nokoの花図鑑

「みんなの花図鑑」に1か月あまり投稿していました。みなさまの投稿写真を見て刺激を受け、花の写真を撮りつづけます。

防府市天満宮に今年も「干支の御柱」が奉納されました  

2024年01月03日 | カメラ散策

もう3日も過ぎようとしています。三が日が過ぎるのが早いです。

今年は、昨年より1km早く1年をかけぬけます。時速80km以上のスピードですから速いですよね。

気持ちはのんびりとしていますが、次々したいことが湧いてきます。

最も断捨離が1番なのですから、切りがありません。

↓のUPは年賀状に使った画像です。

1枚目と2枚目の画像を合成しました。

 

昨年12月25日、パソコンのサークル終了後、撮影に行きました。

参道を通り大石段の中段におかれた防府天満宮奉納の御柱です。お正月の準備が着々と進められていました。

 

クリスマスの日でしたのでまだサンタさんも飾られていましたがお正月準備も着々と…

 

青銅鳥居です もう、お正月の雰囲気でした 

 

遠くからも見えていた御柱です

 

チェーンソーアートの世界大会で多くの優勝実績を誇る、防府市出身の林隆雄さんの制作です。

前に立つと圧倒されそうです。辰の親子の表情は飛び出て来そうです。子供の表情がいたずらっ子のようで

いくら見ていても飽きません。

 

今年は柱にも彫刻が…右側から

 

 

左側から…

 

バックからも…

 

大石段を上がって昨年、最後のお参りです  お正月にはこの石段も初詣での方達で埋め尽くされます

 

楼門です

 

お正月準備万端の、飾りつけです

 

拝殿の前には大きなビニールで賽銭用の準備もされていました。

小さなお賽銭箱はその前の置かれていました。

 

市の全景が見渡せる春風楼です 一人占めでした

夕方でしたが日も差し、寒波も一休みし、1時間余り楽しくカメラ散策が出きました。

 

やっぱりいたずらっ子の顔もう1度見てください _(._.)_

設置期間は2月10日(土)までです

 

 

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防府市天徳寺の大イチョウ!感動でした 💕

2023年12月02日 | カメラ散策

天徳寺のイチョウは市町村指定天然記念物の大イチョウです。11月25日撮影です。

天徳寺は曹洞宗のお寺です。右田毛利氏の菩提寺です。寺の東の山麓には右田毛利家の墓所があります。

 

樹勢は旺盛で、樹齢約800年と伝えられている姿は壮観です。今年はタイミングも良く見事でした。

幹が高さ10mのところで伐られていますが、その上部から数枝が四方に分岐し、樹勢は旺盛で、写真を見ていただければ

素晴らしさを実感してくださると思います。

 

案内版やサイトに、県下では目の高さ周囲で比べると徳地町妙見社(先日投稿)の大イチョウに次ぐ巨樹で・・・・と

書かれていますが、樹木の下部に空洞がありながらよくぞここまでと思われます。

空洞の根元に見える五輪塔は頼朝の墓であるという言い伝えがあるそうです。

サイトで見つけた頼朝と当地の関係は「東大寺の再建工事なども手がけた。」という事が分かりました。

前回UPの徳地町妙見社の大イチョウの近くの杉が東大寺の再建のため切り倒されていますが、運搬など重源上人が尽力されて

いることが知られています。

また、頼朝の生誕は1147年、死没が1199年で没後825年です。

天徳寺の大イチョウは800年ということですが、その頃に樹木の下部に空洞があたかどうかは難しいですね。

後世に収められたのかもしれません。

 

イチョウについても新しい発見がありました。サイトで樹齢1200年の大イチョウを見ましたが・・・

今回、同支社女子大学 謎だらけの「イチョウ」の論文より  https://www.dwc.doshisha.ac.jp/

「イチョウは古典文学に登場しない植物で、現在、総合的な調査で判明していることは、イチョウに関する資料は

室町時代以降にしかないという事実です。

それによればイチョウは、1400年代に「銀杏」として日本に定着したことになります。その用途は、一つには薬用であり

一つには食用でした。また江戸時代の版本を購入した際、よくイチョウの葉が栞のように挟んでありますが、それは

防虫効果が信じられていたからでしょう。」が参考になりました。

 

徳地町妙見社の大イチョウが約700年以上で県の天然記念物。天徳寺の大イチョウは約800年以上で市町村指定

天然記念物です。この差は何でしょうか。幹回りは確かに徳地町妙見社の大イチョウが大きいです。

しかし、木の広がり・華やかさは天徳寺の大イチョウ方が素晴らしいです。どちらにも毛利氏に関係しております。

樹勢・黄葉も、その時の気象によって影響を受けますね。台風が来たときは黄葉もしませんでした。

今年は最高でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月9日にサクラを見に来た時の画像です。UPはしていませんでした。

