6月 30日 (土)
朝、5:50 家を出て、談合坂SAのスタバで朝ごはん🥪
今日は、会津まで450kmも走るから、朝ごはんも食べずに家を出てきました🏍〜
スタバには、インスタ映えしそうなサンドイッチが並ぶ。

映えない(笑)

10:00 那須高原SAで休憩🍦


12:00 お昼ゴハンは、飯盛権現蕎麦 「桐屋」

店内

夫は、「蕎麦三昧」。私は「高遠蕎麦」に会津アスパラの天ぷらを付けました。アスパラが太くて甘くて美味しかった♡

暑い中、休憩も含めて約6時間走り🏍〜、私はすでに疲れてます。山登りよりも疲れてます(-。-;
サービスの冷たい蕎麦茶を何杯もお代わりしました。熱中症になりそうだヮ💦
なんも面白くない(~_~;)
12:50 飯盛山 到着。白虎隊 自刃の地です。

夫は、2015年「八重の桜」放映時に一人で訪れているので、ガイド役です(笑)
入り口のお土産屋さんの先に、長い階段。

「暑いし、長い階段だから」と、夫は、迷わずチケット買いました。(歩けょ〜)

たった2つのスロープコンベア(デパートのエスカレーターくらいの長さ)に、1人250円支払いました。アホらし。
スロープコンベアを降りて数段の階段を上がると正面に…
「白虎隊十九士の墓」

ひとつひとつの墓石に名前と歳が刻まれています。十六歳、十七歳と。ただただ切ない…。

その脇に、松平容保が、自刃した白虎隊のために詠んだ弔歌がありました。
「幾人の涙は石に注ぐとも、その名は世々に朽ちじとぞ思う」

「会津藩殉難烈婦の碑」
戊辰戦争で、自刃または戦死した会津藩婦女子230余名の霊を弔う碑。「八重の桜」を思い出します。

「イタリア記念碑」
白虎隊の壮烈な精神を称え、ローマ市から寄贈されたもの。

イタリア記念碑の脇の階段を下ると、

「白虎隊自刃の地」

あどけない少年の視線の先には、

鶴ヶ城🏯

鶴ヶ城が炎上していると見誤り、主君、家族を思いながら自ら命を絶ってしまったのですね。
傍に、「飯沼貞吉少年の墓」
白虎隊唯一の生き残り飯沼貞吉さんのお墓。彼によって白虎隊の実録が語り継がれていきました。
彼は、その後、仙台に移り住み、昭和6年に78歳で亡くなったそうです。

飯盛山を下ると「戸ノ口堰洞穴」

戊辰戦争の折、戸ノ口原の戦いで傷ついた白虎隊たちは、この洞穴150mを潜って通り、命からがら飯盛山にたどり着き、目にしたのは城下の黒煙…今は、猪苗代湖の清らかな水が豊かに流れています

最後に白虎隊とは関係ありませんが、特殊な建造物を見ました。
「さざえ堂」

以前、ブラタモリでやってました📺
1796年に建てられた木造16.5mの仏堂。国の重要文化財。
上りは右回り。

最上階で橋を渡ると、

下りは左回り。

誰ともすれ違わずに上って下りることができます。下る時に、天井の上を歩く音が聴こえて、ああ、さっき歩いてきたのは、ここの天井の上だったんだなと分かります。
昔はこの仏堂に西国札所の33観音像が祀られ、一巡すれば巡礼が叶うとされていたそうです。
今は、「皇朝二十四孝」が飾られてますが、暗くてよく見えません。

