「わたしは、あなたにかけられる言葉があるわけじゃない。あなたの代わりにもなれない、だから、そうね、わたしにできることをするしかない」
そう朝比奈は言った。どんなに甘い言葉を伝えても、それを言うことで解決するわけじゃないし、いまを切り抜けてもその先でまた同じことが起きるだろうから、どうしたって自分でどうにかしなきゃいけないだろうけど、だったらミシマは、いまここでこうしてはいない。
朝比奈は自分のやりかたでミシマを思いとどまらそうとしているのか、それにしても、とんでもない場面に遭遇したもんで、おれがあんなこと言い出して、朝比奈をその気にさせてしなきゃ、こんな時間にこんな場所にいなかったんだけど、そんなこと言い出したらキリがなく、どんな選択をして今や未来につながっているのかは、自然や、街並みだけじゃない人も同じで、なるべくしてこうなっていて、それは誰にとっても同じことだ。
「朝比奈さん。夏休みがあけたらもう学校来ないんだよね。わたし、きっと、朝比奈さんがいなくなったら、今度は、わたしが、きっと、」
「虐めの対象になる」
言いそびれるミシマの言葉を朝比奈がそのまま引き継いだ。そこになんの躊躇もなく、何度も見た映画の続きのセリフを言うのと同じに。自分に原因の一端があるような言われ方をされたからって、そんな直接的な言いかたじゃあミシマもたまんないんじゃないかと、やっぱり強者にはその微妙な言葉の重さがわからないんだろうか、、、 だからってどんなに相手を思いやっても必ず響くわけじゃない。
その言いようにミシマはキッとなって、朝比奈を見返す。なにかそこには逆襲するぐらいの勢いがあり、含んだ顔を浮き出す表情からもそれがつたわってきて、でもそれは朝比奈の術中にはまっているだけだ。
「今日、緊急連絡網で明日の全校集会の連絡があって、あたしの次は朝比奈さんだっただけど、電話してきた堂坂さんが伝えなくていいって。どうしてかって訊いたら、もう退学するから必要ないって。これで夏休み明けから清々する。そう思わないユーコって、笑うのよ。ちょっとキレイだからって男子のうわさになってるのに、わたしは関心ありませんと冷めた態度していい気になって、そこそこ勉強ができるって勘違いされてるみたいだけど、一度だって学年で一位になったことないじゃない。とか」
堂坂はクラスの副委員長で女子のリーダー的存在だ。ミシマとしては朝比奈を自分の側にひきずり込もうという思惑があるのか、これは敵の敵は敵の理論を遂行しようとしているようで、だけどそんなゆさぶりで動揺するような朝比奈じゃない。
堂坂は成績もよく、男子受けもいい。それなのになにかにつけて“朝比奈がいなければ”という枕詞がついて回ることが癪だったはずで、それなのに朝比奈には競う理由が何もなく、学年で一位になってないのは、試験ではそこそこの点を取っておけばいいと、流して受けてるだろうし、男子に媚びを売るって面倒をかかえることはしないから、その態度がまた、堂坂をイラ立たせることになる。
「言ってる意味に違いはないでしょうけど、堂坂が同性の、それもしもべ扱いしてるひとにそんな優しい言いかたするとは思えないんだけど、三司馬さん? “アンタ、そんなこともわからないの! ホント、バカなんだから!”と、なにかにつけ誰かをバカ扱いして、そのたびにアドレナリンが増幅して、それが快感になってるようなひとだから」
と、堂坂の真似をしてタンカ切るところは、5割り増しぐらいに迫力があった。ミシマは背筋をビクッとさせて、あからざまに動揺しているのがわかるぐらい目が収まらず、最終的に下を向いてしまい、小さくごめんなさいと言った、、、 いったい何にあやまってるのか。
「わたしはね、ほっといてもらえればよかったんだけど、何をしてもハナについたみたいで、なにかと嫌がらせを受けいた。それも自分の手は汚さずに、誰かにやらせた、のよね」
