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象徴天皇皇族が戦後今なお原始オカルト宗教である皇室神道の最高祭祀者を続ける民主主義国日本

2025-02-19 13:41:56 | 皇室

 日本の中世社会では、時の為政者たちは神々の実在を信じており、その神々の戦争が存在すると考えていた。

 『吾妻鏡』には1183(寿永3)年、源頼朝が義経らを派遣し、木曽義仲と平家を追討しようとしていた1月19日夜、「鹿島大明神が賊徒追討に出陣する」という夢告が、鹿島社(茨城県鹿島町)の社僧にあり、翌20日夜、同社の宝殿が不気味に鳴動し、鹿や鶏が激しく群れ騒ぐ中、真っ黒い雲が宝殿を覆い、やがてその雲が西にたなびいていったとある。頼朝は、「鹿島大明神が上洛された、との報告後、敵を滅ぼす事ができた。誠に大明神霊験あらたかなるものがある」と述べ、朝廷に鹿島社の保護と尊崇を要請している。また、頼朝自身もこの件で鹿島社に恩賞を与えており、大明神の出陣を信じていたと見做してよい。

 『花園天皇日記』には1314(正和3)年、北九州で、「蒙古が襲来したため、我々が防戦しているが、香椎(宮)の神は半死半生の重傷を負った。祈禱してくれたなら、もう一度出陣して蒙古と戦うつもりだ」という託宣があったとし、この報告を受けた天皇は、自らの不徳がこうした外寇を招いたと自責して、仏神の助けを乞い願っているのである。また、「祈祷してくれたならば、もう一度出陣して蒙古と戦うつもりだ」とあり、「祈禱」というものが神々を奮い立たせて戦闘に赴かせる手段であったという事がわかる。祈祷は、暴力であり軍事力であり、神々の世界での戦闘行為そのものであったといえる。

祈祷……宮中で行われた公的な祈祷には「太元帥法」がある。国家鎮護の目的で、平安初期から正月行事として行われた。真言密教の修法で、大壇上に「百の利剣、百の弓箭、法具」などを配置して行った。元々敵調伏を祈り国王の威力を増進させる方法で、敵国伏滅のためにも随時行われた。日清・日露戦争昭和天皇即位時アジア・太平洋戦争などでも行われた。

 戦争に勝利した場合には、神仏にも恩賞が与えた。鎌倉後期には、神風により蒙古を撃退してくれたとして、幕府・朝廷は寺社の経済的保護政策を強力に推進した。

 神聖天皇主権大日本国政府は、アジア・太平洋戦争開戦翌年1月には、元寇(蒙古襲来)の際の先例に倣い、全国7社の一の宮である武蔵の氷川、上野の貫前、伊豆の三島、駿河の浅間、若狭の若狭彦、美作の中山、肥後の阿蘇の各社で、敵国降伏祈願祭を執行した。アジア・太平洋戦争末期の1944(昭和19)年6月、神祇院は『神社本義』を刊行し、「我等日本人が先ず自ら拠り進むべき道は、古今を貫いて易らざる万邦無比の国体に絶対随順し、敬神の本義に徹し、その誠心を一切の国民生活の上に具現し、もって天壌無窮の皇運を扶翼し奉るところにある。これ即ち惟神に大道を中外に顕揚する所以である。……かくて皇国永遠の隆昌を期する事ができ、万邦をして各々その所を得しめ、あまねく神威を諸民族に光被せしめる事によって、皇国の世界的使命は達成せられるのである」と述べている。

 1942年には「国民学校高等科」の「音楽一」の教材の中に、陸軍軍楽隊士官・永井建子が1892年に作詞作曲した軍歌『元寇』を取り入れ子どもたちに歌わせた。

「1、四百余洲を挙る 十万余騎の敵  国難ここに見る 弘安四年夏の頃

   なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり

   ※正義武断の名 一喝にして世に示す

 2、多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢  傲慢無礼もの 倶に天を戴かず

   いでや進みて忠義に 鍛えし我がかいな

   ※ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

 3、こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く  ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば

   死して護国の鬼と 誓いし箱崎

   ※ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

 4、天は怒りて海は 逆巻く大浪に  国に仇をなす 十余万の蒙古勢は

   底の藻屑と消えて 残るは唯三人

   ※いつしか雲はれて 玄海灘月清し

 早稲田大学は、『都の西北』制定以前に、『元寇』の替え歌煌々五千の炬火』を校歌としていた。漫画『はだしのゲン』の作中で「ゲン」が繰り返し歌う「八百八州のこじき、ざる持って門に立ち……」も同様に「替え歌」である。福岡県福岡市にある筥崎宮境内には曲碑がある。

 敗戦直後の11月12日天皇は、伊勢神宮、神武天皇山陵、明治天皇陵にそれぞれ「終戦奉告」のため参拝した。さらに12月3日、皇族男子を宮中に呼び、「歴代天皇に親しく自分がお参りして終戦のご奉告をしたいのだが、今の状態ではできない。みなで自分の代わりに御陵に参拝してほしい」と命じた。12月初旬、7人の皇族は手分けして全陵を参拝した。高松宮は京都・月輪陵など40数陵、閑院宮は奈良・聖武天皇陵など15陵、朝香宮は大阪・応神天皇陵など16陵といった具合にであった。

