private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

第16章 4

2022-10-09 16:12:17 | 連続小説



R.R

 悠々とピットレーンまで戻ってきて、すまし顔でひょいとフェンスを飛び越えたナイジは、興奮している不破たちに取り囲まれる。
「何やってんだオマエ! バカもたいがいにしとけ!」
 掴みかからんばかりの不破をいなすように。
「余興っスよ、余興。お客さんを盛り上げようと思ってね。ハハッ。いい感じに盛り上ったでしょ」
 これには不破も腰砕けで、開いた口が塞がらない。何事もなかったようにナイジはガレージへ戻って行く。すれ違いざまに鬼の形相の出臼が不破の元に駆け寄る。
 すれちがいざまに一瞥する出臼にナイジはまったく意にすることなく、存在も気付かないような態度を取る。それがまた出臼の癇に障る。
「不破さん! どうゆうことです。本戦中のコースを横断するなんて、前代未聞のことです。始末書ものですよ!」
 自分もナイジにうっちゃられて、まともに説明することも出来ない不破は、開き直って言うしかなかった。
「見てのとおりだ。余興だよ、余興。いい感じに盛り上ったろ。馬庭さんのお気に召さなきゃ始末書でもなんでも書いてやるよ」
 開き直りとも思える言葉を聞き、さっきまでの自分の姿を見ているように、口を開けたまま呆気にとられている出臼に、めずらしく不破は同感の思いだった。
 出臼は虚をつかれ、いったんそのまま引き返すも再び戻ってきて、いまの言葉忘れないでくださいと、指を立てて念を押していった。不破はその後ろ姿に中指を立ててやり返す。
 出臼と不破がやり合っている隙に、ナイジはピットレーンで整備をしているリクオを捕まえ、さらに本戦を走り終えたばかりでクルマから降り立ち、ことの成り行きを見守っていたジュンイチを手招きして呼び寄せる。そして3人だけがガレージに納まった。
「おい、ナイジ。いったいどうしたんだ? 大事な対戦の前じゃないか。キミがあんな派手なコトするとは意外だよ」
 さすがに温厚なジュンイチでも、不可解なナイジの行動は目に余ったのか、言い方は緩いが、ついつい、たしなめる言葉が口をついて出た。
 ナイジも、説明したいのはやまやまだが、一から話しをしている時間はないし、思いつきの愚考を納得してもらえるほど、説得力を持って話す自信もなかった。
 それで、いつもリクオにそうするように、肩に手を回しジュンイチの耳元に口を寄せる。信頼できる仲間としての行動で応えることしか思い浮かばなかった。
「ちょっとね、ワケありなんだけど。調子にのり過ぎたな。それよりさ、コース一周でどれぐらいの燃料喰うかな? 教えて欲しいんだ」
「はっ?」反省の言葉も早々に、あまりにも突拍子もない問いかけに対し、思わず聞き返すジュンイチ。
「いいからさ、いくつぐらい?」
 なんだかはぐらかされた質問に納得がいかないまま、しかたなく天を見上げて計算する。
「1周が6.284キロだから、レーシングスピードで走ればリッター3kmぐらいか。そうなるとだいたい2リットルは必要だろ。あっ、でも、インラップとアウトラップを含めれば、最低でも6リットルは要るんじゃないのか。そんなこと聞いてどうする… 」
 ナイジはジュンイチをさらに引き寄せ何やら耳打ちした後、手を離し開放すると両手を顔の前で重ねて『お願い』の仕草をする。
「えっ?」驚きの声を上げるジュンイチに傍らにいたリクオが、ふたりの間でどんな会話がなされたのか気になって仕方ない。
「何? なに? なんだって?」自分の役割を取られた気になり、ふたりの間に割って入る。
「リクさん。びーじぇいと一緒に、ひと仕事たのまれてよ。オレちょっとトイレ行ってくるからさ。緊張しちゃってね。ヨロシク」
 挙げた手をヒラヒラさせさっさとガレージを出て行ってしまった、こうなるとジュンイチに話しを聞くしかなく、困惑した顔のまま腕を組んで押し黙っている。
「どうした? ジュンイチ。どうしろって?」
 話しが見えないリクは早く結論を知りたくジュンイチを急かす。腕を解いたジュンイチは目を閉じて天を仰ぎ、うーんと唸りながら頭を掻く。腹を決めたのかリクオにナイジの意向を説明する。
「そんなこと… いいのか? しかしなあ、オレらにムチャ頼んで自分は、のうのうとトイレ行っちまって、どんな神経してんだよ」
「神経が図太いのは今にはじまったことじゃないでしょう。満タンで走るより、ガソリン減らして少しでもクルマを軽量化するってことなんでしょうけど… 何か考えがあるとすればそれぐらいですかね」