そんなにたたみかける攻撃しなくても、ミシマだって好きでやってたわけじゃないだろうし、そうじゃなくても、もうすこし寄り添ってあげた方がいいんじゃないのかと、そういう気づかいもふだんはしないおれでさえ心配してる。
「ごめんなさいっ! でも、堂坂さんの言うこときかないと、」
おっ、自分の立場が悪くなるとすかさず保身に走ったか、堂坂を悪者にして朝比奈にこびる。そりゃおれたちのような下人は、だれの意見に従えばいいか本能的にわかっているんだな。堂坂に言われれば、堂坂に、朝比奈に言われれば朝比奈に、それじゃダメだよって、おれもひとのこと言えない。
「堂坂は負のバイアスに取りつかれてしまった。一度、味をしめた快感はなかなか手放すことができなくなる。その熱量を別のことに使えれば良いのにって、それを外部からいくら言っても覆るわけもなく、生きてる証明のような錯覚をもたらしている。そういうのって人類の歴史だと言っても過言ではないんだけど、ひとつ離れたところから見ていれば、これほど滑稽なことはない」
ミシマの言い分じゃ、休み明けに朝比奈がいなくなれば、今度は自分が仲間外れになって、虐めの対象になるって、それって当の朝比奈がいなくなれば、もう我が世の春を謳歌するだけの堂坂じゃないか。どうしてミシマは自分に被害がおよぶと取ったんだろう。それも被害者意識の負のバイアスがかかっているのか。
暗がりの屋上のヘリで女子高生が話し込む姿を目にするのは初めてで、、、 あたりまえ、、、、 ヘリに座ってならぶふたりの姿は、なんかだ女子高生同志というより、生徒と先生にみえるてくる。関係性が師と従としてすでに成立してしまっている。
「わたしが、朝比奈さんみたいに強ければ、アタマが良ければよかった。でもあたしは朝比奈さんにはなれない」
そうだな、みんながみんな朝比奈みたいだと、それはそれで困るだろうけど、、、 だれが困るんだ、、、 誰だって喜んで卑屈な側になりたいわけじゃない。それなのに、人口比率に合わせるようにちゃんと役割が分担され、ヒエラルキーができあがっていくから困ったもんだ。
「そうね、同じように、あたしも三司馬さんにはなれない。誰かにあこがれたり、誰かになりたいと思う気持ちはどんな価値観で成り立つかはひとそれぞれで、わたしが、まわりが思う朝比奈をやっているのは楽じゃない。クラスの中で目立たない、地味なタイプだったら、どんなによかったか。それとも嫌な思いをすることになかったのかな。そうしてやっぱりクラスのボスに目を付けられて、手先のように使われるようになるのかも」
「それはっ、朝比奈さんがいまの立場だから言えることでっ」
同時に、それはいまのミシマの立場だから言えることだな、、、 ミシマもそれがわかったから言葉を止めたんだ。なんにしろ誰かをうらやましがってもなんの解決にもならないし、自分を高めることもない。そして朝比奈のペースに巻き込まれている。
「立場って、だれが作ったの。自分、それともまわり。立場にしばられていることを選んでいるのは誰。そうでなければその場所から離れればいい。なんて、そんな簡単なら誰も苦労しない。苦労させている誰かも存在しなくなる」
おれの目も暗がりに慣れてきて、この屋上の世界を知るところとなり、月明かりの下で小虫は飛び交っているし、さっき入ってきた扉には蛾がハネをひろげてとまっている。ヤツらにとっては変わらぬ日常で、おれたちのほうが非日常であり、非常識で、ヤツらの世界への闖入者として迷い込んだか、呼び込まれたのか、見かたが変わればこの世界の正当な居住者の定義も変わっていくんだ。
おれはふたりの神経戦の行く末をそんな中で見守っている、、、 参加しろよ、、、
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