 

今年の案内板は汚れていましたので、昨年、春の案内板の画像です。

 

公孫樹(いちょう)と書いてありました。

 

木の下部に頼朝塚があるそうです。この画像も木の芽時の画像です。4月9日です。

 

 

 

 

 

 

 

下の画像は、スマホからです。色がキレイです。

 

 

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「大公孫樹」を大イチョウと読むのを忘れていました。山口1の大イチョウを見てきました ❣

2023年11月28日 | カメラ散策

11月21日、暖かさに誘われ、当地より冷え込みの厳しい、山口市徳地八坂にある大イチョウ(大公孫樹・銀杏)を

撮影してきました。

下調べはしておりましたので、大イチョウのある妙見社の場所までは、スムーズに行きました。

国道489号から右側、2・30メートル奥に第一の鳥居があります。

鳥居の幅が軽自動で通れるぐらいの幅、とネットに出ていましたが、昨年行かれた友達からは普通車で通れたと聞いています。

不安を抱えながらこの辺りかなと進んでいると、前の軽自動車が右に曲がり鳥居をスイスイくぐられました。

これだったら私でも大丈夫と鳥居をくぐり奥に進みました。

友だちからは、鳥居をくぐると広い駐車場があると聞いていましたが、5・6台は止められそうでした。

遠目ではまだ中央が緑色に見えていましたが、運よく陽が当たり、全体が黄金色に覆いつくされていました。

県指定天然記念物の樹齢約700年の大イチョウという事で、700年も経つと、やはり災害などで途中から折れたり

するのでしょうか?途中から、箒状にたくさんの枝を吹き出した樹勢と幹回りの広がりが圧巻でした。

下記はネットからの引用です。

「この大公孫樹のある徳地町八坂、妙見社は佐波川上流、谷間に集落が連なる長閑な里山風景の中、東方山裾に有る鎮守の

古社です。

集落を貫く参道脇に悠然と聳える大公孫樹は妙見社の火災で焼失した際に植樹されたものと伝えられ、樹齢約700年

ばかりだと推定されています。

主幹野頂部は欠損、それを補うかのように主幹中部辺りから箒状にたくさんの枝を吹き出し樹勢は旺盛です。」

 「県の天然記念物で、山口県内では最大クラスのイチョウなのだが、2011年7月現在、環境省巨樹データベースから漏れている。

中国自動車道徳地インターから、国道489号を北に向かうと、間もなく右手の山裾に、姿が見えてくる。

近づくと、どっしり力強い、単幹の大イチョウである。雄株。樹勢も良好で、しばし見とれた。

周囲を石造の立派な垣で囲い、その前には、自然石に大きく「天然記念物」と刻んだ碑。畏怖の対象であるとともに、ここに

住む人たちが誇る巨樹なのである。」

奥には妙見社の第2の鳥居、時代を感じさせる狛犬・手水桶などもあり、鳥居にも毛利家の家紋がありました。

妙見社のことについては資料も少ないのでおいおいに気を付けておきます。

 

 

普通に走っていると見落としやすい場所です。

 

石碑と案内版です。石塀に囲まれた後ろが大イチョウです。

 

主幹が折れたとことから勢いの良い枝が。

 

陽が大分、傾いています。

 

幹回りと比べるため、ちょっと失礼しました。へばりついたら、忍者みたい!

 

さすがに、大きな古木です。

 

緑色の葉は何の木が育ったのでしょうか?

 

奥に行き、第2の鳥居から大イチョウ・国道を見る。100mぐらいあると思います。

 

1番奥に第一の鳥居が見えます。

 

地区の方がキレイにされています。

 

狛犬からも時代を感じます。(右の狛犬)

 

左の狛犬も。

 

手水桶。

 

左側が西という事は東南東ぐらいからのからの撮影ですかね。

 

 

 

 

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開花時期に初めて行った、周防国分寺のフヨウは、豪華で魅せられました!

2023年10月21日 | カメラ散策

2023/08/01には周防国分寺のサルスベリを投稿しています。

記事に、「2023/07/31(昨日) 撮影に・・・7月の大雨で西側の土塀が壊れたらしい。

まだ工事中で、いつも使っていた西側の道路は通行止めでした。

防府市周防国分寺は花好きの私にとってはサルスベリとフヨウの花の咲く時期が楽しみです。」

と書いていますが、満開の時のサルスベリ・フヨウの時期には、暑くて中々、カメラ散策を実行することが

できませんでした。

今年の10月4日・・・今ならフヨウが間に合うかもと、腰をあげました。

周防国分寺という1200年の歴史のある寺院の中では、どのような、お花でもキレイで魅力的です。

スイフヨウが多いだけに派手ですね。勿論、手入れが行き届いている境内ですから・・・

暑さも吹っ飛ぶようなカメラ散策が出来ました。

当地に来て35年経ちましたが、開花期にフヨウを見るのは初めてです。

暑くはあるが、真夏のようではない。サルスベリを見に来た時よりは、快晴で気持ちもいいです。

国分寺のフヨウは、毎年、11月の催し物の際には、根元からバッサリ切られております。

20日頃まで、キレイだという事でした。その後は植木屋さんによって、手入れをされるでしょう。

 