出口は、正面入り口の真反対にありました。

飯盛山前の駐車場に戻るとなんだか雲行きが怪しくなってきました。カミナリも鳴ってきました
鶴ヶ城に着いた時は

「鶴ヶ城」

カッパを着て、中に走り込みました。

入るといきなりヒンヤリ
江戸時代になると、大きな城は無用の長物だったようです。

貯蔵庫の役目をしていたそうです。こんな風に↓
「塩蔵」

今年2018年は、「戊辰150年」ということで、天守閣(この五層全体を天守閣というそうです)の、一層から三層で「幕末・戊辰戦争特集」の展示をしていました。
会津の名刀の数々、会津攻めに使われた錦旗、スペンサー銃、激闘を描いた禁門の変図屏風、日新館、松平容保の肖像画などが展示されていました。もちろん撮影禁止🙅♀️
四層には、会津ゆかりの先人たちの紹介。もちろん、八重さんも🌸

五層から、飯盛山を望めます。

1868年、鶴ヶ城は、戊辰戦争で大きな被害を受け、

1874年に取り壊され、石垣しか残らなかったそうです。
1965年に、昔の写真を元に鉄筋コンクリート造りで再建。でも、中の様子が分かる資料はなかったそうです。
お城の外に出ると雨は止んでいました👍
でも、オートバイは、びしょ濡れ💦タオルでシートやスクリーンを拭いて(自分で拭けよぉ〜)
ひと雨降って少し涼しくなりました

石垣だけが時の流れを感じさてくれた鶴ヶ城は、お城の形をした博物館でした。
🏯 おしまい 🏯

朝、5:50 家を出て、談合坂SAのスタバで朝ごはん🥪
今日は、会津まで450kmも走るから、朝ごはんも食べずに家を出てきました🏍〜
スタバには、インスタ映えしそうなサンドイッチが並ぶ。

映えない(笑)

10:00 那須高原SAで休憩🍦


12:00 お昼ゴハンは、飯盛権現蕎麦 「桐屋」

店内

夫は、「蕎麦三昧」。私は「高遠蕎麦」に会津アスパラの天ぷらを付けました。アスパラが太くて甘くて美味しかった♡

暑い中、休憩も含めて約6時間走り🏍〜、私はすでに疲れてます。山登りよりも疲れてます(-。-;
サービスの冷たい蕎麦茶を何杯もお代わりしました。熱中症になりそうだヮ💦
なんも面白くない(~_~;)
12:50 飯盛山 到着。白虎隊 自刃の地です。

夫は、2015年「八重の桜」放映時に一人で訪れているので、ガイド役です(笑)
入り口のお土産屋さんの先に、長い階段。

「暑いし、長い階段だから」と、夫は、迷わずチケット買いました。(歩けょ〜)

たった2つのスロープコンベア(デパートのエスカレーターくらいの長さ)に、1人250円支払いました。アホらし。
スロープコンベアを降りて数段の階段を上がると正面に…
「白虎隊十九士の墓」

ひとつひとつの墓石に名前と歳が刻まれています。十六歳、十七歳と。ただただ切ない…。

その脇に、松平容保が、自刃した白虎隊のために詠んだ弔歌がありました。
「幾人の涙は石に注ぐとも、その名は世々に朽ちじとぞ思う」

「会津藩殉難烈婦の碑」
戊辰戦争で、自刃または戦死した会津藩婦女子230余名の霊を弔う碑。「八重の桜」を思い出します。

「イタリア記念碑」
白虎隊の壮烈な精神を称え、ローマ市から寄贈されたもの。

イタリア記念碑の脇の階段を下ると、

「白虎隊自刃の地」

あどけない少年の視線の先には、

鶴ヶ城🏯

鶴ヶ城が炎上していると見誤り、主君、家族を思いながら自ら命を絶ってしまったのですね。
傍に、「飯沼貞吉少年の墓」
白虎隊唯一の生き残り飯沼貞吉さんのお墓。彼によって白虎隊の実録が語り継がれていきました。
彼は、その後、仙台に移り住み、昭和6年に78歳で亡くなったそうです。

飯盛山を下ると「戸ノ口堰洞穴」

戊辰戦争の折、戸ノ口原の戦いで傷ついた白虎隊たちは、この洞穴150mを潜って通り、命からがら飯盛山にたどり着き、目にしたのは城下の黒煙…今は、猪苗代湖の清らかな水が豊かに流れています


