東久留米 学習塾 塾長ブログ

東京都東久留米市滝山の個別指導型学習塾 塾長白井精一郎のブログ

中学理科に出てくる試薬

2015-07-31 11:30:08 | 理科の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

昨日は昼から激しい雨が降りましたが、それが治まったあと、塾生たちと近くの地域センターにかき氷を食べにいきました。


▲かき氷

中学理科にはいろいろな試薬が出てきますが、それらは都立高校入試問題にも出題されるので、検出できる物質(もの)と色の変化を覚えておくことは大切です。

そこで今回は、それらの試薬についてまとめます。

【リトマス試験紙】(検出できるもの:酸性、アルカリ性)、主な単元:酸・アルカリ(中3)
酸性    :青色→赤色 (青色試験紙)
アルカリ性:赤色→青色 (赤色試験紙)
[赤から青で歩ける(アルカリ)]と覚えていました。

【フェノールフタレイン溶液】(検出できるもの:酸性、アルカリ性)、主な単元:化学変化(中2)、酸・アルカリ(中3)
酸性・中世:無色
アルカリ性:赤色
覚え方は特になし。

【BTB溶液】(検出できるもの:酸性、アルカリ性)、主な単元:光合成(中1)、酸・アルカリ(中3)
酸性   :黄色
中性   :緑色
アルカリ性:青色
[(酸性・中性・アルカリ性の順に)君アホ]と覚えていました。

【塩化コバルト紙】(検出できる物質:水)、主な単元:化学変化(中2)
水につけると、青色→赤色
リトマス紙の酸性のときと同じと覚えていました。

【石灰水】(検出できる物資:二酸化炭素)、主な単元:光合成(中1)、気体の性質(中1)、化学変化(中2)
二酸化炭素を吸収して白濁
覚え方は特になし。

【ヨウ素液】(検出できる物質:デンプン)、主な単元:光合成(中1)、消化(中2)
デンプンに加えると、黄色→青紫色
覚え方は特になし。

【ベネジクト液】(検出できる物質:糖)、主な単元:消化(中2)
糖に加えて加熱すると、青色→赤褐色沈殿
覚え方は特になし。

【酢酸カーミン液】(検出できるもの:核)、主な単元:細胞(中2)
核を赤色に染色
覚え方は特になし。

以上の試薬をしっかり頭に入れておきましょう。

中央線の電化と日本の鉄道

2015-07-30 10:49:39 | 社会の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

毎朝教室の掃除をするのですが、夏場は汗が噴き出します。掃除が終わったあと、水をがぶ飲みして生き返るのですが、そのとき高校の部活を思い出します。部活の練習に参加している人は充分に水分補給して頑張ってください。

先日、馴染みの床屋で、いつごろまでJR中央線に蒸気機関車が走っていたかという話をしていたのですが、結局、記憶が曖昧で(結局、記憶が曖昧なのではなく記憶がないということが判ります)判らずじまいでした。

そこで、JR東日本八王子支社のHPを見たところ、1930年(昭和5年)に浅川駅(いまの高尾駅)まですべて電化されていたようです。さらに、翌年には八王子-甲府間で電気機関車の運転が始まっていて、思ったより早い時期に電化が進められていました。

元々日本の鉄道建設は、伊藤博文、大隈重信らの熱心な主張で実現するのですが、その資金と技術はイギリスから調達して、官営事業として始められました。

その結果、1872年(明治5年)に新橋-横浜間、1874年(明治7年)に大阪-神戸間、1877年(明治10年)に大阪-京都間が開通し、東京-神戸間の東海道本線が全線開通したのは、1889年(明治22年)です。

その新橋-横浜間の試運転中の列車に試乗した大久保利通は、「始(はじめて)めて蒸気車に乗候処(のりそうろうところ)、実に百聞一見にしかず。この便を起さずんば、必ず国を起こすこと能はざるべし」と日記に書いていて、鉄道の敷設が国の繁栄のために不可欠と認識したようです。