我が家の近く公園のフヨウも10年ぐらい前までは根元からバッサリ切られていました。

その頃のフヨウはとてもキレイでした。時代が変わり老人会が衰退していく中、業者さん任せでは根元から切られる

ことはありません。お花も今一つ魅力がないものになってしまいました。

ソメイヨシノはその点、剪定がいらないので、毎年、見事な花をみさせて貰っています。

今回の、フヨウ観察は、足を踏み入れた時から、一瞬、目を見張るような美しさでした。

大輪で、次々咲くお花は、お見事としか表現できません。

 

学名:Hibiscus mutabilis  科名:アオイ科  属名:フヨウ属  原産地:中国、台湾、日本  開花期:7~10月   

花の色:ピンク、白  別名:木芙蓉(モクフヨウ)

 

当日撮影した、サルスベリの実もUPすることにしました。サルスベリの美しさも察していただけるものと思います。

 

ヒガンバナの飛び入りが入り、遅くなりましたが、10月4日の撮影です。

 

まずは、周防国分寺の金堂を背景に入れています。

 

 

 

↓は 8月1日 サルスベリの撮影に行った日の撮影です。フヨウはまだ、ツボミも見えません。

 

駐車場からの撮影順になっています。

 

 

 

遠くに見えるのは 仁王門です。

 

 

 

 

右の屋根は 、仁王門です。

 

 

 

ピンボケですいません!蜂のいるのを優先にしました。

 

 

これがサルスベリの実です。サルスベリの美しさも察していただけるものと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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防府市周防国分寺、サルスベリとフヨウの様子を、見に行きました ( ^^) _汗~~

2023年08月01日 | カメラ散策

2023/07/31(昨日) 撮影に・・・7月の大雨で西側の土塀が壊れたらしい。

まだ工事中で、いつも使っていた西側の道路は通行止めでした。

防府市周防国分寺は花好きの私にとってはサルスベリとフヨウの花の咲く時期が楽しみです。

11月にはライトアップもあります。

しかしこの寺院は「およそ1200年の歴史と数多くの文化財を有する歴史的価値の高い寺院」なのです。

全国で唯一天平時代の寺域を保ち『周防国分寺旧境内』として国の史跡に指定されている周防国分寺には

重要文化財の金堂、薬師如来坐像、日光・月光菩薩、四天王立像を含む100体近い仏像、絵画200点、文書1500点

典籍経典8500点などが現存し、他の国分寺が廃寺や移転をするなか、この周防国分寺は現在も創建当初と同じ場所

そしてほぼ同じ規模で存在している」との紹介があります。

ここ6年間、夏の暑さの中、出かけることができず、花の終わる頃にお参りし、来年こそ・今年こそと思いながら

年月が過ぎてしまいました。昨日のこと、今日は、蒸し暑い日だなとは思ったものの太陽が覗きません。

珍しく今日・明日、予定がない。皆さんのブログにはサルスベリも咲いている!様子を見るだけでも行って来よう!

と…ほんの30分、頑張ってきました。

いつも国分寺のフヨウは、花後に、根元からバッサリ切られております。

剪定されていないフヨウの方が、花期がような気がします。国分寺のフヨウは見ごとに葉ばかりの状態でした。 

 

以下、ほぼ撮影順に並べてみました。

 

仁王門が見えています。手前は樹齢600年の楠。

 

サルスベリが咲いていない様子が分かります。

 

仁王門で。奥に本殿が…

 

 

仁王門は、1596年に長州藩祖・毛利輝元さんが再建したものといわれています。

その後、1767年に長州藩7代藩主・毛利重就さんが大改修。それが現在の仁王門といわれています。

 

 

本殿迄の参道・境内の両側はサルスベリ・フヨウなどが、迎えてくれます。

奥に金堂が… サルスベリ…少し早すぎましたね・・・

 

真っ白に咲いていたらねぇ~

 

 

 

金堂(国指定重要文化財)

現在の金堂は、7代藩主毛利重就(しげたか)により安永8年(1779)に再建されたもので、桁行(けたゆき)7間(やく22m)

梁間(はりま)4間(約15m)、屋根を二重とした大きな仏堂である。平面構成・規模や須弥壇(しゅみだん)などに中世以前の様式をよく伝えている。

全国の国分寺の中でこのような大規模な金堂が当初の位置に残っているのは珍しく貴重である。

 

 

仁王門の東に駐車場が出来ていました。

 

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