 秋篠宮夫妻は「立皇嗣の礼」を終えた報告という事で、2022年4月21日に天照大神を祀る伊勢神宮を参拝し、22日には天皇皇族が初代天皇と見做している神武天皇陵を参拝した。先進国に、このような事を行っている国が存在するだろうか?それも国民からの巨額の税金を使って。

(2022年4月24日投稿)

 

 


辺野古訴訟の自公政権勝訴は裁判官の沖縄差別、その根源は昭和天皇の異民族差別意識

2025-02-19 00:01:21 | 沖縄

 辺野古新基地について、米国政府の公文書では「耐用年数200年」とあり、建設されれば沖縄県民にとっては、これまでもそうであったが、今後も半永久的に、何世代にもわたる子どもたちにも、米軍基地が押し付けられるという差別的処遇人権侵害から解放されない生活が確定する事を意味しているのである。しかし、多見谷判決はその沖縄県民の「悲壮感」に一切応えようとしない、安倍政権側に偏向忖度した公正でない政治的判決といえる。

 9月16日に、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)が辺野古訴訟で、国勝訴の判決を下した。菅官房長官はその日午後の会見で「国の主張が認められた事は歓迎したい」と述べたように、国の主張を全面的に認める内容であった。それは、

「移設は沖縄の基地負担を軽減する。仲井真前知事の埋め立て承認に最良の逸脱・濫用はなく、翁長知事の取り消しは違法である」というもので、具体的には、

「普天間飛行場による危険性や地域振興の阻害は深刻で、改善するには移設するしかないが、辺野古以外は見当たらない。」。沖縄について、「(北朝鮮の中距離ミサイル)ノドンの射程外となるのは、我が国では沖縄などごく一部」といった国防上の「地理的優位性」や、「海兵隊の航空基地を沖縄本島から移設すれば機動力、即応力が失われる」といった米海兵隊の運用上の利点を認め「埋め立て事業の必要性は極めて高い」とした。環境への影響については「現在の知見を基に適切な措置を講じていればよい」とし、前知事の判断に不合理な点はないとした。

 さらに、「(前知事の埋め立て承認を)取り消した場合、日米関係の信頼関係の破壊などへの影響がある」とし、「(辺野古新基地)は普天間飛行場の面積の半分以下であり、基地負担の軽減を求める民意(県内移設反対)に反するとは言えない」とした。

 そして、「国の是正指示が出て『相当の期間』を経過し、不作為に当たる」とした。

 判決内容がどのようなものかは、冒頭にも書いたが、多見谷判決は、憲法第76条第3項「裁判官の独立」にある「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」という規定に反しており、誠意をもって判決を下したとは言えない。翁長知事の言葉通り、安倍自公政権追認機関としか思えないからである。安倍自公政権と多見谷裁判官が結託した結果がこの判決であると考えられるのである。

 なぜ、沖縄県民はこのような理不尽な処遇を受けなければならないのか。この米軍基地問題の根源には、昭和天皇の沖縄に対する姿勢が発端として存在し、現行天皇もそれを改めて考えてみる事もなく継承している事を知っておかねばならない。

 昭和天皇は、象徴天皇の地位を獲得するために、米国マッカーサーと取引し、憲法第9条を入れる代わりに、安保条約締結を約し、沖縄を米軍基地として提供する事を約したのである。沖縄は、昭和天皇によって、本土から切り捨てられたのである。それは寺崎英成御用係の言葉に明らかである。

 1947年9月中旬、寺崎は「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるために」として、アチソン亡き後のシーボルトを訪ね、次のような談話を行っていた。寺崎がいうには「天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球その他の諸島を軍事占領し続ける事を希望している。天皇の意見によるとその占領は、米国の利益になるし、日本を守る事にもなる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民が、ロシアの脅威を恐れているばかりではなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが事件を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているが故に、国民の広範な承認を勝ち得る事ができるだろう。天皇がさらに思うに、米国による沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の(25年から50年ないしそれ以上の)貸与をするという擬制の上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、米国が琉球列島に恒久的意図を持たない事を日本国民に納得させる事になるだろうし、それによって他の諸国、特にソビエト・ロシア中国が同様の権利を要求するのを差し止める事になるだろう。」との事であった。

 沖縄の米軍基地による苦悩の根源は昭和天皇にあり、その意思を現行天皇は継承しているのである。また、安倍自公政権はその現行天皇と結託し、多見谷裁判長を抱き込んで辺野古移設を強行しているのである。

 ついでながら、辺野古訴訟を報じる新聞記事の横に内閣府の「政府広報」が載っていたが、それは「一人ひとり、かけがえのない命 障害のある人もない人も、みんな輝く存在です。お互いを認め合い、支え合いながら、未来を築く共生社会を実現しましょう。」である。

これは、安倍自公政権の持つ「欺瞞性」を如実に表しているのではないだろうか。

(2021年9月22日投稿)