関東大震災時の朝鮮人虐殺事件は、第一次世界大戦後、日本独占資本主義の確立を社会的基盤にして形成された、「神聖天皇主権大日本帝国の労働者階級を中心とする日本人民の諸階級・諸階層と、朝鮮人労働者階級を中核とする朝鮮人民との反日本帝国主義の連帯の芽生えを、つみとろうとして神聖天皇主権大日本帝国政府によって強行されたものである」とされている。
布施辰治は在日朝鮮人調査会(慰問会)の発起人、顧問として活躍し、1924年9月に『鮮人騒ぎの調査』(日本弁護士協会録事)を遺している。以下はその➀のつづきである。
「第三は、鮮人殺害下手人の種類であるが、官憲当局の発表によると、その殺害下手人は悉く自警団員であって、当局官憲のものには何ら関係がない事になって居る。けれども現在鮮人殺害事件の被告人は、自警団員が自ら進んで鮮人の殺害を企てたというわけのものではなくて、すべてが警察官憲の教唆か、使嗾か、指揮かに基づいたものであるといって居る。私の友人で在郷軍人分会長をして居る弁護士さえも、幸い鮮人に出会わなかったから殺さずに済んだが、二日の晩に一人の警察官が、今朝鮮人が来るから各自武器を持って警戒せよというて来たので、自分らは警察官のいう通りに日本刀を提げて戸外へ出た、そこへ又一人の警察官が来て、鮮人が来たならばヤッツケてもカマワないというて来たので、鮮人が来たら暴行の有無如何にかかわらず、これを斬るつもりだったといって居た。又現に警察官や軍隊のある者が手を下して斬り殺したり、銃殺したりした鮮人の殺害が少なくないというて来る者がある。しかるに鮮人の殺害が全部自警団の所為であって、いやしくも官憲に在職するものは、全然これに関係しないという当局の発表は、あまりにひどい白々しさであった。
第四に問題になるのは只単に殺害されたという言葉だけでは、いわゆる鮮人殺害の真相が尽くされていない。殺害にも方法があり種類がある、誤って射殺された殺害も殺害なれば故意に惨酷にナブリ殺しに殺した殺害も又殺害である。従って同じ殺害という言葉に表れたる殺害でも、その殺害の手段方法如何によって、いわゆる殺害事件の批判が自ら異ならざるを得ない。ところでいわゆる鮮人の殺害方法は果してどうだったか、鮮人と誤認されたものの殺害でさえも惨酷を極めたものである事は、埼玉、群馬、千葉の法廷に展開せられた通りである。さらに真の鮮人の殺害された状態は、私の筆にするも忍びない。鳶口、針金、拳銃、竹槍、日本刀などの武器が、どう使われたかは、今なお身震いして現状の目撃者の語るところである。
さらに、殺害された後屍体焼却に至っては、当局官憲の認るところでありながら、この事実を正直に発表しないのははなはだ卑怯である。
最期の問題は、殺害下手人の責任に関する捜査、検挙、処罰の実情であるが、私どもは是非の批判よりもまず厳粛なる事実の前にヒレ伏す敬虔な誠意を以て鮮人殺害問題の真相捜査にも検挙処罰の前後策にも臨まなければならない。左様して敬虔な誠意があってこそ、禍を福に転ずる事もできるのである。しかるに官憲当局のこの点に関する態度も発表も、殆どなって居ない。私どもは人の過ちはその人が自らその過去を改むる事によりてこれを許したい。又、人の悪事はその悔い改めに任せたい。従って鮮人殺害の真相がどんなにひどくともそれが過ちであるならばその過ちを改めてこれを再びする事のないように、又それが故意の悪事であったら、真に心からの悔い改めによるその罪を償う事を以てその前後策としたい。(具体案は後日述べる)それにはどうしてもまず第一に事実の真相を調査確定する必要がある。これは私ども自由法曹団で着々鮮人殺害問題の真相調査を進めて居るところなのである。官憲当局はすべからく臭いものに蓋の事実隠蔽や発表の誤魔化しを計るような従来の態度を改めて、私どもの調査に便宜を計って貰いたい事を希望する。」
(2023年9月2日投稿)