その後、東海道本線が1956年(昭和31年)に全線電化され、その9年後には東海道新幹線が開業します。

このようにして、日本は世界トップクラスの鉄道網と鉄道技術を有する国になりましたが、もし、伊藤博文、大隈重信、大久保利通が新幹線に乗ったら、さぞ驚いて、そして、手を叩いて大喜びする姿が目に浮かびます。

“green” は嫉妬の色

2015-07-29 11:19:23 | 英語の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

朝に雨が降って少し涼しくなるかなと期待したのですが、今はすっかり晴れて、今日も蒸し暑い日になるようです。

英単語の “blue” は「青色(の)」という意味のほか、「青ざめた、憂鬱な」という意味もあり、これは中学校の英語教科書にも出てきます。そして、関連するイディオムとして、 “blue with cold”(寒さで青くなって)があり、例文としては、 “Her hands were blue with cold.”(彼女の手は寒さで青くなっていた)などが挙げられます。

“blue” 以外の色では、 “red with anger”(怒りで真っ赤になって)、 “white with fear”(恐ろしさで真っ青になって)、 “green with envy”(嫉妬で青ざめて) などがあります。

“red with anger” や “white with fear” は納得できますが、 “green with envy” については、嫉妬の色が緑というのはちょっと判りにくいところです。

そこで、オックスフォード現代英英辞典で調べてみると、 “green with envy” の続きに  “The grass is greener on the other side.” (隣の芝は青い) が書かれていて、このことわざは、古代ローマの詩人の言葉が起源らしいので、これが緑色=嫉妬の色 の由来なのかもしれませんね。

但し、他のイディオム辞典では、シェークスピアがシェークスピア(1564~1616)が「アントニーとクレオパトラ」の中で嫉妬のことを  “the green sickness”  と表現したことから緑色が嫉妬の色になった、とするものもあります。

ちなみに “yellow” には、「黄色」以外に[注意を引く色・明るい色というイメージのほかに、「臆病・嫉妬・卑劣」といった好ましくないイメージもある]ようです。(ウィズダム英和辞典)

明治マーブルチョコレートのおまけを全部集めるためには、

2015-07-28 10:42:03 | 数学・算数の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

曇っていて気温も29℃と低めなのですが、とても蒸し暑く感じます。昨日、気象庁から異常天候早期警戒情報が発表され、それによると、関東地方の8月1日から約1週間の気温は、平年よりかなり高く(+1.8℃以上)となるようです。熱中症に気をつけましょう。

勉強して頭が疲れたときのエネルギー補給として塾生にチョコレートをあげるのですが、暖かい時期には、少しでも融け難い明治のマーブルチョコレートを選んでいます(さすがに今の時期は融けますが)。

そのマーブルチョコレートに世界の国々のシールがおまけについていて、その種類は49種類です。これらのシールを集めて世界地図を作ろうと思っているので、今回、全シールを集めるのに必要なマーブルチョコレートの購入数を計算してみました。


▲明治マーブルチョコレート


▲いままで集まった世界の国々のシール

これを計算するためには、以前の記事 「中学生でも解ける東大大学院入試問題(147)」で紹介したように、
n種類のシールを手に入れるのに必要な購入数の期待値E(n)が、
E(n)=n(1+1/2+1/3+・・・+1/n)
となることを利用します。

そこで、E(n)にn=49を代入して計算すると(エクセルで計算しました)
E(49)≒49・4.5
     =220.5
と、約220個になりました。

但し、この220個は期待値であって、運が良ければもっと少ない購入数で全シールを手に入れることができ、運が悪ければ220個買っても集まらないことになります。

いずれにしても、世界地図が完成するのはしばらく先になるようです。

早実の簡単そうでかなり難しい整数問題

2015-07-27 09:32:28 | 数学・算数の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

昨日、高校野球の西東京大会で早稲田実業が逆転勝ちし、甲子園に出場することになりました。ちょうどそのとき、早実の高校入試問題をやっていたのですが、これが一見易しそうで、しかし、なかなか手強い問題で面白かったので、今回はこれを取り上げます。

