private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over19.12

2019-11-02 22:23:46 | 連続小説

「なにがどうだった?」
 
はっ? ああ、いやいや、なんでもないです。とりたててあえて説明するほどのことでもないから。そりゃ、苗字と名前を略して言うのはそれほど珍しいことでもないし、バンマスイコール、バンドウマスオってのもおれの直観にすぎない、、、 バンノマズゾウでもいいわけだし、、、
「なにブツブツ言ってんだかホシノは。笑わしてもらったお礼にもう一曲、歌うよ。もうちょっと待ってて」
 もう一度、コーラをあおって席を立ち上がった。そりゃもう、待ちます、待ちます。いつまでも待ってますとも。コーラはまだ半分ぐらい残っている。これはお宝だな。できれば飲まずに持ち帰りたい、、、 ってそれをどうするつもりなんだ。
 バカなことしか考えられないおれのことはさておき、朝比奈はマイクスタンドの前に立ったところで人差し指を天に向けた。
https://youtu.be/E89MNVnbsws?list=RDE89MNVnbsws&t=7
 静まりかえった店内に、ベースが独特の音響でドルッ、トッ、トルルルー。ドルッ、トッ、トルルルー。ドラムが二枚重ねのシンバルをシャラララララーンと続ける。そこで朝比奈がシュッっとスキャットを入れる、、、 スキャットと言うらしい、、、 マリイさんに訊いた。
 期せずして各座席からもオーッという歓声があがった。なにか、いわくつきの曲なんだろうか、それだけでおれの背筋に電流が走った。これは西欧の島国からいずる、かの有名な四人組の曲であり、この店内にアビィロードスタジオが天から降臨したのではないかと錯覚してしまった。
 マイクを通さなくても声が抜けてくる今回の朝比奈は、バンドのなかのひとりではなく、朝比奈を際立たせるために、あえて裏方にまわった演奏をしているように思えた。そうだ一緒にやろう、おれ達を越えてってぐらいのもんだから、バンドのサウンドを従えた朝比奈の歌声に仕上がっている、、、 おれは次第に大きなヘビに飲み込まれていく、、、
 最初のワンフレーズが終わると、ベースがドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッと盛り上げていく。それにあわてせおれの魂の鼓動も高揚していく、、、 なんだ、なんだ、この感覚は、、、 アユカワさんのベースは、なんだかおれの心音と一致していた、、、 そしてそこでサビに突入していく。
『カムトゥゲザー、ラーイナウ、オーバミー』
 おれの脳みそは沸点に達した。
 ピアノのひとがハモって、それが朝比奈のメインヴォーカルをさらに際立たせる。
 間奏ではケイさんのギターが、はげしくかき鳴らされた。それにあわせて朝比奈もあたまを振り回す。こんどは二人が同調し始めるもんだから、おれも曲に乗りながらも疎外感にさいなまれるじゃないか。
 最後には何度もリフレインして各楽器ともども盛り上がっていき、最高潮に達した。そこでケイさんのギターが、すべてをシャットアウトするストロークで店内を静寂に導いた。朝比奈はマイクスタンドに手を組んだまま宙を仰いでいた。そのまま時が止まってしまった、、、 朝比奈が止めてしまったのかもしれない。
 静寂が続いた。だれもそれを打ち消すことができなかった。蝋人形のように固まったままの朝比奈。そしてバンドのメンバーたち。アユカワさんもケイさんもピアノマンもドラマーも余韻にひたっている。朝比奈を蹂躙してきたバンドマンを、こんどは朝比奈が別のステージに連れて行ってしまったんじゃないかと思わせるほど。
「どう。オーディションに合格しかかしら?」
 髪をかき上げる朝比奈のその言葉とともに店内が息を取り戻した。今度はおれだけじゃなかった。みんなが立ち上がって拍手した。それとともにバンドマン達が朝比奈のもとに寄りあい、握手をしたり、肩を抱いたり、、、 ケイさんはやや長めに思えたのはおれの嫉妬心からだろうか、、、
