな実権を握り、
近く事務次官になるだろうと目されていた涌井洋治官房長(現・主計局長)が、
逮捕された泉井純一から結婚祝いに絵画を受け取っていたことが発覚した。
これまで日本で起こった無数の金融事件で、絵画などの美術品が重要な役割を果たしてきた。
まず、公職にある政治家や官僚が、その職権にかかわる分野の人間から現金を受け取ることは、
ワイロの収賄罪にあたるので、役得を利用したい人間は、ほかの合法的な手段を考える。
政治家は、いくらでも現金を入れることができる政治献金という大きな魔法の壺を持っている。
官僚の場合は、天下りポストである。その天下り先で約束される給与と退職金は、
たちまち数億円に達する法外なものである。 「政治献金が少ない」と、
グチをこぼす政治家や、天下る日まで我慢できない若手の官僚たちは、
美術品というものが、法外な価値を生み出す謎を知っているのである。

ワイロを贈って官僚の歓心を買い、手心を期待する輩が、
この値段不明の美術品を、官僚に贈ったとする。ところが実際、
それが、百万円の価値しかない美術品であっても、
なぜかその贈賄業者の使途不明金から、美術商には百倍の一億円が闇のなかで支払われる。
そのあと、「なに、大したものではございません」と言って、
片目をつぶって、美術品が官僚に贈られる。
美術商が、これで百倍の利益を得るのではない。こうした取引きに登場する美術商は、
いつでも決まっており、一億円をひとまず預かる形になる。しばらくたってから、
彼らはその一億円を持って官僚のもとを訪れ、美術品を一億円で買い戻す。
これで、贈賄業者から官僚に一億円が渡ったことになる。
美術商は、あらかじめそれを知って、うまく事を運び、相応のコミッションを受け取る。
涌井洋治の場合は、泉井から贈られたのが数十万円の絵画なので、
大した事件ではないと思ってはいけない。それは彼らの表面上の付け値であって、
値段は、あとでどのようにでも調整できるのである。
大蔵大臣の三塚博が、口頭で涌井に厳重注意した、という程度ですまされる問題ではない。
石油業界からこのような好意を受けた涌井が、今では大蔵省で復活し、
主計局長となってわれわれの税金を動かしている状況が、許されるであろうか。

国税当局によると、泉井純一は、泉井石油商会の代表で、92年から94年にかけて、
三井鉱山から24億円を受け取り、
三菱石油と三井鉱山の石油取引きの仲介手数料という名目で 30億円、
さらに三菱石油と中堅商者の石油取引きの仲介手数料という名目で10億円、
総額およそ64億円が泉井純一に提供されたのである。
問題は、これらの大金が政治家と官僚の接待に使われたことにあり、その目的は、
ベトナム油田開発の利権を誰がとるか、その帰趨を決するところにあった。
97年9月に泉井本人が記者会見をして、自民党の山崎拓が、
泉井から2億円を超える"政治献金"を受けとっていた事実を明らかにしたが、
山崎だけでなく、数えきれない数の政治家に汚染が広がっていた。

この事件が報道界を騒がせた97年初め、通産官房長として
泉井事件の調査担当官に任命された広瀬勝貞は、省内の全調査をしたそうだが、
大山鳴動鼠一匹出ず、という結果を報告し、通産大臣の佐藤信二もまた、
官僚たちにお叱りをした程度で、われわれから見れば、全員がほとんど無処分となった。
通産大臣だった森喜朗が泉井と会っていた疑惑は重大である。