最後に白虎隊とは関係ありませんが、特殊な建造物を見ました。
「さざえ堂」

以前、ブラタモリでやってました📺
1796年に建てられた木造16.5mの仏堂。国の重要文化財。
上りは右回り。

最上階で橋を渡ると、

下りは左回り。

誰ともすれ違わずに上って下りることができます。下る時に、天井の上を歩く音が聴こえて、ああ、さっき歩いてきたのは、ここの天井の上だったんだなと分かります。
昔はこの仏堂に西国札所の33観音像が祀られ、一巡すれば巡礼が叶うとされていたそうです。
今は、「皇朝二十四孝」が飾られてますが、暗くてよく見えません。

出口は、正面入り口の真反対にありました。

飯盛山前の駐車場に戻るとなんだか雲行きが怪しくなってきました。カミナリも鳴ってきました

鶴ヶ城に着いた時は


「鶴ヶ城」

カッパを着て、中に走り込みました。

入るといきなりヒンヤリ

江戸時代になると、大きな城は無用の長物だったようです。

貯蔵庫の役目をしていたそうです。こんな風に↓
「塩蔵」

今年2018年は、「戊辰150年」ということで、天守閣(この五層全体を天守閣というそうです)の、一層から三層で「幕末・戊辰戦争特集」の展示をしていました。
会津の名刀の数々、会津攻めに使われた錦旗、スペンサー銃、激闘を描いた禁門の変図屏風、日新館、松平容保の肖像画などが展示されていました。もちろん撮影禁止🙅♀️
四層には、会津ゆかりの先人たちの紹介。もちろん、八重さんも🌸

五層から、飯盛山を望めます。

1868年、鶴ヶ城は、戊辰戦争で大きな被害を受け、

1874年に取り壊され、石垣しか残らなかったそうです。
1965年に、昔の写真を元に鉄筋コンクリート造りで再建。でも、中の様子が分かる資料はなかったそうです。
お城の外に出ると雨は止んでいました👍
でも、オートバイは、びしょ濡れ💦タオルでシートやスクリーンを拭いて(自分で拭けよぉ〜)
ひと雨降って少し涼しくなりました


