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岸田自公政権による国立大学法人法改悪と日本学術会議の支配に思う「黄宗羲」のことば

2024-02-25 13:37:12 | 自公政権

 安倍晋三首相以降の自公政権は、日本学術会議はじめ国立大学法人法改悪によりその支配強化を巧みにおし進めているが、その自公政権をどう評価すべきか、又時の政権日本学術会議国立大学に対してどう対応すべきか。

 高宗羲(1610~1695)は、中国の明末清初の儒学者。明朝回復のため義勇軍を率いて戦ったが失敗した。以後は清朝に仕えず学問に専念し、清代実証史学の祖。彼の『明夷侍訪録』から彼のことばを一部抜粋して以下に紹介しよう。

学校は士を養うためのものである。然し古の聖天子が学校制度を始めたのは単にそのためのみではなかった。天下を治める所以のものすべてが学校より出る事を期待したのである。天子とするところ、学校は必ずしもとせず、天子とするところ、必ずしもとせぬ。天子もまた敢て自ら是非をなさずして、その是非を学校の公論にまつ。大学の祭酒(学長)は当世の大学者を推戴し、その重きこと宰相に等しからめる、或は前任の宰相を以てこれに当てる。毎月朔日、天子宰相および諸大臣大学に臨幸し弟子の列に就く。祭酒南面して講学し、政治欠失あれば直言して憚らない。」

(2024年1月20日投稿)

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