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赤紙(召集令状)作成の恐るべき内実

2022-09-28 07:42:19 | 戦争遺跡

 赤紙と呼ばれた「召集令状」はどのようにして作成され届けられていたのか。第3師団連隊区司令部勤務であった陸軍中佐・神戸達雄『「兵隊製造人」の手記』に興味深い事であるとともに、強く憤懣を覚える内実を書き残している。それによると、

「私が、今ここで、5千人や1万人の召集令状誰にしようと、私の意のままに出来たのだ。といっても、本気になって耳を傾けるものはあるまい。しかし事実、やればやれた部署に戦争中私は就いていた。今『南方で飛行場を建設するため3千人の要員がほしい』と仮定する。私たちの受ける命令は『昭和2年から5年までの徴収年次、未教育二国(第二国民兵)、3千3百人、3月1日午前10時××海兵団』とこれだけである(3百人余分の召集をするのは、事故病気で即日帰郷組を加算してある。この命令に従い、私たちは××海兵団、3月1日午前10時、とだけゴム印を押した、3千3百枚の無記名の赤紙を用意する。各地方別に分厚い1冊にとじられた兵籍名簿(私たちはこれを『軍名』といった)に、その赤紙を適宜に差し込む。それをあたかも仕事の早い事を競うがごとくに、処置したものだった。そしてその結果、赤紙の挟み方に精疎ができると、混んだ地方から抜き取ってまばらの地方へ廻した。平均をとるため私たちが無造作に行うこの操作で、抜かれた人は運を拓いたが、肩替わりされた者こそ不運だった。やがて私たちの手によって名を記入された礼状は、5時間以内には、間違いなく本人の手に届いていた」というものだったのである。

(2019年2月27日投稿)

 


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