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沖縄「民主主義死んだ日」は日本全土への前兆、地方自治があぶない

2024-05-20 11:26:02 | 沖縄

 2015年10月29日、元名護市長、岸本建男氏の妻能子さんは、「民意は顧みられず、法も頼りにならない。今日は日本の民主主義が死んだ日です」と語った。

  翁長知事や沖縄県民はなぜ辺野古新基地」の建設に反対しているのか?色々な事があるが最も重要な事は、辺野古に建設されるのは新基地であり、その基地は米国の公文書によると耐用年数200とあるため、基地の恒久化につながるとともに、規模は普天間基地よりも大きくなる。そして、移設、建設、維持費は日本の税金とされているからである。沖縄県は基地の拡大恒久化を問題にしているのである。

 辺野古「新基地」建設を押し付けている安倍自公政権に対して、沖縄県民の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、総選挙の4つの小選挙区で「反対派」がすべて勝利した事により明確に示されている。にもかかわらず、翁長知事による「埋め立て工事承認取り消し」に対し、沖縄防衛局行政不服審査制度を使い、同じ政権内の国土交通省が「取り消し処分の執行停止」を認めた。

 「埋め立て工事承認の留意事項」として本体着工前に実施する事になっている事前協議も、安倍自公政権は「協議は終わった」と応じていない

 そのうえ安倍自公政権は、名護市の久志」「辺野古」「豊原の「久辺3区」に対し、沖縄県や名護市を交渉相手とせず、区長に「振興費」なるものの直接支出をして懐柔し、県民の分断対立を図り、辺野古の「新基地」建設を強行している。

 さらに、「代執行手続き翁長知事の権限自体を剥奪してでも強行しようと画策している。これは、沖縄県民に対する差別」(人権侵害と呼ぶ程度を超え、「弾圧である。「弾圧」と「懐柔」による県民の「分断対立」こそ、神聖天皇主権大日本帝国政府の常套手法であった。

 今、翁長知事を先頭に沖縄県民は、「民主主義」を取り戻すために闘いの意志を強めている。翁長知事は、沖縄県民にだけでなく、日本に民主主義を取り戻すために闘う、と共闘を呼びかけている。本土の日本人は、このエールをどのように理解し、どのように行動するかが問われているのである。

 アジア太平洋戦争末期には神聖天皇主権大日本帝国政府により、本土決戦のための「捨て石」(時間稼ぎ、米国政府軍事力の消耗を目的)とされた沖縄では地上戦が敢行され鉄の暴風とも形容される戦場と化し、軍隊とともに米軍との戦闘の最前線に立つ事(共生共死)を強要され、4人に1人の死者を出す多大な犠牲を大日本帝国政府のために払わせた事は周知の事実であるが、敗戦後の日本本土民の安全保障や経済的発展についても、その背景に昭和天皇日本政府(米国も)が共謀し、沖縄県民の意志を無視して日本政府が一方的に沖縄県を米国の施政(支配)権下に置く(日本領土から切り離す)事を強要し、日本国への返還後も「米国政府軍事基地」を押し付け続け、沖縄県民をその犠牲にして(戦争の不安、基地の事故騒音、米軍人による犯罪、自立的発展の不可、自己決定権なし、植民地状態など)きたからこそそれがあり得た事をどう考えるのか。この度の安倍自公政権による「辺野古新基地建設」は、日本政府が沖縄県民に対して3度目(より正確には4度目)の「捨て石」を強要し犠牲を強いる政策であるが、それに対して本土民は見て見ぬふりをするのかどうかという事である。誰かが人権を尊重されない状態があれば、それは真の民主主義ではない。沖縄県民を犠牲にしている安倍自公政権は民主主義を尊重していないし差別者である。その安倍自公政権を見て見ぬ(傍観)する本土民は安倍自公政権に加担(沖縄県民に対する差別を容認する)する事になっており、傍観者が多いほど安倍自公政権としては政策を実行しやすくなり正当化できるので、ありがたく思うだろう。それで良いのだろうか。

 また、安倍自公政権の沖縄県民に対して見せる姿勢は、沖縄県民だけで終わるものではない。安倍自公政権は、日本のすべての地方自治体すべての国民に対して、沖縄県民に対すると同様の意識や姿勢を持って臨んでいるのであり、安倍自公政権の沖縄県民への姿勢はやがて本土民にもじわじわと及ぼされてくると予想できる。明治時代の大日本帝国憲法制定過程で見せた自由民権運動に対する弾圧の歴史とも符合する。そして、沖縄県民に対する弾圧福島事件に相当する。安倍自公政権はその姿勢を安保法制の審議経過採決手法にもすでに現しているが、これで終わるものではなくこれからさらに他の分野でも現わしてくると予想できる。だからこそ、翁長知事を先頭に沖縄県民は「日本に民主主義を取り戻すために闘う」と共闘を訴えているのである。

 安倍自公政権は刃向かう沖縄県民を徹底的に弾圧ねじ伏せる事により、他の自治体が政権に刃向かう事を尻込みさせる効果をも狙っている。沖縄県民の自己決定権を奪うという既成事実をつくり、これを前例として全国の自治体にも及ぼそうとしている。安倍自公政権は地方自治体を意のままに動かす事を可能にするために地方自治」の在り方を大転換させようとしているのである。

 安倍自公政権は地方自治体をどのように改革したいのか?自民党の『憲法改正草案にその事が示されている。章「地方自治」第92条「地方自治の本旨」では、これは新設しようとするものであるが、「……住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を……」としているが、これは住民が主権者である事を認めず、政府の上意下達機関とする事であり、国家的な規模でなく身近な行政を扱わせようとする意図が見える。そして第2項で「……住民は……その負担を公平に分担する義務を負う」としているのである。

