private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

第15章 2

2022-07-24 12:33:11 | 連続小説

R.R

 いつもと同じ学校からの帰り道であるはずなのに、目に映る町の情景が普段と違って見えたのは、気の持ちようが変わっていったからなのだろうか。
 人気のない古びた町並みで目にする、壊れたまま壁に掛けられている床屋の古時計、風に煽られる錆だらけで読めなくなった金物屋の看板、魚屋の変色したホースから流れ出ている水。それらは、明日なくなっても誰の気にも止められないはずなのに、それでいて過去からの遺留品として永遠に在り続けるようにもみえる。
 すべての目に入る物体は夏の日差しの下で、光と影に選別されてしまった色はモノトーンでしか認識されなくなっており、もはや自分が色彩を失ってしまったのかと戸惑うばかりだ。
 舘石一哉は、その中を歩いていた。毎日通う学校からの帰り道は、ある日を境に、たった一人の家に戻るためだけの存在になっていた。誰も待っておらず、誰も帰ってくることも無い自分の家に。
 いくら進んでも蝉の鳴き声は、自分の影のようについてきた。時折吹き抜ける生暖かい風は、風鈴を慰み程度に鳴らし、すだれを揺らす。それで涼しさを感じされることもなく、方々から目に入ってくる光の乱反射が、目にうるさく暑苦しいだけだった。
 通り過ぎる家の中からは、開けっ放しの窓のから高校野球の実況中継が漏れてきて、人気の無い小路にはラッパや太鼓の音とともに、アナウンサーの甲高い声が行き場も無く押し詰められていく。
 一哉は引っ越した当初から、この町がどうにも好きになれなかった。その傾向は年々鬱積していき、もうなにか行動を起こさなければ耐えられない衝動に駆られていた矢先のことだった。
 地元に根付いている家族の手前、一刻も早くここを出て行きたい気持ちを、口に出すことはできず、それなのにそれを考えない日はなかった。
 往来には人ひとり居ないのに、いつも誰かに監視されているようで、行動のすべてを記録されている気配を常に感じていた。
 歩いていると徐々に頭が下がってきて、上目遣いに辺りを探るようになる。時折立ち止まり、後ろを振り返る回数が増えていった。しだいに、自分の周りに壁を作り、何もしないで生きていくことを強要されている気分になっていく。
 それは真砂の中にジワジワと引き込まれているようで、注意深く気に止めていなければ気付かないほどの微妙な速度で、自分の周囲からすべてを飲み込んでいった。
 周りの人間はそれには気付かないように振る舞い、ただ陽が沈むの待ちつづけ、一日を終わらせる暮らしを続けるのが宿命とされた生活に馴染んでいき、自分もその中に取り込まれていくのが怖かった。
 願いがどんな形で叶えられるのかは、当人だけの意向で進むわけではない。それが、自分が求めていた願いを、家族の不幸と引き換えに手にしたならば、あまりにも残酷な結末といえた。
 自分が求めなければ、こんなことは起きなかったのではと考えてしまえば、いや、どれだけ考えないようにしても、結果的に悪魔と契約してしまった自分が、これまで通りに生きていくのは許しがたかった。
 悲劇はいつだって一瞬の選択の中で起きる。その直前まで、平和そのものだった家族を乗せた車内が恐怖に陥ったのは、右側を走る大型トラックが、まるで運転手を失ったかのように、一哉たちの乗るクルマの進路を遮り、前方を塞いできた。
 左にずれるか、急ブレーキを踏めばよかったのかもしれない。しかし、一哉の父親はスピードを上げトラックの前に出る選択を選んだ。
 今となってはどちらが正しいのか判断はできない。トラックが動きが不慮の事故でなく、一哉の乗るクルマを狙っていたなら、左にずれようが、ブレーキを踏もうが、確実に仕留める行為を続けただろう。
