おれと朝比奈は店を出ることにした。本格的に開店の準備を始めるから長居しては迷惑だって、朝比奈もいつもリハが終われば早々に失礼するそうだ、、、 リハって、これでおれも業界人か、、、
マリイさんはクルマが止めてあるところまで見送ってくれて、扇子であおぎながらまだ暑いわねえと、顔をげんなりとさせた。陽が落ちても空気が動かず、その分だけ温度が積み重なったみたいで、おれも暑い車内を想像するとうんざりする、、、 朝比奈はどんな環境下でも平静だ。
おれは一応、ごちそうさまでしたとあたまをさげた。お金は払わないぞと念を押したつもりだっんだけど、すかさずマリイさんは、今度来る時はお金もらうわよと言って口をツンとさせた。さすがに役者が違うというか、おれの行動など子供騙しにも劣るぐらいで、それは客として来いと言っているのか、それとも朝比奈を送って、、、 に送られて、、、 来た時はということなのか。
だからってそんな理由を確かめる必要なない。どうせ知ったからって、次の行動をどうするか考えられるほどあたまがまわらないんだから。いろんな仮定が錯綜するなかで、なにも判断せずこれまできたし、だからおれはマリイさんに軽く会釈しておいた。そうするとも、しないとも、どっちにとらえられてもおかしくないように、、、 それが精いっぱい、、、
「マリイさん、それはムリよ。ホシノ、バイト辞めさせられて、ただでさえ厳しいんだから。それに高校生がかようお店じゃないでしょ」
そんな観点の違ったフォローを朝比奈はしてくれた。断る理由はそこじゃなくて、おれの経済活動の範囲外ってとこが重要なんだけど。でも、それでいい、理由がとんちんかんでも、相手が納得してなくても、他人が自分を説明するするってのは、つまりはそういうことだ。おれもこうして無遠慮に関係したひとたちを解説している。
「あら、そうなの。だったらウチでバイトする? ウエイター足りてなくてね。一石二鳥じゃない?」
「なにが一石二鳥? ダメよ。そうやってなしくずしにわたしまで巻き込もうとしてるでしょ。卒業まではリハで終わり。ねっ」
「あーら、わかっちゃった。いい案だと思っただけどね」
なんだか、おれの知らないところで、利用したり、されたり。自分のあずかり知らないところで事が運んでいるなんてよくあることだ。いつだって自分の手の中にあるものは数少なく、それもその実は、自分のものではなかったりして。だけどいいさ、朝比奈とセットで考えてもらえるなら光栄だ。
朝比奈はあたりまえのように運転席に乗り込み、そしてまたまた一発でエンジンをかけた。おれもあたりまえのように、、、 あたりまえだな、、、 助手席に乗った。シートベルトも忘れない。
マリイさんは朝比奈の側の窓を覗き込んで、アンゼンウンテンで帰るのよと声をかけ、ニッコリとほほ笑んでクルマからはなれた。安全運転を啓蒙するより、免許もないのに運転しちゃダメでしょっていうのが正しいはずだ。だからって、それでクルマ取り上げられたら、ここから帰るのにどうすればいいか困ってしまうだけで、おれはあいかわらずただニヤニヤとあたまを下げるしかなかった。
「そうね。アンゼンにするわ」そうして朝比奈はクルマを出した。
帰りの朝比奈の運転は、行きを思えば平穏そのものだった。マリイさんの言葉が効いたのだろうか。ただ喋ってないとスピードを上げる傾向にあるので、おれはいろいろと話し掛けていた。なにぶん質問事項にはことかかない。とはいっても、そこは朝比奈で、まともな答えが返ってくるはずもなく、そう、まあね、でしょ、そんなことないって、てな言葉を使い分けて、なかなか真意の奥にまでは入り込めない、、、 奥に入ってみたいのに、、、 まだまだ障壁は高い。
そうしておれは、ステージを見て思い出した。あの夏休み前の教室で、窓の外を見ながら微妙に動いていた朝比奈の口元からアゴとノドにかけての曲線を。あの時も唄っていたんだって。ひとのカラダの曲線が織りなす、自然で自由なラインと躍動が、美としておれたちに植え付けられていて、それを称賛することが人としてのあるべき判断基準であるならば、それに見惚れるのはしかたがない、、、 ってことにしておこう、、、 それをステージで見たときは、朝比奈の顔はこれまでになく生き生きとしていた。
するとようやく、あいづちっぽい言葉以外の会話をはじめてくれた。