 また、93条「地方自治体の種類、国及び地方自治体の協力等」では、「地方自治体は、……その種類は法律で定める」としており、地方自治体を新しく定義し直し自治体を国に協力させやすくするように変更する意図が見える。では、「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない。地方自治体は、相互に協力しなければならない」とし、自治体が政府への協力に応じるように定めており、また自治体が単独で特別な行政を行わないよう自治体間で「同調圧力」を生じさせる文言を定めている

 96条「自治体の権能」では、現行では「その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する」となっているが、それを「その事務を処理する権能を有」するとだけ定め、自治体の権能を制約し、政府の権能を強めている

 さて、本土民は神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰を企てる安倍自公政権に対してどう対処すべきかを問われている。明治からの神聖天皇主権大日本帝国政府は敗戦で崩壊し、敗戦によって国民主権象徴天皇制(天皇制民主主義)へと変革されたと思われているが、それは実は看板だけで、敗戦後も敗戦前までの国家体制は表に見えない形できちんと維持されてきているのである。だから日本国民は今日まで150年間、皇国臣民(天皇の家来)化政策(教育)のもとでの歴史を歩んできたと言ってよいと思う。沖縄県の米国政府軍事基地問題は敗戦後の昭和天皇米国政府(マッカーサー)との密約により始まった。日本国民が真の自由を手に入れるためには、日本国民の「自由な思考や活動」を制約する「象徴天皇制」を廃止する事が重要な課題であろう。それは皇国臣民からの脱却であり、真の主権者としての立場を獲得するという事である。

 現在日本の政治様相は、神聖天皇主権大日本帝国政府時代の満州事変の翌年の5.15事件の時に似ている。現在は当時の軍隊に当たる勢力は存在しないが、その軍隊の果たした役割を行政権を掌握する安倍自公政権が一人二役で果たし当時の状況をつくっているとみなす事ができる。安倍自公政権は非合法クーデターで政策を実行する手法をとる政権である。そして、メディアの対応はそれを厳しく非難せず、「称賛」したり、また「やむを得ない」事として曖昧にし結果的に不問にするような対応をとっている。5・15事件当時のメディアの論調を見ると、テロを行った軍隊に対して「動機が正しければ、道理に反する事も仕方がない」というもので、このため軍はもちろん国民の間には軍の暴走や国際ルールの無視という事に対しても疑問を抱かない意識状況が作り上げられていったのである。その後の日本国民が歩まされた歴史は周知のとおりである。現在のメディアにもそのような姿勢が現れており、その姿勢が安倍自公政権の手法を正当化させ安倍自公政権が次々と「違法行為」をする事を許す事につながっている。また、メディアは国民には沖縄県民の問題が自分たちにとっても重大な問題となる、と自覚できないように疑問を持たないようにする手法で報道をしている。それがまた安倍自公政権を支持する国民を増加させ勢いづかせている。メディアは常に政権を監視し政治機構の不公正や不合理をただすなど、国民の権利が国家権力により侵害されないようにするだけでなく、より以上に保障尊重されるために日本国憲法の理念に基づいて主権者国民の側に立ち一体となってオピニオン・リーダーとしての役割を果たす事が使命である事を放棄してはならない。選挙制度や司法制度、政党政治、自治体行政などに対して根気よく批判を行うべきである。

 改めて確認しよう。安倍首相・安倍自公政権はどのような理念をもった集団なのであろう。閣僚の多くが「日本会議」の役員なのである。安倍首相は「日本会議」の特別顧問である。「真正保守の政治を実現する」事をめざす国民運動組織である「日本会議」の2014年~16年の3カ年構想によると、14年から、地方議会での憲法改正意見書採択運動を開始し、16年には国会発議が予定されている。「日本会議」の役員には神社本庁」や明治神宮を筆頭に「宗教団体の幹部らが入っている。「誇りある国づくり」を合言葉に、皇室敬慕の奉祝運動愛国心の育成靖国神社の公式参拝などの運動を展開。憲法改正(新憲法制定)は中心的政策。特別顧問に安倍晋三、麻生太郎。以下の役職には、谷垣禎一、石破茂、古屋圭司、菅義偉、高市早苗、加藤勝信、荻来田光一稲田朋美、磯崎陽輔などメディアによく出る名前が並ぶ。

 2013年7月始め、安倍首相は日本記者クラブの党首討論会で、権力に縛りをかける憲法の役割について、「王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方だ」と語った。自分は独裁者ではないと語っていたけれど、実際はどうだっただろう。主権者国民はこのような大きなウソにだまされてはいけない。

 今年の11月2日の「天声人語」には、東京都日野市議会が、昨年6月に新しい憲法の制定を求める意見書を可決した事が載っていた。改正の具体的主張はなく「時代の要請」だからとしているだけだ、との事。そして、同じような動きが地方議会に広がっている、との事。また、改憲に反対する者との関わりを避ける自治体が目立つ、との事。自分の生活する自治体の動きを調べてみよう

 本土民の将来は、沖縄県民の「辺野古新基地闘争」がどういう結果に終わるかにかかっている。翁長知事を先頭とする沖縄県民は本土民に共闘を呼びかけている傍観者でいる事は沖縄県民を差別する事になり、差別者安倍自公政権を利する。それは本土民自らも早晩安倍自公政権に自由を奪われる事につながる。時間はない。本土民はどうするのかを迫られている。今からでも遅くはない。沖縄と本土の国民が連帯して、「辺野古新基地建設」を阻止しよう。

(2015年11月4日投稿)

 


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