 なんにしろ感動とかでは言いあらわせられない良質な映画のワンシーンに見えた。
「なんなのこれ、こんなのはじめてよ。もうエリナちゃん勘弁してよ。リハでこんなの見せられたら、本番に身が入らないじゃない」
 マリイさんが興奮冷めやらぬ状況で嘆息した。
「ボクちゃんが、エリナちゃんをあそこまで高めたのかもしれないわね。それもあのコが創り出したんでしょうけど」
 実際のところおれもそう感じていた。おれがいまここにいる理由。それは朝比奈が今日のリハーサルになんらかの目的を定めていた。おれとコンタクトとったのもそう。スタンドに来たのもそう。ケイさんにチンクを借りてグランドで走り回ったのもそう。そして噴水で声を殺して歌ったのは、いまこの場面で最大限のパワーを発揮するために、爆発的なエネルギーをため込むためだった。
 わかっていても感動できることもあるんだと、この歳になってあらためて理解したようで、そりゃここまで完璧にやられたら、おれなんかはもうぐうの音も出ない。
 朝比奈はまわりに手を振ったり、軽くお辞儀をしたりして、センターステージを歩くモデルさんな感じで、おれのいる、、、 おれとマリイさんのいる、、、 テーブルに戻ってきた。
「誰かに自分の考えを聞いてもらいたい。そして肯定してもらいたい。同じ意見なんだと迎合されたい。そんな結びつきだけがわたしたちを支えている。そんなものはみんな幻想にすぎない。わたしはね、ホシノ。わたしは、自分を受け入れられていないところで勝負しなきゃいけないの。あえて、そこに向かっていかなきゃ楽な選択肢からはなにも生まれない。勝ち取るには行かなきゃいけない場所なんだって。だから、そう、そうだからこそ出せるちからもある」
 気持ちがたかぶっているのか朝比奈は一気にまくしたてたのか、それにしてはその顔立ちはふだんと変わらない。そしておれはその意味を解せない。
「わたし着替えてくるから待ってて。コーラまだ残ってる。はやく飲んじゃってよ」 やっぱり朝比奈は冷静そのものいつもと変わりなかった。ここでもまだ本当の自分をさらけ出していないんだ。
 氷が溶けて薄まりかけたコーラなのに、飲み干すとほんのりと朝比奈の香りがした、、、 あっ、飲んじゃった、、、 それがどんな香りかと訊かれてもうまく説明できないし、できたとしても大切に自分の胸にしまっておきたい。
マリイさんがトレーを持って現れて、カラになったグラスをかたずけ、ダスターでテーブルを拭きコーヒーカップをふたつ置いて、そのひとつをおれにすすめた。マリイさんは席に着いて、いい香りがたつコーヒーを口にした。
「ほんとにねえ、おどろいたわ。エリナちゃんが男の子つれてくるなんて、全然そんな気配なかったのにねえ、これまで。それに今日のあのステージでしょ。ボクははじめて聴いたからわからないだろうけど、バンマスが言うように、声の艶が五割増しだったし、最後の一曲は勝負をかけていたわね」
 そんなもんなんだろうか。おれにはまだピンと来ない。あの朝比奈がおれが聴いてるからって歌いかたが変わるだなんて、それに勝負ってどういうことなんだ。
「あのコはねえ…」
 ちょっと困ったような、物悲しそうな、それでいて笑みを浮かべて話しを続けた。
「本当はもっと自分のことを知ってもらいたい。大声で叫びたい。『わたしはここにいるのよ!!』って、そうカラダの内側に隠している」
 カラダの、、、 内側、、、 に?
「そうよ、見てみたいでしょ。エリナちゃんの内側」
 いやーっ、、、 見て見たいっす、、、 内側までいかなくいいかな。
「いやあねえ。何言ってんのよ」
 マリイさんは大きな手と、おれの太ももぐらいある二の腕をじゅうぶんに効かせておれの肩をはたいたもんだから、関節が外れたかと思ったが、逆に肩のコリが取れてすっきりしたなんて言ったら、もう一度、はたかれそうなので止めておいた、、、