今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行38

2008-09-16 21:09:15 | 鉄道旅行

例によって入場券を求め、スタンプを押そうとしたらスタンプ帳は満パイ。売店を見れば現在持っているのと同じブルーがあったが、同じものは気が進まず買わなかった。Sは喫茶店でもないか駅前を見ていたが、これといったところはなさそう。
 私は駅の入口脇にあった自動販売機で、不二家のアイスコーヒーを飲もうと100円入れてボタンを押したが出てこない。売店のジイさんにそのことを言ったら、そんなことはないと言いながら機械の中を開けて、金は引っかかっていないからなんともないと言って再びフタをし、自分の金でジイさん自身が試すと何と出てくる。50円と間違えたのじゃないかと言って、出てきたカンを私には渡さずに手に持ってそそくさと行ってしまった。私は「何ぬかしてやがるね」と小声で言ったが、おそらくこの美しい関西弁を付近の2~3人の地元の人は耳にしたはずだ。自分の財布の中を見たが、一枚だけしかなかった100円玉を使ったから100円玉はない。50円だけでも返してもらいに行く。ジイさんはあやまりながら50円玉を私に渡したが、何とも気分が悪い。ここでスタンプ帳を買わなくてよかった。私は文具店をさがしに町に出た。駅前通りを突き当たると国道らしき広い通りに出る。そこを左へ曲がったところに文具店はあった。線のない白紙ノートをと言うと、スケッチブック大のものしかないと言う。ふと下に目をやると小学生向きのノートが並んでいたが、その中に表紙は子供っぽい絵だが白紙のノートがあった。70円だった。
 1125頃に改札が始まる。雄武行は後ろの車両と思われるのでホーム後方へ行く。入ってきたのはキハ22の2連。雄武行は後ろ1両ということになる。この駅で客が何人か降り、車内はそんなに混んでいなかったが、発車時には空いたBOXはなかった。我々は山側に席をとった。Sはオホーツク海を見るのを忘れていたらしく、座ってから私がそのことを言うと、「あっそうか」と言っている。しかし、かえってこの方が後々よかったのかもしれない。

31年前の北海道旅行37

2008-09-10 21:40:11 | 鉄道旅行
列車は定刻に出発。大曲停留所付近まで石北本線と並行する。石北本線と分かれると、網走湖を南に見て走る。ちょうど湖を石北本線とこの勇網線がはさむようなかたちで走る。卯原内からは能取湖が見えてくる。写真で見たことのある、あの赤いアッケシは、シーズンでないのかわずかしか見られない。そのせいか湖岸はドロの色を呈している。能取まで列車は能取湖に沿ってカーブしながら進む。

       



常呂で反対列車との交換で23分停車。私は一旦改札を出たが、その際、駅員にこれまで無傷だったB券に途中下車印を押された。スタンプを押す男女が多く、設置場所には5~6人も並んでいる。入場券を買う者も何人か見かける。以前は一部の鉄道ファンしか集めていなかった入場券が、最近ではスタンプとともに旅の記念の一つとして、一般の旅行者にもよく買われるようになってきている。鉄道ファンでもないのにと思う一方で、赤字ローカル線の利益を少しでも上げる助けになればとも思う。それによって廃止を延ばすこともできるから。
 ところで、常呂から札幌方面へ行く場合、この時間帯は網走回りより中湧別経由の方が早い。だから、一旦網走回りで買った女の子が、ユースかどこか宿泊先の見送りの若い男に中湧別まで行った方が早いと言われて、変更してくれと駅員に頼んでいる。余談だが、網走から札幌方面へ行く場合、石北本線経由よりも勇網線回りのほうが距離が短い。
 常呂から計呂地あたりまでは、林の中やゆるやかな起伏の草原や牧場の間を走る・どこの駅だったか無人駅で列車が発車したのと同時に、駅舎から白い服を来た高校生くらいの年かっこうの女の子が出てきた。列車はそれを見つけて急停車。女の子はホームのはずれで車掌室から乗せてもらっていた。一日に数往復しかない線で、相手が若い女の子だったからできたのかもしれない。ローカル線らしい。今は駅員のいない改札口でその女の子の母親らしい人が、丁寧に発車していく列車に、深々とお礼のおじぎをしていたのが印象的であった。
 列車は計呂地からしばらくの間サロマ湖沿いに進む。湖の向こうに砂嘴が見える。列車は湖岸のすぐそばを走る。このあたりは鉄道写真のよい撮影地になるのではないか。サロマ湖も見えなくなると間もなく中湧別である。中湧別には4方向から線路が集まってくる。1057到着。我々の乗る1133発名寄・雄武行まで少々時間があるので、一旦改札を出て待合室で待つようにとのアナウンス。北海道にはこういう駅が多い。