政治家としては、渡辺美智雄が主導権を握ってベトナム油田に熱中したが、
彼は、泉井が活発に活動した時期の85年12月から中曽根内閣の通産大臣として
石油の利権にかかわってきた。その当時、渡部と組んだ通産事務次官が、
田中角栄の首相秘書官時代に『日本列島改造論』の原案を作った小長啓一であった。
そして小長は、天下りしてアラビア石油の社長に就任し、示し合わせたように、
ベトナム油田開発に参入した。小長の後を継いで事務次官に就任し、
渡部通産大臣と組んだのが、福川伸次だったのである。
そして福川が、事務次官を退任したあと、野村総研に天下りして、
野村證券会長と社長の田淵節也と田淵義久とベトナム事業を検討することになった。
それを円滑に進めるために登場したのが、総会屋の小池隆一だったのである。

日本の検察の能力は、政治家や高級官僚を調査する段階にはいると、
著しくレベルが低くなる。そのような人選が、司法当局によってなされるからである。
蔵相・三塚博の場合は、彼の地元・宮城県で、山口組系の暴力団との関係が噂された当時、
県警がそこにかかわる重大な捜査に踏み込んだあと、
刑事部長以下すべての担当者が退職か異動で、捜査からはずされているのである。
泉井の接待は、80年ごろからはじまったというから、すでに20年近く、
この腐敗が進行してきたことになる。
特に、70年代に四代にわたって「通産事務次官」をつとめた
両角良彦・山下英明・小松勇五郎・和田敏信の四人が、
現在われわれが見ている高級官僚の人事を決定してきた重要な責任者である。
とりわけ、事務次官を退任したのに、82年から石油公団総裁として君臨し、
この公団傘下の石油資源開発と、日本海洋石油資源開発をはじめとする海外石油開発の関連会社で、
実に十数社の社長を勤めた前述の和田敏信こそ、泉井純一がこの事件でベトナム油田開発のため、
三菱石油に接触する事業の中心にいた人物であった。 そのため泉井は、和田敏信のような次官らの
、かつての部下にあたる日本全土の石油人脈を
招いては、東京都内のホテルで豪華な"忘年会"を毎年開催し、
ホテルにスイートルームを確保して「自由に使ってください」と、
銀座のクラブの女性まで招くパーティーを主催するまでに至った。
これは、事実上の高級売春パーティーであったと考えられる。

そうした中、ベトナム沖の油田開発に、最初に名乗りをあげたのが三菱石油であり
、89年にその社長に就任したのが、泉井のパーティーの出席者で、
のちにワンマン経営者として知られるようになった山田菊男であった。
しかも山田菊男社長のもとで、部下として立ち働いていたのが、
たまたま同姓の山田繁常務であった。泉井事件で大金を出費した最大の責任者である山田菊男は、
かつての日銀総裁・三島弥太郎の一族であり、弥太郎の姪と結婚したのが、
戦後の名物ワンマン宰相・吉田茂であった。 吉田茂の近親者がほかならぬ、
霞ヶ関の大騒動を見ながら泉井事件を無視した通産相・佐藤信二である。
三菱石油の山田菊男社長がこのような一族であったなら、一方、石油公団総裁となり
、石油業界を私物化した和田敏信は、長男が三井物産勤務であり、
長女の娘ムコが三菱石油勤務であった。三菱石油に勤務するその娘ムコの伯父が、
満鉄総裁として日本の満州・蒙古侵略積極論を展開した外務大臣・松岡洋右であった。
細川護熙の祖父が組閣した第二次近衛文麿内閣で外交問題を動かした松岡は、
日独伊の三国枢軸同盟を結び、ヒットラーとムッソリーニを訪問したことでよく知られるが、
戦後A級戦犯となって、東京裁判の公判中に病没した。 しかし松岡洋右の姪は、
"首相・佐藤栄作"夫人の佐藤寛子であるから、その息子が、通産省・佐藤信二となる。
泉井事件で40億円の資金を闇にまいた三菱石油の社長山田菊男と、
そのような闇資金による怪しげな接待を受けた通産官僚を支配した石油公団総裁・和田敏信が、
いずれも、泉井事件をもみ消した橋本内閣の通産大臣の一族だったという事実が浮かび上がる。
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