初めて馬券を買ったのは、ダイタクヘリオスとダイイチルビーが走ったマイルCSで、たしか馬券も当たったはずです。
ただ本格的にやりだしたのは、その翌年マック対テイオーで盛り上がった天皇賞春あたりからです。
その年のG1・重賞は大荒れで競馬って全然本命こないじゃんといつも思ってましたね(ヤマニンゼファーもライスシャワーも当時は万馬券の当事馬)
そんな中、好きになったのがミホノブルボンで私のHNが美浦のブルボンなのはその為です。
ブルボンはスパルタ調教や走破ラップから精密機械などと今では語られてますが、当時の私のイメージはのほほんとした可愛い印象でした、でも走ると強い。
牝馬路線にもニシノフラワーなどがいた年で、数年前の勝ち馬が全然思い出せないのに、今でも競馬元年から数年のレースは鮮明に憶えてたりします。
現在も大きく、その血を繋げているのはバクシンオー位なのがなんとも寂しいのと同時にブラッドスポーツと言われる厳しさの由縁なんでしょうね。
ブルボンはもう難しいとしても、なんとかテイオーには後継馬を出して欲しいところです。
ただ本格的にやりだしたのは、その翌年マック対テイオーで盛り上がった天皇賞春あたりからです。
その年のG1・重賞は大荒れで競馬って全然本命こないじゃんといつも思ってましたね(ヤマニンゼファーもライスシャワーも当時は万馬券の当事馬)
そんな中、好きになったのがミホノブルボンで私のHNが美浦のブルボンなのはその為です。
ブルボンはスパルタ調教や走破ラップから精密機械などと今では語られてますが、当時の私のイメージはのほほんとした可愛い印象でした、でも走ると強い。
牝馬路線にもニシノフラワーなどがいた年で、数年前の勝ち馬が全然思い出せないのに、今でも競馬元年から数年のレースは鮮明に憶えてたりします。
現在も大きく、その血を繋げているのはバクシンオー位なのがなんとも寂しいのと同時にブラッドスポーツと言われる厳しさの由縁なんでしょうね。
ブルボンはもう難しいとしても、なんとかテイオーには後継馬を出して欲しいところです。
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