石垣だけが時の流れを感じさてくれた鶴ヶ城は、お城の形をした博物館でした。
🏯 おしまい 🏯
ツーリングは憧れますが、走っても走っても目的地に着かない距離ですね
我が家からだと京都くらいまで行かれちゃうかな?
バイクのガソリンってどれくらい入るのですか?やはりこまめに給油が必要なのかな?
談合坂に那須、良い休憩ポイントですね!
今の時代、インスタ映えするような名物があると、観光客も増えますよね。サンドイッチなかなかいいですよ
鶴ヶ城は大好きなお城です。何度か訪れてますが、白虎隊のことは、本当に切なく思います。
お墓は行った事がありませんが、次回訪れた際には立ち寄ってみたいと思います。
junさんのレポに出てくるお食事処は、いつもメモして覚えておくようにしています!!
そーなんですよー! 暑い中、走り続けました(-。-;
夫との約束で、ツーリングは、片道300kmまでって事になってたのですが、泊まりたいホテルが遠くて…そうですよね、京都まで行けちゃいます!
〉バイクのガソリンってどれくらい入る〜こまめに給油が必要?〜
ガソリンは、25ℓ入ります。燃費は、22kmくらい。もともとガソリンがあまり入っていなかったので、2回給油しました。
今回、高速料金が往復で約11.000円、駐車料金は無料と、安く行けたんですが、その分、暑くて疲れます
ひよりさんも鶴ヶ城へ何度もお出かけしてたんですね。「八重の桜」放送時は、「大河ドラマ館」があり、とても混んでいて、なかなか中へ入れなかったそうです。今は、スムーズです。
私も、ひよりさんのお食事処レポは、チェックしてますよー。また、美味しい所、教えて下さいね。
もう次の記事UPですね(笑)
「おしまい」ってなっていたので宿泊しなかったと勝手に思ってました。
猫魔離宮、素敵ですね~
いつも素敵な宿にお泊りで。
還暦のお祝いだったんですね!
おめでとうございます(*^_^*)
白虎隊のお墓、私もエスカで行きましたよ(笑)
娘が手配しておいてうれ、お土産物屋さんがガイドしてくれました。
切ないですよね~
冬だったので、みやげもの屋さんがコート貸してくれました。
さざえ堂、面白いですよね!
私も寄りました。
PS:昨日、みたまの湯に行って来ましたよ~
このコースは数年前に訪れましたが、白虎隊ほか篭城した婦女子の悲劇は、私も考えさせられましたね。潔よいことが良いという日本人の文化、メンタリティー・・。城主の松平容保は落城後も生き延びて明治26年まで生きるわけですから。詠うだけならだれでもできる。大義に殉じさせられるのは結局、下の者だけのような気がするのですが。実際、後年また「生きて虜囚の辱めを受けず」と東条英機の軍人示達に繋がっていくのですし。 この前のワールドカップでも、「負けようが負けまいが最後まで全力で戦うのがスポーツマン、フェアプレー」とかの意見にいまだ引き継がれているような・・ いやあムツカシイ話になってしまいましたね。
>なんも面白くない(~_~;)
まあ、まあ、ほかに美味しいものを食べたり、温泉に入ったりできるのですから(笑)。おつかれさまです。
〉酒田市の飯森山に登り〜
そちらは、お天気が良かったんだすね。こちらは台風並みの強風と雨でへきへきしています。
soraさんも、会津へ行かれたのですね。
私も容保の句を読みながら、同じような事を感じました。こんな句ひとつでは、浮かばれないと。
母の従兄は、行きの燃料だけ積んで霞ヶ浦から飛び立ち海に散りました。お国から頂いたのは、銀の懐中時計ひとつ〜そんな話とつながりました。
北朝鮮の人々が将軍様を見て、涙するでしょう?アレって太平洋戦争に負けるまでの日本と変わらないですよね。将軍様と天皇陛下は、また違う立場ですが。
ワールドカップは、賛否両論ありましたが、私は、頭脳戦で良かったと思います。そして、日本のプレーがフェアプレイである事へのご褒美だと。まどろっこしい最後の10分間でしたが。
ベルギー戦で最初に2点取った時は、ベスト8だ!って思っちゃいました。夫と二人で「よしっ、」と、大拍手でした。でも、やはり体格負けしてるところはありますね。
今日、ベルギーがブラジルに勝ってとても嬉しいです。ベルギーには、ぜひ優勝してほしいです。
ゾンビのような顔をして帰ってきた私に、登山禁止令を出した夫。なのにツーリングはOKという理屈が分かりません(笑)でもね…ひとこと言ってました。「最近、山へ行き過ぎ」これが夫の本音でしょう。以前は夫が連休の時は、夫に合わせてツーリングに出かけてましたが、ここのところ、百名山山行が多いので、夫の連休は無視して山へ行ってました。淋しいなら淋しいって言えばいいのに(^.^)
〉還暦のお祝いだったんですね!おめでとうございます(*^_^*)〜
ありがとうございます。いつのまにか60です。やりたい事は沢山あるのに、なんだか先が見えてきたような気持ちになります。時間が足りません…。
poohさんも会津へ行かれたのですね。
そうそう、飯盛山ねは、ボランティアガイドさんが、熱心にお話していました。私たちは、時間がなかったので、パスしてしまいましたが。ガイドさんのお話、聞きたかったです。
さざえ堂、ホントに不思議な仏堂ですよね。でも、入場料450円は、ちと高いかなぁと(笑)
〉みたまの湯に行って来ましたよ~
わぁ、私もまた行きたーい。山を眺めて温泉に浸かり、鳥もつ煮とビール♪最高ですよねー♪