問題は、
「2つの分数P、Qの積PQが4/7になった。P、Qともに、分母も分子も正の整数であり、分母が分子より1だけ大きく、分子は1ではない。このとき、P+Qを求めなさい」
です。

まず問題の条件を立式していきます。

P、Qとも分母が分子より1だけ大きい分数で、分母も分子も正の整数で、分子は1でないので、
P=p/(p+1)   p≧2、pは整数    (1)
Q=q/(q+1)   q≧2、qは整数    (2)
と置くことができます。

すると、PQの分母もP+Qの分母も、(p+1)(q+1)になるのが見えるので、それを利用してゴチャゴチャ式を変形すれば、できそうな気がします。

そこで、(1)(2)を使って、
PQ=pq/((p+1)(q+1))
  =4/7                   (3)
から
pq=4k                   (4)
(p+1)(q+1)=7k           (5)
kは正の整数
とします。

(5)から
pq+p+q+1=7k
で、(4)を使って、
p+q=4k-1                (6)
です。

一方、
P+Q=p/(p+1)+q/(q+1)
   =(p(q+1)+q(p+1))/((p+1)(q+1))
   =(2pq+p+q)/((p+1)(q+1))
で、これに(4)(5)(6)を代入して、
P+Q=(8k+4k-1)/7k
   =(12k-1)/7k
となり、kが約分できると嬉しいのですが、残念ながらそうはならず、ここで行き詰ってしまいます。

実は、この問題は、(3)とp、qが2以上の整数という条件から、実際に、p、qを求め、それらをP+Qに代入してその値を求めることになります。

まず、(3)から、
7pq=4(p+1)(q+1)
で、これを整理して、
3pq-4p-4q=4             (7)
となります。

この形になれば、左辺をp、qを含む式の積、右辺を整数とするのが定跡ですが、このとき左辺の式は整数にならなくてはなりません。

そこで(7)の両辺に3を掛け、←(ここは難しいですね)
9pq-12p-12q=12
とし、左辺を因数分解して、
(3p-4)(3q-4)-16=12
(3p-4)(3q-4)=28         (8)
とします。

ここまで来ればゴールはもう直ぐで、3p-4、3q-4 は2以上の整数なので、(8)を満たす3p-4、3q-4の組合せを(3p-4,3q-4)とすると、
(2,14)(4,7)(7,4)(14,2)
となります。

これらの組合せについてのp、qの値(p,q)は、それぞれ、
(2,6)(8/3,11/3)(11/3,8/3)(6,2)
で、(8/3,11/3)(11/3,8/3)はp、qが整数でないので不適です。

したがって、
p=2、q=6 または p=6、q=2
となります。

これを、
P+Q=p/(p+1)+q/(q+1)
に代入して、
P+Q=2/3+6/7
   =32/21
で、これが答えになります。


間違った方針で進むと正解に辿り着くことが難しい問題でした。

日本の人口推定法

2015-07-26 10:14:08 | 社会の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

信号待ちで立ち止まっているときなど、じりじりと焦げてしまいそうな真夏の陽射しです。こんなときはプールに行くか、涼しいところで勉強するのが一番です。もちろん受験生は涼しいところで勉強するのがよいでしょう。

さて、先日、ラジオで明治初めの日本の人口が約3000万人(1872年の調査では、3311万人)というような昔の日本の人口についての話がありました。

明治時代初期以降は、全国人口調査や1920年に始まった国勢調査で人口はほぼ正確に判りそうですが、それ以前の人口について、どのように推定するのかと疑問に思っていたところ、歴史の教科書に過去の人口を推定する方法が書いてありました。

そこには、
【縄文時代から古墳時代まで】
・時期ごとに、これまで判っている全国の遺跡数に遺跡1か所あたりの人口(仮定)を掛けて人口を推定。

【奈良時代から室町時代まで】
・古文書に記載された地域人口と、その全体に対する割合(仮定)から全国の人口を推定。
・古文書に書かれた水田面積から全国の米生産高を推定し、1人あたりの米消費量(仮定)を使って人口を推定。(江戸時代初期の人口推定にも使用)