 ジュンイチがポリタンクと手動式の給油ポンプを引っ張り出してくると、オースチンに積載されたガソリンを一度すべて抜きはじめた。
 腕が疲れてくるとリクオが交代して、なんとかタンクを空にした。次に計量ボトルにガソリンを入れて3リットルをキッチリ計る。アウトラップの分はいらないとナイジに言われていた。たしかにゴールしてしまえばガス欠になってもいいのかもしれない。
「いいのかよ、そんなギリギリで?」
「このオースチン、オイルタンクが換装してありますね。標準装備なら27リットルのはずだけど、36ぐらい入ってた。全部は抜け切らないので500ぐらいは残ったとして合計で3.5入ってるから。約32キロの減量になりますね」
「へえー、オマエ、アタマいいな。すぐそんな計算できるなんて」
 ジュンイチは自分で再確認するために計算したのを、真剣に感心しているリクオに気付かれないよう含み笑いする。そしてナイジの逆転の発想を解説しはじめた。そこはリクオのプライドを考慮しながら。
「リクオさんも1リットルのガソリンが、約1キロの重さがあることは知ってると思いますけど、通常、ぼくらはレース当日の朝にタンクを満タンに給油してから、フリー走行から本戦を走りますよね。レギュレーションでガソリンを入れてから、車検を受ける規則になってるし、一日1回しか入れられないから誰もが当然のように満タンにますよね。車種によってタンクの容量は違うし、このオースチンのように改良してある可能性もありますし、それに、フリー走行を何周してから、つまりどれぐらいガソリンを消費してから、本戦に臨んでいるかもまちまちだし、それぞれのクルマの重量自体も均一ではないので、一概には言えませんけど。たしかに、ワンラップだけの戦いなら必要最小限のガソリンの方が、満タンに近い相手に対して優位性を持つことができますからね。ドライビングするにあたっても、単純に、いままで走っている感覚より車輌は軽く、取り回しも良くなるでしょうし。それはスタート時の加速であったり、旋回中のコントロールにも、いい影響を及ぼすと思います。いったい、ナイジがどうしてこんなこと思いついたかわかりませんが、意外な盲点でしたね」
 リクオはひたすら感心しきった面持ちで聞いている。すべてが今ここで初めて聞いたという体裁ではジュンイチの気遣いも意味をなさないが、変に知ったかぶりをしないリクオの好感を持てる一面でもあった。
「じゃあさ、これから2~3周する分だけ入れて走れば、有利になるんじゃないのか。仲間に教えれば残りのシリーズで俺達のツアーズがトップに立てるかもよ」
「そうですが、レギュレーションにどこまで定めてあるか確認しないと。それに、どのみち4つのツアーズで戦っていることだから、突然ウチのツアーズだけが速くなったら、いずれはネタばれするでしょうね。その時の対応が厄介なことになりますよ。ウチだけがそんな真似して走っていたことがバレたら言い訳が利かないでしょうし。今回は1戦限りのしかも、興行的意味合いの強いレースだから『ガソリン量がどうだか』ってことまで突き詰めないと無いと思います」
「そうかあ、いい手だと思ったんだけどなあ、これでオレも最速ランナーの仲間入りができるってさあ、まあ、確かにみんながやりはじめたらおんなじことだよなあ」
 本気でガッカリしているリクオを見て、再び密かに笑みを含むジュンイチは、ふと見たタイヤがこの前にふたりで装着したものより、さらに新しくなっているのに気付いた。
 ガレージの暗がりの中でわかりづらかったが、エンボスに抜かれたタイヤメーカーのロゴと商品名に白くペイントが施されていた。
 しゃがみこんで、トレッドを触ってみると、細かく拠れたタイヤカスが全面に付着しており、きれいに馴らしがされてようで良いコンディションを保っているのがわかる。
 タイヤのクラウンの形を見て、ガソリンを減らして減量した分、空気圧を調整する必要があるのではと気にかかった。その矢先、右後輪タイヤ下の床面であるコンクリートに、薄っすらと染みが付いているのに気が付いた。
 手を伸ばして人指先で触れ親指と重ね合わせると、粘着性を帯びたそれは何かのオイルと考えるのが普通であろう。リクオも一緒になってしゃがみ込み目を凝らす。
「どうした? なんだった?」
 ジュンイチはリクオに『少し待って』と手で合図を送ると、コンクリートに仰向けになって寝そべり、車底に手を伸ばし、何やら探り出そうとあちらこちらに手を突っ込んだ。