31年前の北海道旅行36

2008-09-05 21:24:31 | 鉄道旅行
  1977.8.26 Fri.
 翌朝は6時頃にマイクでオバハンががなりたてていた。6時30分ごろ起きて、7時ごろになって朝食をとりに行った。朝食は6時30分かららしい。受け渡し口で食事を受け取る。女子高校生がアルバイトで用意しているらしく、通学前だろうか、セーラー服で仕事をしている。朝食はパンが3枚あった。それとキュウリにマヨネーズのかかったのとウィンナソーセージ。それと薄い紅茶。スープがあるのだが、入っていたナベはからっぽ。仕方なく紅茶でパンを食う。後から来たヤツがスープはないのか聞いていたが、もうないという返事だった。ひどいYHだよ、まったく。ただ、食った食器はアルバイトの高校生がやってくれるので助かったが。
 朝食を食えばこんなところに長居は無用と、すぐ荷造りをして出発。網走駅へと向かう。来る時よりもにぎやかそうな通りを歩いて駅へ行く。しかし、時間が早いせいか店は一軒もあいてなく人影もまばら、車の通行量も少なくゴーストタウンみたい。
 我々は8時前に駅に着いたが、今し方列車が着いたのか、すごい高校生の列。その中をかきわけて本屋にたどりつく。この混雑、ちょうどこの時刻に石北、釧網、勇網の3線から列車が到着するためであろう。それにしてもタクシーを利用する高校生の多いこと。
さて、駅本屋に入ると多くの客が列車待ちをしている。三つある改札口のうち、現在758発北見行普通のみ改札中。815発勇網線中湧別行と「しれとこ2号」釧路行はまだ改札しておらず、改札口の前に乗客が列をなしている。我々の乗る中湧別行も「しれとこ」程ではないが行列ができている。これではたまらないので、758発北見行の改札を通る。周遊券だからできることかも知れぬが、バカ正直に並んでいられない。勇網線は1番線北見行が停まっているホームの先の0番線から出る。これも改札前に堂々と入れた理由でもある。0番線は目下工事中。列車はキハ22の単行だ。我々が北側の席を確保して間もなく、改札が始まったのかドカドカと乗客が乗り込んで来た。単行だからすぐにほぼ満席になった。正直に並んでおればどうなったことか。北側は能取湖、サロマ湖、オホーツク海が眺められる。

      