【江戸時代初期】
・1721年に徳川吉宗が全国的な人口調査をして、その人口と人口増加率(仮定)から逆算して人口を推定。

とあり、いろいろな仮定をおいて人口推定しているようです。

つでに、人口増加のためには、食糧の供給が不可欠ですが、それらをまとめると、
縄文時代:温暖化による木の実の収穫量増加
弥生時代:稲作の普及
室町時代:二毛作の普及、肥料として牛馬の糞や堆肥の利用、灌漑に水車の利用など生産性が向上
戦国時代から江戸時代:新田開発(18世紀初めには豊臣秀吉のころと比べて耕地面積が2倍になった)や備中ぐわ・千歯こきなどの農機具の発達
明治時代:医療技術の進歩
などが挙げられ、1967年(昭和42)に日本の人口は1億人を超えることになります。約8000年前の縄文早期の推定人口が2万人ですから5000倍になったことになります。

算数パズル(等式をつくる)

2015-07-25 10:15:05 | 数学・算数の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

天気図を見ると、日本列島の北方に4つの低気圧、南方に高気圧と台風があって、賑やかです。東京では晴れの天気が続き、猛暑日になるようです。毎夏かき氷を1回食べるのですが、来週あたりに予定しています。


▲東大寺近くの氷の旗

さて、夏休みが始まって1週間過ぎましたが、近所の中学校では精力的に補習授業をやっていて、先生もそれに参加する生徒達も頑張っています。それに参加している塾生が判らないところを質問してきたとき、数学の問題に算数パズルがありました。

それは、
「5□4□3□2□1□0
の□に、+、-、×、÷、= を入れて正しい等式をつくりなさい。ただし、+、-、×、÷、= を1回ずつ使うこと。」
というパズルです。

加減乗除と等号の合わせて5個の記号を並べるとき、その並べ方は、5×4×3×2×1=120通りなので、それらをすべて調べれば正解を見つけることができますが、かなり骨が折れそうです。

そこで着目したいのが、2つの整数の足し算、引き算、掛け算は必ず整数になるのに対して割り算は整数になるとは限らない、ということで、本問の場合、割り算の項は整数にならなくてはならないので、÷の位置は、2÷1 または、4×3÷2 のどちらかになります。

ここで、(1)2÷1と(2)4×3÷2で場合分けして調べましょう。

(1)2÷1の場合
問題の式は、5□4□3□2÷1□0 となり、これは、
5□4□3□2□0 (□には、+、-、×、=が入る)
となります。 

ここで×が入る□を調べてみると、左から1、2、3番目の□に×が入る場合は、偶数が3個と奇数が1個になります。

ところが、偶数±偶数±偶数=偶数≠奇数、偶数±偶数=偶数≠偶数±奇数=奇数、偶数±偶数±奇数=奇数≠偶数 なので、偶数3個と奇数1個を加減して等式をつくることはできません。

また、×が左から4番目(一番右)の□に入る場合、式は、5□4□3□0 (□には、+、-、=が入る)になりますが、
・等号が左から1番目の□に入るとした場合、左辺は5で右辺は7または1
・等号が左から2番目の□に入るとした場合、左辺は9または1で右辺は3
・等号が左から3番目の□に入るとした場合、左辺は6または4で右辺は0
なので、いずれの場合も等式をつくることができません。