 ジュンイチが出す結論を見守るしかないリクオは腕を組み様子を伺っていた。その時、ガレージのドアが開きナイジが戻ってきた、背後には何故か一緒にマリが一緒にいたので、首を伸ばし、目を見開くリクオは思わず声を上げる。
「えっ、なに? どうゆうこと?」
 作業を終えその場に座り込んだままのジュンイチも、女性同伴で戻ってきたナイジにお手上げのポーズをする。ここでは、めずらしくリクオが真っ当な意見を先に言う。
「おいおい、ナイジ。さすがにここはマズイだろ。いくらマリ様っても。それとも何か、出走前の愛の抱擁でもオレ達に見せびら ッヴェ… 」
「あっ、ゴメン、痛かった?」
 リクオの妄想が長くなりそうだったので、ナイジの右コブシがリクオのみぞおちを捕えていた。それよりナイジの関心はジュンイチの汚れた指先の方にあった。棚からウエスを取り出してジュンイチに手渡しする。
「何かあった?」
「このオースチン、権田さんのところで直してきたばっかりだよね? おかしいよ、ブレーキオイルの締め付けが一箇所緩んでた。権田さんがこんな初歩的な見逃しをするはずがない」
 手についたオイルの汚れを拭き取るジュンイチに、手をかざし立ち上がるのを助けるナイジ。その後ろではナイジに殴りかかろうとするポーズを取っているリクオに、マリが笑いながら両手を合わせて謝る仕草をしている。
「悪意ある行為?」冷ややかな目でナイジはつぶやいた。
「おそらく。そう考えるのが妥当だね」
 マリになだめられて機嫌を直したリクオが首を突っ込んでくる。
「なんだよ、ふたりして真剣な顔しちゃってさ。そんなことよりナイジ。どーすんだよマリ様連れ込んじゃって」
 マリの件に関して話しを広げるのは避けたいナイジは、ジュンイチの見つけた問題に引き戻す。
「リクさん、ちょっと待って。こっちの方が重要だからさ。あっ、マリさ、シートに座って待っててよ。あとで話したいことがあるからさ」
 どうみても場違いな状況で登場してしまい居所のなかったマリは、ナイジに言われるがまま助手席に収まった。これからなにがはじまるのかわからず、とりあえずジュンイチとリクオの目から避けることができ、気を落ち着かせることができた。
 馴れた具合に助手席に座る振る舞いが気にかかり、目線で追っていたジュンイチが、自分の姿をナイジに見られているのがわかると目を泳がせるようにして視線を外し、しらじらしく咳払いをする。
「ンッ、ウンッ。そのー、やっぱり、誰かの手によって、故意に緩められたと考えるのが自然だろうな」
 難しい顔をして頭をひねるリクオは、ようやく合点がいったらしく、ジュンイチもナイジも既にわかっていることに対し、おさらいをしはじめる。
「なんだよ、ジュンイチ、回りくどいな。どっかの誰かがナイジのクルマに悪さしたってことだろ。誰だよ、悪いヤツがいるもんだな。あれ? でもさ、そうすると、ヨソのツアーズのヤツラじゃなくて、ウチの誰かってことになるんじゃないのか? ガレージの中にあるクルマに手ェ出せるってーのは」
 ナイジとジュンイチがいま問題の本質として挙げているのはまさにそこで、ようやくリクオが追いついてきた。ナイジは『いまさら』という意味で頭からこけて見せたが、人のいいジュンイチはリクオに付き合う。
「あまり、考えたくはありませんが、そうなるでしょうね」
 そこまで聞いて結論に至ったのか、リクオはアタマに浮かんだ人物を、つい口に出してしまう。
「 …ゴウさん」
「リクさん止めようぜ。憶測でモノ言っても、何にも解決しないし気分が悪くなるだけだ。いいじゃないか走る前に見つかったんだからさ」
 事の重大さを微塵も感じさせず、ましてや自分がドライブするクルマに危害が加えられているのに、これまで以上に平然と対処しようとするナイジに、心情的にすぐには同意することはできないジュンイチだった。
「ナイジ、でも、手を掛けたのがここだけという保証はないよ。まあ、かと言って簡単に手が入らないところにまで何か仕掛けたとも思えないけど。リクさん、僕らふたりでもう一度ひと通り点検しましょう。どうせ、ナイジはクルマのことまったくダメだし」
「あっ、ああ、わかった。何かあったらエライ事だしな。見直しとくに越したことはないだろ」
「あっ、ホント? 悪いねぇ。シートで待ってるからさ、何かあったら教えてよ」
 そう言うとナイジはサッサとシートに収まってしまった。ふたりはお互い顔を見合わせて苦笑いをして肩をすくめる。リクオはボンネットを開けて、エンジン周りを。ジュンイチは引き続き足回りの確認をはじめた。ナイジがシートに現れると、待ちくたびれていたマリがすかさず問い詰める。
