日露戦争(1904年2月~1905年8月)においても、米国の狡猾な世界戦略がうかがわれる事を、『ベルツの日記(1905年8月27日)』より以下に紹介しよう。
「ルーズヴェルトは講和条約のため、全力を尽くしている。一般にアメリカの世論は急変して、ロシア側に有利となったらしい。別に不思議な事はない。清国(現中国)商人の大々的な対米ボイコットによりアメリカは、日本の勝利がいかに好ましからざる影響を伴うものであるかを教えられ、また適当な時機に日本(神聖天皇主権大日本帝国政府)を抑えつけないと、この影響がさらに程度を増大するかも判らない事を知ったからである。」(1905年8月27日)
(2021年10月12日投稿)