 ならば、それを避けるためには、父親が選んだ、トラックの前に出るのが一番正しい選択だったのかもしれないのだから。
 かわそうとするシトロエンの右後部ドアにトラックの左前部が突き刺さり、後輪が破綻すると、車内は叫喚が渦巻き、シトロエンは大きな弧を描いて、側道の電柱に運転席側のドアから激突し烈しく喰い込み、さらに左側にはトラックがそのまま体を預けてきた。
 一哉が座っていた右後部座席を除き、全てが原型を留めることなく捩じれ曲がっており、そこに乗っていた一哉の家族だった人たちは、もはや人間の形をしていなかった。
 押しつぶされたシートのあいだから、トラックの運転手らしき男が走り去りながらも何度も確認するように、つぶれたシトロエンに目をやっている姿が見えた。
 その顔は恐怖から逃れるというよりも、達成感を含んだ満足げな表情に見えた。それがすべての結論であった。一哉の父親は意図的に狙われ、舘石家は、巻き添えを食う形となったのか、あえて家族もろともの狙いがあったのか。
 命は取り留めたもののこれほどの大事故では、さすがに無傷というわけにはいかず、なんともないと思っていた一哉自身も、たんに激突の衝撃で神経が麻痺して、痛みを感じていなかっただけで、頭や、腕にはガラスの破片などで幾つもの裂傷を負っており、流血とともに神経が蘇ってくると、意識の中で痛みが覚醒していった。
 座っていたシートの色がどす黒く変色してきて、それは自分の血だけではないとしても見慣れない量には慄いてしまう。
 むろんシートだけではなく、シャツも赤味が濃く滲んでいる。さらに、自分から滴り落ちる血のしずくは、断続的にズボンや手の甲に落下して、一向に止まる様子もなく、自分の血が抜けきってしまうのではないかとも思わせた。
 このままでは車中で気を失う危険性もあり、大破したクルマがガソリンに引火して、爆発でも起こせばひとたまりもない。すこしでも早く、意識が確かなうちにクルマから抜け出した方が良いと、頭の中の冷静な自分が弱った体を揺り動かすのに必死になっていた。
 ドアロックを外し、ドアを押してみるが歪んだフレームのせいか少ししか開かない。狭くなったシートの上で身体をねじり、足を外に向け、かかとの部分でドアを何度か蹴飛ばすと、なんとか少しづつ開いていった。どうにか身体を通せるほどの隙間を確保して車外へと脱出する。四つんばいの状態で、なかなか立ち上がることができなかった。
 鼻の奥できな臭い匂いがし、喉の辺りで鉄っぽい血の味がした。身体を向き直し振り返れば、シトロエンがほとんど原型を留めることなく大破している。深海魚の外観にも似た、ぬめりを持つ表層が、無残に光沢を失うほどひしゃけている。
 この外見を見る限り、中に人が入っているとは誰も想像できないだろう。肉親を失った悲しみを実感するより、第三者の立場でしか現実を捉えることができなかったのは、なくしてはいけないものを代償に、自分の望みが叶ってしまったことを、別の次元として切り離しておかなければ、精神を保つことができなかったからだ。
 自分の気持ちを自制しながらも、徐々に意識は遠のいていく。ようやく人が集まってきたようで、言葉として捕まえることはできないが、多くの人の喧騒がゆらゆらと地面から立ち込めていた。
 このときの一哉の記憶は、誰かに抱きかかえられた感触で終わっていた。

 葬儀の日、親族側の列に独り、ぽつんと座る一哉は、両の拳を固く握ったまま頭を垂らして、ピクリとも動くことはなかった。
 出血はあったが深いキズではなく、簡単な治療を受けて1日の入院だけですんだ。退院すると葬儀は会社側と縁者ですでに段取られており、怪我のこともあるので無理して出席する必要はないといわれた本音は、どちらかといえば姿を見せて欲しくなかったということであろう。