以上から、(1)の2÷1の場合は等式をつくることができないことが判りました。

(2)4×3÷2の場合
問題の式は、5□4×3÷2□1□0 となり、これは、
5□6□1□0 (□には、+、-、=が入る)
となります。

ここで、
・等号が左から1番目の□に入るとした場合、左辺は5、右辺は7または5
なので、5=6-1+0 という等式をつくることができます。

これを元の形に戻すと、5=4×3÷2-1+0 です。

次に、
・等号が左から2番目の□に入るとした場合、左辺は11または-1、右辺は1
なので、等式をつくることができません。

最後に、
・等号が左から3番目の□に入るとした場合、左辺は10または0、右辺は0
なので、5-6+1=0 という等式をつくることができます。

これをもとの形に戻すと、5-4×3÷2+1=0 です。

以上から、(2)の4×3÷2の場合は、
5=4×3÷2-1+0
5-4×3÷2+1=0
の2つの等式をつくることができて、これが答えになります。


いろいろな面白い算数パズルがあるので、暑い日には家でそれらを楽しむのもよいでしょう。

キューバ

2015-07-24 12:26:54 | 社会の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

今日も茹だるような暑さになりました。台風12号は九州の西側を進み、東京には影響しないようで、毎日猛暑が続くようです。

先日、米国とキューバが国交を回復しましたが、両国が国交を断絶した原因は、1959年1月に起こったキューバ革命(映画「ゴッドファーザー2」にも出てきて、マイケルとフレドがバハマのカフェでバナナダイキリを飲むシーンを覚えています)です。

革命以前のキューバは、砂糖・蜂蜜の輸出量が全輸出量の約88%を占め、典型的なモノカルチュア構造で、その砂糖の75%が米国資本によって支配されるという半植民地状態でした。

このような状況のなかで、民衆の解放と自立を目指す急進民主主義者のカストロらが武装蜂起し、2年後にバチスタ独裁政権を打倒します。

革命当初、米国は直ちに新政権を承認したのですが、新政権は米国資本に支配されている砂糖に手をつけなければ、実効ある改革を進めることはできず、米国の権益と衝突することになります。

新政権が社会主義を目指していることが明らかになるにつれ、米国のキューバ非難が高まり、それに対抗してカストロはソ連に接近し、砂糖のソ連による買付け、1億ドルの借款を取り付けます。

これに対して、米国は砂糖の輸入停止で報復しますが、キューバは全米資産の接収で応じます。その結果、1961年1月に両国は国交断絶に至ります。

日本とキューバとの関係は、在キューバ日本大使館のHPによると、1613年に伊達政宗の命を受けて、スペイン、ローマを訪問するためにメキシコ経由で渡欧した支倉常長の一行が1614年にハバナに到着し、約2週間程過ごしたことが最初であったとされているそうです。

その後の両国間の関係は、1902年のキューバ独立に際し、エストラダ・パルマ大統領が明治天皇にキューバの独立と大統領就任を通報する親書を送付し、それに対して明治天皇が友好関係の発展を希望する返書を送られたことにより開始されました。

また両国間の外交関係は、1929年に通商暫定取極締結により樹立し、第2次世界大戦後の1952年に外交回復し現在に至ります。

なお、現在のキューバの輸出品は、鉱物(ニッケル)、医療品、砂糖、水産養殖産品、魚介類、タバコ で、砂糖一本の産業構造から転換できたようです。

軌跡の問題(3)

2015-07-23 09:57:14 | 数学・算数の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

天気予報では最高気温は30℃に達しないようですが、湿度が高く、蒸し暑く感じます。明日は気温が上がって、夏らしい天気が戻ってくるようです。

さて、前回、前々回と、
「長さが10の線分AB上に点Cがある。AC、BCを1辺とする正三角形ACP、BCQを線分ABの同じ側につくる。また、線分AQ、BPの交点をR、線分PQの中点をMとする。CがAB上をAからBまで動くとき、次のものを求めなさい。
(1)点Rが動いた長さ
(2)点Mが動いた長さ 」


▲問題図

という軌跡の問題の(1)を調べてきました。

今回は、(2)の点Mが動いた長さを調べましょう。

前々回に手元にある数学公式集にあった軌跡の推定を紹介しましたが、そのなかの一つが、「条件に適する点を数個作図してみて、その概形がどのような直線になるか、円になるかを推定する」というものでした。

