『国は富めるも、民は貧し』
10/28 NHKラジオ『ビジネス展望』 内橋克人さんのお話の要約です。
河上肇の『貧乏物語』
『国は富めるも、民は貧し』の意味は、
国の富すなわち国富は、その国に生きる国民の豊かさとはイコールではない、
ということである。
この言葉は、有名な河上肇の『貧乏物語』に出てくるものである。
『貧乏物語』というのは、1916年(大正5年)に大阪朝日新聞に連載が開始された。
その単行本は岩波文庫だけで、実に 40万冊を超えるベストセラーとなった。
その『貧乏物語』の冒頭のあたりで、次のように書かれている。
「国は著しく富めるも、民ははなはだしく貧し。
げに驚くべきは、これら文明国における多数人の貧乏なり。」
そして、当時世界で最も富める国とされたイギリスでの現実、これが数字で示されている。
例えば20世紀初頭の頃のことであるが、
首都ロンドンで、貧しい人の合計は全人口の実に3割、労働者全体の44%にも上っていた。
なぜ貧しいのか?その理由として、貧困に陥る原因別の割合を出している。
最多数は、毎日規則正しく働いているにもかかわらず、賃金が低いために苦しんでいる割合である。
そして、2番目には家族数が多いため、といったことが順次出てくる。
今日で言う”ワーキング・プア”だと言えるだろう。
それが貧困層全体の 74%を占めているというヨーク市の例も紹介されている。
このように 、いち早く産業革命を起こし世界に植民地を広げ
富を独り占めしていたはずの英国社会でさえ、これが現実であったと、こういうことである。
宇沢弘文さんの『経済学は人びとを幸福にできるか』
今なぜ、この『貧乏物語』のお話しを私がするかといえば、
先月亡くなられた宇沢弘文先生が、次のように書かれているからである。
宇沢弘文さんは経済学の泰斗であり、社会的共通資本の概念で知られている。
『今から50年前、私は数学から経済学に移った。(つまり専門をお変りになった)
その直接的なきっかけは、河上肇の『貧乏物語』を読んだことだった。
大きな感動を覚えた。』
と、こう書いておられる。
日本の現実に照らして、多くのことを教えていると言えよう。
宇沢弘文さんは、東日本大震災の直後に倒れられている。
その後、昨年秋に出版されたのが『経済学は人びとを幸福にできるか』という書籍であった。
ただし、この本は過去に発表された論考を集めたもので、
もともと底本になったのは、2003年に出版された『経済学と人間の心』という本であった。
けれども、この御不自由なお体の中で、
今回の刊行に際し、一つだけ文書を付け加えておられている。
初めの言葉として、わずか800文字ほどの文書である。
その中で、数学から経済学へ進路を変えたご自身の動機について回顧されていて、
『貧乏物語』のはじめの言葉、つまり河上肇が引用しているジョン・ラスキンの言葉を引いている。
原文で書かれているのであるが、
宇沢さんは、これを、「富を求めるのは、道を聞くためである」と言っておられる。
河上肇も同じように、
「富は目的ではなくて、道を聞くため、
聞くという人生唯一の目的を達するための手段としてのみ意義あるに過ぎない』
と書いている。
けれども今や、その富の追求・拡大をもって価値の総て、
あるいは至上の目的とする社会へと、さらに世界は加速していくように思われる。
その裏付けを経済学がやっている、
それでいいのか?という問いかけであろう。
宇沢弘文さんの『豊な社会の貧しさ』
宇沢さんは 1989年に刊行された岩波新書で、『豊な社会の貧しさ』という作品を書かれている。
その序章に、”経済的繁栄と人間的貧困”というのを書いておられる。
バブル膨張の最中のことであるが、そのお言葉は、
「統計的・表面的豊かさと実質的・人間的豊かさとの対比こそ、
日本の現在を鮮明な形で特徴づけているものはない。」
さらに、「日本社会の現代的貧困の中に、統計的パフォーマンスの高さをもたらす秘密がある。」
と、こういうことである。
宇沢さんは、これを、『日本社会の病理現象だ』と言って糾弾されているのであるが、
国民が貧しくなればなるほど、統計的には国民経済(GDP等)の数値が膨らんで行く、ということである。
第1章の『水俣病は終わっていない』というところでは、
公害を引き起こした当事者(チッソ)による被害者への賠償負担について、
その支払い額を抑えるために、水俣病認定基準を著しく低くしてしまった。
このような環境行政を、厳しく批判しておられる。
考えてみると、東日本大震災、福島原発事故の後であるが、
放射線被ばく量の安全基準を、
一時、年間1ミリシーベルトから20ミリシートベルトへと大幅に緩和した措置がある。
これと通じているように思われる。
宇沢さんの『社会的共通資本の概念』の重要性
価値が人間の命ではなくて、富そのものに置かれている。
日本経済の繁栄と人の命との乖離(かいり)によって成長が可能になる経済とは、何なのか?
それを裏付けようとする経済学とは何なのか?
日本社会の現代的貧困を問い続けた稀有の経済学者、
それが宇沢弘文さんと河上肇のお二人であったと考えている。
今あらためて、宇沢さんの『社会的共通資本の概念』の重要性を見直すべきである。
”社会的共通資本”の概念は大切である。
この宇沢経済学のあまりに高い倫理性、一体誰が引き継いでいかれるのか?
これを単なる”公共財”と捕らえる近代経済学に、その能力有りや無しやと問いたいと思う。
『経済は栄え社会は亡びる』という言葉があるが、そのなってはならないのである。
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