 変なことを口走られては旨くないし、怪我をした姿を人目にさらされるのさえ迷惑であるはずだ。同情をひかれて社内の世論を味方につけられても困る会社側の思惑が見て取れた。正面に座る会社役員の連中は沈痛な面持ちをしているものの、時おり耳打ちを繰り返しては苦みばしった顔を見せていた。
 いざという時のために縁者側にも会社の息のかかった人間を忍び込ませており、何か一哉に動きがあれば口を封じ取り押さえる手はずが整っていた。しょせんは事故と、怪我の後の中学生の言うことで、精神に異常をきたしていたとでもなんとでも言い訳がたつ。
 それにしても固まった身体を動かさず、黙している一哉の姿からは、そんな準備も取り越し苦労だったと思えるほどで、いささか拍子抜けしてしまっていた。
 一哉としては自分の預かり知らぬところで、両親を葬られることは、なんともやりきれない思いもあり、自分が居ることで、会社側の営利に利用されないように、少しでも抑止力になればという思いが、無理をしてでも出席した理由であった。そこで縁者の中に知らない顔が散見しているのを目にし、さらに不信感を増幅させ、人為的な事故を疑う気持ちを増幅させていった。
 縁者側の席からも、遠慮がちではあるが、好き勝手な囁きが飛び交っていた。一哉の耳には入らないように小声で話しているし、紛れ込んだ会社の人間が威嚇するように咳払いをするため、途切れがちな会話の全貌は明らかではなくとも、『労働組合』、『煙たい存在』、『融通が利かない』などの単語から連想していけば話しの内容はひとつにまとまっていく。
 さらには『厄介払い』という言葉からは、父親の置かれていた立場と、今回の事故との因果関係が明確になってくる。
 若くして会社の労働組合で相談役の立場にいた父親の舘石寛治は、毎年、会社側との労使交渉を取りまとめ調整をはかりつつ、労働者の立場向上や権利拡大に貢献しており、現場を預かる多くの管理者から絶大な信頼を得ていた。
 そんな中、社会構造の変化は徐々に労働組合の活動を過去の遺物に変えていき、労働者の中からも力関係の強い者は、会社側になびいた方が享受できる利権が多くなると考えだした。
 どこにでも金に目がくらんだあげく抜け駆けする人間はいるもので、会社側に買収された数人の組合役員が、舘石に第一線から退いてもらうよう裏工作を続けていた。
 それでも数年来の功績や、弱きを助ける人柄から、力を持たない多くの作業員からの舘石の人徳は絶大で、その立場は揺ぎないものであり、また、舘石自身もそんな声に応えようと、さらに強固な組合を構築することを目指していった。思うように事が進まず、業を煮やしはじめた首謀者達は遂に最終手段にでる決断をくだしたのだった。
 囁かれる言葉を継ぎ足せば、だいたいこんな内容の話だろう。大国で起こる騒動が2年後のこの国に必ずやって来た時代だ。そう考えれば、一哉が感じる町からの雰囲気は気のせいではなく、舘石家はいつの頃か常に監視の目に晒されていたのだ。
 父親の置かれた状況から、自分の周りの嫌疑に居心地の悪さを覚え、ここから離れることを望んだ挙句、事故を呼び込み家族を亡き者にしてしまった。
 もちろん、すべてを自分の所為にしてしまうことは背負い過ぎであり、むしろ愚かな負の連鎖になるとはわかっている。ただ、どうしても正の世界を裏返せば、そこに介在しているのはやはり成るべくしてなった結果であると受け入れた。
 知らない間に少しづつ目に見えないほどの砂が堆積していき、いつのまにか足は動かすことができなくなり、そしてある時を境に、いままでの倍以上の速さで回りは埋め尽くされ、身動きが取れないようになってしまったようだった。
 最大の不幸は自分が生き残ってしまったことなのかもしれず、奇跡的に生き残った一哉には、神が自分に何を求めているのか知る必要があった。その答えを出すためにだけ、この先、生きていく羽目になるのだと。それ以外に、この状況に対して自分を納得させる理由を、なにひとつ持ち合わせることができそうになかった。