31年前の北海道旅行35

2008-09-03 21:12:48 | 鉄道旅行
 一階の談話室にSと行ってみることにする。グループ旅行者などが談話したりテレビを見たりしている。テレビから遠い部屋の隅の方にイスがあいていたのですわる。かかっているカラーテレビでは歌番組をしていた。ちょうど桜田淳子が何か賞をもらい、石川さゆりが何かの大賞をもらってうれし泣きしていた。それを見てSが、私の平凡パンチを列車内で借りて見ていたのを思い出し、「これはずっと前から決まってたんやで」と言う。そう言えば平凡パンチには特集を組んで彼女のことが書いてあり、この放送の賞を提供していたのが平凡社であったから。
 ここの談話室は9時までしか使えない。キビシィー。ところでこの談話室だが、天井が一部板がはずされ、電気のコードが切ってテープで巻いてあるのが見える。一方でこの場所にふさわしくない飾り電灯や鏡、プラスティック製のトイレの案内板など、以前はレストランかバー、喫茶店なんかをやっていたように見受けられる。このYHの風呂のひろいことや、私の寝たベッドの横に使用しないドアがあったことから、どうやら以前はビジネスホテルでもやっていたのではないか。それが老朽化し、とても一般客に来てもらえそうになくなったのでYHにしたのではないか。
 部屋に戻る。他の宿泊者もこの三段ベッドに驚き、これはまるで監獄だと言う。みんな思うことは同じだ。ご存知網走には有名な刑務所があるが、それをもじってか「監獄ユース」とこの部屋の者は、だれかれともなく言い出した。
 その後、私は下の洗面所へヒゲをそりに行った。洗面所には歯を磨きにSも来ていたが、そこの水道がまた話題になる。プッシュ式の蛇口で節水できる構造になっているのだが、水圧が高すぎて少し押すだけで水がドバーと噴き出す。かわいそうに横にいた女の子はかなり服に水が飛んでいる。しかし、その三人組の女の子は、それでも楽しそうにしていたが。Sの水道もアウト。ところがどうしたことか私の使った水道だけは大丈夫。日頃の行いが良いからかなぁ。
 部屋でSとまた明日以降の計画を練る。昨日も少し出たのだが、利尻へ行こうかと言ってみる。私はYHの夜間登山がしたくなったので行きたかった。だが、他の線区が乗れなくなるので迷っていた。Sもどちらかに決めかねている。どちらかと言うと登山に乗り気でない。くつが値段の高いズック(スニーカー)だから。さらに、利尻に行くとしたら礼文もついでに行こうかなどとと考えたりしたが、今夜は結論が出そうにない。
 10時近くになってYHのオバハンがマイクでがなりたてる。「10時になります。どなたさまも洗顔や歯を磨く方はすみやかにお願いします」と。また、近所迷惑になるから消灯後はしゃべるなとか。それを守れない者は放り出すとか、10時を過ぎると電気の元スイッチを切るとか、うるさく注意する。オマエのマイクの声こそ近所迷惑だろうが。
 10時に消灯。本当に元スイッチは切られていた。窓際の3~4人組が1時間ほどしゃべりやかましい。

31年前の北海道旅行34

2008-09-02 21:20:30 | 鉄道旅行
宿泊費を払い、部屋は8号と言われる。8号は洗面所に通じる階段の前にある。二階である。Sがドアをノックし、開ければ中は真っ暗やみ。電気のスイッチはとドア近くの壁をさがしてもない。廊下の明かりで目をこらせば、天井からスイッチらしきものがぶらさがっている。さて、スイッチを入れてびっくり。蛍光灯に映し出されたその部屋の光景はまさに監獄。何と、色あせた縞模様のマットが敷かれたスチール製三段ベッド。これが8コだから一部屋24人も泊まれる。これなら定員250名は入れるわけだ。
 先客は荷物から判断して1人か2人だけらしい。私は荷物を適当なベッドの上に置き、トイレに用足しに行く。トイレのとなりは風呂場だが、本日のフロは終了という板がかかっている。そんなことは後で、まずトイレへと。二階のトイレは狭く、小用は1人、大は2人しかできない。その大用は両方ともカギがこわれている。内へ開ける方式なので少しは我慢できるが。一応、まともな水洗だ。こんなYHだからペーパーもないのではと前もって用意して行ったが、あるある、太いのが。このトイレには落書きがいくつかあり、その中に「おかわり一ぱい100円シビア」なんて言うのがあった。やっぱり標津町YHで聞いた話は事実だった。
 トイレの後、本当にフロは終わりか受付に聞きに行く。ここの息子らしいのが出てきて、8時までならよいという。7時40分になっていたので急いで入る。風呂場は古びて汚いが広い。高尾YHなみの広さで泳げそうである。中には2人いるだけ。ところが、ここでこのYHの悪どさを見せつけられた。8時にはまだ少し早いと思われる時、体を洗っている最中に湯が止められ、出るのは水ばかり。Sは「カゼをひくぞ」と言って、怒って出て行った。私は水でしつこく頭を洗い、誰もいない浴槽で一泳ぎして出た。
 フロを出て部屋に戻ると、後から来た宿泊者がいる。8時を過ぎているから、これでこの部屋はこれ以上来ないはずだ。幸い10名ほどしかいないので、ベッドを一つ全部使える。下段に荷物を置き、中段に寝ることにする。
 明日泊まる浜頓別YHに電話する。生意気に電話だけはプッシュホンである。宿泊OKだが、返事のハガキをもらわずに出発したと言うことで、向こうは「それでもマァいいでしょう」とやや無愛想な返事。