2015年4月に、「適切な対応を要請したい」と表明していた安倍自公内閣の下村文科相が6月16日、東京都内であった国立大学長会議で、全86の国立大学長らに対して、卒業式や入学式で、国旗国歌について「取り扱いについて適切にご判断いただけるようお願いする」「ただし、学習指導要領に基づいて実施を指導してきた小中高校とは異なり、各国立大学の自主的な判断に委ねられている」と述べた。記者団の「適切な判断とは国旗を掲揚し、国歌を斉唱する事か」という質問に応え、「文科省としてそういうお願いをした」「最終的に各大学の判断。大学の自治とか学問の自由とかに抵触するような事は全くない。介入ではない。お願いしているだけだ」と答えた。(4月安倍首相は、参院予算委員会で、国立大に税金が投入されている事を理由に、国旗掲揚や国歌斉唱が「正しく実施されるべきだ」と述べた。教育再生実行会議委員の麗澤大教授・八木秀次(日本会議)は「学問の自由への介入ではない、小中高では学習指導要領で浸透したのに、多額の税金が投入されている国立大があえてしないとしたら国立大とは一体何なのか、国旗は日本の大学を示すシンボルに過ぎず、教育研究への介入とはとらえ難い」と主張。)
6月15日、安倍自公政権文科省の有識者会議が、「国立大学改革」の一環として国立大への「運営費交付金の配分」見直しを決定したが(この見直しの発想に問題があるが、人文社会系学部の廃止の発想と同じであるが)、彼らはこの「交付金の配分見直し」と「要請」をリンクさせている。掌握している権力を恣意的に利用し(私物化)、表面的には「自主的な判断を」とか「お願いしているだけだ」と言ってるが、本音では「言う事を聞かないのなら金はやらないぞ」という「脅し」をかけて、強要している。この手口(麻生副首相の言葉)は陰険な嫌がらせや制裁をちらつかせて認めさせる「やくざの手口」と同じであり、民主主義政治では許すべき事ではない。敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国では権力側為政者の常套手段であったが、安倍自公政権ワールドはその時代錯誤の体質を強くもっており、放置できない。彼らは2018年度から小中学校の「道徳」を正式教科としたが、今回の「要請」(強要)を見ても、生徒に国民に対し「道徳をうんぬんする資格」を有しているとは思えないし、他の政策(安保保障法制)の審議姿勢をみても国民の権利と幸福を保障しなければならない事を使命とする「為政者としての資格」を有しているとは思えない。
彼らはまた、「要請」について「大学の自治とか学問の自由とかに抵触するような事は全くない。介入ではない」(下村)とか「日本の大学を示すシンボルに過ぎず、教育研究への介入とはとらえ難い」(八木)と主張するが、このような要請(強要)は憲法第23条の「学問の自由はこれを保障する」事を侵害しているし、改正教育基本法第7条「大学」にうたう「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供する事により、社会の発展に寄与するものとする」②「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」という事を無視したものである。まさしく「強要」であり「介入」以外の何物でもない事は明白であるし、そもそも「お願いする」というような表現をする類の事柄ではない重要な事柄である。しかし、それを無視し正当な事として「要請」するというところに、彼ら安倍自公政権ワールドがいかに民主主義を尊重していないかが証明されているし、「民主主義を大切に思う国民」にとって危険な集団であるかを感じさせる。
さらに、今回の「要請」を「強要」「介入」「憲法違反」として批判・抗議・阻止しなければならない根本的な理由は、安倍自公政権ワールドが「国旗掲揚・国歌斉唱」を強要する本当の目的を許すわけにはいかないからだ。
安倍自公政権ワールドはひた隠しにしているが、それは「国旗=日の丸」「国歌=君が代」が明治から敗戦までの間、学校教育や国民教化において恐ろししい力を奮っていた「天皇教(国家神道)」の宗教アイテムだったからである。キリスト教でなぞらえるならば、国旗は「天照大神」をシンボライズしたもので「キリスト像」にあたり、国歌は「天皇を讃える歌」で「讃美歌」にあたるものであったからである。ちなみに、キリスト教の経典「聖書」にあたるものは、「教育勅語」であった。安倍自公政権ワールドは神聖天皇主権大日本帝国への回帰や国家神道の復活を目指しているが、この実施率の多寡が、かつての敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国と同様に、彼らにとっては国民に「皇国臣民としての自覚」を持たせる指導の成果を測る指標となるのである。そのために彼らにとって絶対譲れないものが「国旗掲揚」と「国歌斉唱」の例外を認めない強要なのである。安倍自公政権ワールドは、神聖天皇主権大日本帝国への回帰や天皇教(国家神道)の復活という目的を、国民にウソをついて騙し、「やくざの手口」を使い達成しようとしている。
以上の事から分かるように、安倍自公政権ワールドが「国旗掲揚」と「国歌斉唱」を「強要」するという事は、国家権力が「国家神道」という宗教を「強要」する事であり、憲法第20条「信教の自由」を「侵害」するものなのである。また、改正教育基本法第15条「宗教教育」を侵害するものなのである。
⇒憲法第20条「信教の自由」➀信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加する事を強制されない。③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
⇒改正教育基本法第15条「宗教教育」②国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教活動をしてはならない。
この安倍自公政権ワールドに対して、民主主義政治を尊重する立場に立つ者としては当然の事ながら、抗議し阻止しなければならないという事になる。闘いを挑まれた、大学教員や弁護士ら計216人が呼びかけ人となり、「国旗に正対しての国歌斉唱は国家への忠誠を誓わせる儀式で、大学に要請するのは言語道断」とする声明が発表され、6月10日、文科省に提出されるなど各地で抗議の動きが巻き起こっている。
安倍自公政権ワールドは、日本のすべてを永遠に私物化する事をめざしているが、我々は独裁政治をする安倍自公政権ワールドに、日本の自然や郷土や国家、生活や人生や命を委ね任せるわけにはいかない。内閣総辞職、衆議院解散、政権交代を目指そう。
(2015年7月4日投稿)