「ちょっと、ナイジ。どうゆうこと? 手伝ってくれって、ガレージまで呼び出して。アタシ、クルマ乗っちゃっても大丈夫なの?」
「マリ、あのさ、多分まともに説明してもパニックになるだけだと思うし、オレ自体思いつきでやってることだから、本当にうまくいくかどうかもわからないんだけど。そんなことより、なんかさ、マリが隣にいないと落ち着かなくて、レースする気になれなくてさ」
「はっ? 何、なに言ってんの?」
 他人事を気取って話すナイジに、マリはおどろくやらあきれるやら。それでも、ナイジはいたって余裕の面持ちで、両手を頭の後ろで組んでふたりの作業を車窓から悠々と眺めている。もちろん先ほど口にしたことは冗談だが、このタイミングで隣にマリがいることに、心落ち着くのは嘘ではなかった。
「まあ、おいおい説明するから、しばらくそのまま隣で座っててよ」
「おいおいって… 」
 理由も知らされずノコノコとガレージまで顔を出してしまい、一向に何をするのかもわからないまま、ただクルマに乗るよう促がされ、馬鹿正直にシートに収まっている自分がいったい何に役立つのか。
 ナイジは意気揚揚と楽しげで、今から行くところがコースではなく、ピックニック気分のサンデードライブにも思えてしまうほどだった。
 あの日、ロータスと最初にやりあった公道で、戦う前のギスギスとした苛立ちを伴った感情の昂ぶりを見ているだけに、これほど穏やかに待機していることが不思議でなかった。
 ナイジの言うことを間に受け、自分が居ることで感情の波を良い方にもっていけたのなら、少しは自分も役に立っているなら嬉しいのだが。
 ただ、それだけの理由で呼ばれたわけはないはずで、いったいナイジの口から何が飛び出してくるのか、なんとも落ち着かないまま放置されている状況は、マリにしてみれば心穏やかではない。
 ジュンイチたちの確認が終わったらしく、ドライバー側のドアをノックする。ウインドハンドルを回してのぞき込むナイジに対し、ドアに両手をついて体を支え、腰を折った姿勢で説明するジュンイチ。本当に口にしたかったのはそんな、当たり前の事後報告ではなかった。
「ナイジ、安心してくれ、ほかに問題は見つからなかったよ。それにしても… 」
 ナイジはジュンイチの言葉にひとつひとつ首を縦に振りながらも最後の言葉はさえぎった。漏れていたブレーキオイルの減りが少ないということは、手を掛けられてからそれほど時間が経過していないということで、推測すればナイジがマリを呼びに行ったあいだと考えるのが妥当だ。
 それなのにナイジからはそんな邪推を一切口にする気配もなく、ジュンイチたちの行為に礼を言うに留めていた。自分がレースに出て闘いをはじめたことで、まわりに良い影響も悪い影響も及ぼすことになる。自我を出すということは同時に敵を作ることにもなる。そんな新たな弊害にまで対処するのはキツかった。
 だからといって、それを理由に周りとの調和だけを考えていては、何ひとつ自分の描いた未来を成し遂げることはできない。そう信じ込むことで、もう少しの刺激いかんで脆く破れそうな心情を覆い隠しているだけだった。
 ジュンイチにはやけに温和なナイジのそんな表情が余計に痛々しく、言うべきことを切り出せなくなっていた。もしかすると身内に裏切りともいえる行為をされ、最悪の場合を想定すれば大事故にも成りかねなかったわけで、自分がその立場なら烈しい怒りと、虚しさが混同する思いであるはずなのに。
 自分の存在が疎まれ、失墜を望むものがこのサーキットに、さらには高い確率で同じツアーズ内にいると知り、少なからず動揺もあるだろう。
 悲しい現実だが、だからといってあれこれ詮索していても埒があかない。この段階で発見でき、手が打てたことにツキがあったと取った方がいいという了見なのか。
 さばさばとした表情からは、不思議と恨みや妬みといった陰の要素は少しも見受けられない。戦いの渦中に巻き込まれたことにより、ナイジをより高みの境地へと引き上げていったのか。
 つい自分との比較すれば、おのれの小ささだけが卑しく浮かび上がってきた。ナイジがそこまで冷静で、戦いに集中しているならば、あの女性を助手席に乗せる理由も、深い意図があってしかるべきだろう。
 軽量化のためにガソリンを抜いたと推察したが、実のところ、もう一人乗せなければならないための、苦肉の策から引き出された妙案だったのかもしれない。ならば、何故、あの女性が必要なのか。ナイジの左手の怪我を知る由もないジュンイチには、そこから先の解答にたどり着くのは簡単な作業ではなかった。