goo blog サービス終了のお知らせ 

東久留米 学習塾 塾長ブログ

東京都東久留米市滝山の個別指導型学習塾 塾長白井精一郎のブログ

東軍・細川勝元の陣はどこだったのか

2015-05-19 12:03:09 | 社会の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

曇りで気温も低いのですが、湿度が高く、少し蒸し暑く感じます。明日からは暫く晴れの日が続くようです。

私が中学生だった頃に比べて今の中学生は大変で、修学旅行の事前調査や帰京後のレポート提出など大忙しです。(私の頃は、ただ行って見物しただけでした)

先日塾生に、西陣織の西陣は応仁の乱の西軍の本陣だったのかと質問されました。それは正しくて、西軍の山名持豊(宗全)の邸は、堀川通りの西側にあり、現在の西陣織会館がある場所から北に200mほど行った所で、さらに、山名宗全の邸から直線距離で200mほどの京都市考古資料館のそばに「西陣の碑」があります。

そのとき、東軍の細川勝元はどこに本陣を構えていたのかと疑問に思って、インターネットで調べたところ、東軍の本陣は花の御所(室町御所)にあったようです。

花の御所は、烏丸通りの相国寺の西側にあり、東軍はそこを中心に「御構」(おんかまえ)という防御陣地を築いたそうです。この「御構」は、土塁と堀で、その範囲は、南は一条通り、北は寺之内通、西は小川通り、東は烏丸通りに及びました。この中に、天皇や上皇をはじめ多くの公家、武家なのが住んでいました。

そして、山名宗全の邸から「御構」の西端の小川通りまで約200mで、花の御所までは直線距離で約800mです。この近さで、山名宗全と細川勝元は対峙したようです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。