 ただ、神が自分に下した裁決を消化できていないいま、精神の均衡が取れないままに、どうにもその先へ進むことはできない。動くことはすなわち、家族の不幸から得た利潤に手を付けることを意味する。
 なにかにすがりついたり、別の誰かに転化している場合ではないならば、異常な自分を体内の奥へ追いやることで、ケリをつけようとしていた。
 復讐するのは自分自身、自らが生み出した罪の代償を支払うことが、これらすべての解決に必要な行動である。そう考えれば、父に手を掛けた人々も同様に、自分の罪の一部となった不幸な人間ともいえ、無用に巻き込まれた哀れな存在と憐れんだ。
 物事に動きがあるのは、すべてにおいて心が存在する。どんな些細なことも、大きな事件も、人が望むからゆえ起きる。自らが動かした天秤の針にも関わらず、元に戻すために賄われる熱量を稼ぐには、相当な体力を要することとなる。
 それは自分本位だけではなく他人の力量の干渉も大きく影響してくるからだ。人が普段の生活をしている中でも熱量は消費されていき、放出量が人により時間により異なってくる。
 その飽和量が全体の中に収まっていれば大きな事件には発展せず、同じ属性に棲む誰か一人でもその力を制御できず、限界点を越える放出を続けるとことで、天秤は片側にかしぎ、表面張力を保っていた水面はこぼれ落ち、膨らみきった風船は破裂してしまう。
 それからしばらくして、やはり生き心地が悪かったのであろう。父殺害を企てたの真の首謀者である創業者の馬庭家は、なにも行動を起こさず静かに生活を続けていた一哉に対して、せめてもの罪滅ぼしのつもりでもあったのだろうか、救いの手を差し伸べてきた。
 一哉は自分の描いた未来図を完成させるためにも、それを断る理由はどこにもなかった。それは、内に入り込み寝首を掻き切るためではなく、あくまでも自分への贖罪を達成するために選んだ道であった。
 それが結果的に馬庭商事の主要部門の売り上げを右肩上がりで増加させ、後継ぎである嫡男より優れた会社運営能力を示し、事実上会社経営を掌握したことで、当初の目的に反して父親のあだ討ちをした形になってしまった。
 嫡男である馬庭浩一郎は、根っからのクルマ好きでありスピード狂で、会社の仕事とかこつけて高級スポーツカーを何台も乗りましていた。街で走るのに飽きれば当然次に向かうのはサーキットで一番になることだ。実際に腕もよく、会社経営をするよりもそちらのほうが性格にあっていた。
 とは言え、跡取りをいつまでもサーキットでクルマ遊びさせておくのは体裁が悪く、会長が実行した逆転技は、一哉を正式に馬庭家の籍に迎え入れ、浩一郎を籍から抜き一切の後継ぎとしての権利をはく奪した。
 一哉がバカな真似を起こさないように、自分の目の届くところに置くために生活を保障し、会社に就職させて人並みの人生を暮らしてくれればいいはずだった。それが一哉は謀反を起こすどころか、会社に利益をもたらし続け、ここまで大きくしてくれた功労者になっていた。
 年をとり灰汁も抜けきった馬庭会長はここまでくれば、一哉に会社を渡しても未練もなく、経営能力のない浩一郎がそれを望むなら、自分の手から放してやろうと決断したのだった。
 一哉は、会社経営を軌道に乗せたあと、会長が鬼門に帰すとすぐに役員会で社長辞任を申し入れ、自分は唯一の不良債権となっていた、サーキット運営事業の再建のみ力を注ぐことで後退した。
 それは事実上の馬庭家からのからの足引きであったのに、おもしろいもので、その中で本当に自分が相対せねばならない真の敵を知ることとなる。


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