「自分の居場所があるっていいものよ。それだけで、他のことはガマンできる。ガマンってほど、ガマンしてるわけじゃないけど、居心地が悪いってのは間違いないわよね。そんなのもどうでも良いと思えるのは、自分の居場所がちゃんとあってこそだから」
おれは多くの人と絡みたくないもんだから、ひとりでいる方がラクだって自分の居場所は限られてくるんだけど、だからってあまりひとりで居つづけると人恋しくなるもんだから、へんに誰かにからみたくなったりして、つまりは単に自分勝手なだけなんだけど。
「どうも私は年上の方が、相性がいいみたい。可愛がってもらえるのになれちゃうのもあまりよくないんだろうけど、年齢が近いとなんだかしっくりこなくって、そういうつもりじゃなくても、冷たくあしらってしまう」
そう? おれも同い年なんだどなあ。おれは朝比奈の中ではどういうあつかいなんだろうか。朝比奈はフフフッと笑っていた、、、 笑われただけか、、、 冷たくあしらわれているのはまちがいないけどな。
朝比奈はフロアシフトに手をかける前に、指先でトントンと叩いて、それがギアチェンジをする合図になっている。手首の回転だけでスルッとギアを替えて、加減速をくりかえす。おまえはレーサーかって突っ込みたくなるぐらいのこなしで、マサトがえらそうにスポーツカーなんて買おうと画策してるけど、どれぐらいの運転技術があるのか見たことないし、これを見せられたらあのやかましい口も静かになるだろう、、、 マサトには見せたくないけど、、、 これは役得だったな。
「ねえ、どうする?」
どうするって、なにを? 唐突にそんな質問されても、心の準備もできてないし。そりゃあ夏の夜はまだ長い。せっかくクルマもあるし、このまま別れるのもなんだか物悲しい。クルマの運転を委ねるってこうゆう気分になっていくのか、人の心理をそこに見た気がして、これが公共交通機関であれば、こういった人間関係のアンバランスさは生まれないんだろう。過去から未来へと続く男女間の力関係はいまはこうして成り立っているらしい。
さて、どうしたものか。断るのもなんだし、、、 なにを?
「スタンドにスクーター置いたままでしょ。取りに戻らなきゃいけないけど、ホシノの家にも、わたしの家からも遠回りになるし。だからあ、このまま帰りたいんだけど、ホシノはどうする? 私の家からクルマと一緒に帰れる?」
そんな、帰れるかって。ひとりで? ああ、そうゆうこと。盛り上がったおれは馬鹿丸出し。いやいや無理でしょ。だいたい、なんで朝比奈は運転できるんだよ。訊いちゃいけないかと思ってこれまで黙ってたけど、、、 ホントは怖くて訊けなかっただけだけど。
「お父さんクルマ運転するの子どもの時から見てたから。なんかね、手元とか足元見ずにガチャガチャと操作して、クルマを走らせてるのが不思議でね。どうしてそんなことできるのか、それでどうしてクルマが動くのか知りたくて。だから自分でやることにした。中学になった時に無理いって何度か教えてもらったの」
やることにしたって、、、 とんでもないことをサラッと言いながら、右手でハンドルを固定して、左手でシフトノブを転がすと、脚が、、、 かわいらしいスラリとした脚が、、、 クイッと動いた。なんとも堂に入っている。つーか上手すぎだろ。どれだけオトーサンに教えてもらったんだよ。おれも父親の運転見てたけど、そこになんの興味もひかれなかった。万が一やりたくなったとして父親に頼んでも、一笑に伏されるだけだ。そこがなにかしら未来に展望がある人と、そうでないひとの差になるんだ。
「そんなにしてないよ。2、3回、かしら。コツさえ掴めば、あとは応用。なんだってそうでしょ。だからそれからは自分で勝手に練習してた。そうするとね、そこそこできるようになっちゃって。でっ、もう不思議でも、非日常でもなくなってしまった。こうしてね、なにかをひとつづつ手にするたびに、大切なものをなくしてくようで、これからもそれは繰り返されていくのはなんだかつらい」
そう言って寂しい影を顔に落とした。言葉にはできない多くの思いがそこに隠されているみたいだ。
「チッ!!」
あっ、ごめんなさい。知ったような口きいて。
「来るわ。また」
運転手側の窓にクルマが並走してくるのが見えた。好奇の顔が並んでいる。昔ながらの男女の関係を共生してくる者たち。どうみてもこのまますんなりと家に帰れそうもない、、、 帰りたくなかったからいいのか、、、 いやいやこれは別問題だろ。
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