そこで、(2)についても、いくつかの場合について、点Mの位置を調べてみます。

まず、点Cが点Aと一致するとき、点Pは点Aに一致します。同様に、点Cが点Bと一致するとき、点Qは点Bに一致します。この様子を図1に示します。


▲図1.点Cが点A、Bに一致したときの点Mの位置

図1から判るように、点Cが点Aに一致したとき、点Mは線分AQの中点になり、点Cが点Bに一致したとき、点Mは線分BPの中点になります。

このことから点Mの軌跡は、図1の赤色破線で示した線分になりそうですが、さらに点Cが線分ABの中点にあるときも調べてみると、図2のように、点Mは、正三角形DABの辺DAおよび辺DBの中点を結んだ線上にあることが判ります。


▲図2.点Cが線分ABの中点にあるときの点Mの位置

これで、ほぼ間違いなく点Mの軌跡は、図2の△DABの辺DAの中点と辺DBの中点を結んだ線分で、その長さは中点連結定理から線分AB(長さ10)の1/2、つまり5になります。

答えだけ書くのであれば、これでお仕舞いなのですが、途中過程が必要な場合は、上記で調べた3点以外もその線分上にあることを明らかにする必要があります。

そのためには、図3の四角形RPCQが平行四辺形であることから、その対角線の交点Mがそれぞれの対角線の中点になることを利用することができます。


▲図3.四角形RPCQは平行四辺形なのでRM=CMになります

しかし、ここでは図4のように点P、M、Qから線分ABに下ろした垂線の長さをそれぞれhp、hm、hqとして調べてみることにします。


▲図4.点P、M、Qから線分ABに垂線を下ろします

まず、△PACと△QBCは正三角形なので、
hp=√3/2×AC     (1)
hq=√3/2×BC     (2)
です。

一方、点Mは線分PQの中点なので、
hm=(hp+hq)/2   (3)
です。

ここで、(3)に(1)(2)を代入して、
hm=(√3/2×AC+√3/2×BC)/2
  =√3/4×(AC+BC)
  =√3/4×AB
  =√3/4×10
  =5√3/2
となり、hmは点Mの位置にかかわらず一定の値になります。つまり、点Mの軌跡は線分ABと平行な線分となることが判りました。

あとは先程のように中点連結定理から、点Mの動いた長さは5と計算することができます。


3回に渡って軌跡の問題を取り上げましたが、「条件に適する点を数個作図してみて、その概形がどのような直線になるか、円になるかを推定する」ことが有力なテクニックなので、活用してください。

軌跡の問題(2)

2015-07-22 09:45:34 | 数学・算数の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

朝から晴れて今日も暑くなりそうです。明日は曇ったり雨が降ったりするようで少し気温が下がるようですが、明後日から暑い日が続くようです。特に受験生の皆さんは、暑さに負けず頑張って勉強しましょう。

さて、前回は下記の軌跡の問題を取り上げました。

「長さが10の線分AB上に点Cがある。AC、BCを1辺とする正三角形ACP、BCQを線分ABの同じ側につくる。また、線分AQ、BPの交点をR、線分PQの中点をMとする。CがAB上をAからBまで動くとき、次のものを求めなさい。
(1)点Rが動いた長さ
(2)点Mが動いた長さ 」
です。


▲問題図

前回は、点Cが点Aから点Bまで動くとき、(1)の点Rが、図1のように、点Aと点Bをその両端とする円弧上を動くことを明らかにしました。


▲図1.点Rの軌跡(赤色線の円弧)


今回は点Rの動いた長さを求めます。

そのためには、円の直径(半径)が判ればよいので、図2のように、点A、R、Bがその円周上にある円Oを描き、その半径をrとします。


▲図2.点A、R、Bがその円周上にある円Oを描きました

図2で、円周角ARB(120°)に対する中心角AOB(大きい角のほう)は240°になるので、∠AOB(小さい角のほう)は120°です。

また、△OABは二等辺三角形なので、∠AOH=60°で、△OAHは一つの角が60°の直角三角形(三角定規の直角二等辺三角形でないほう)になります。

したがって、
AO:AH=2:√3
が成り立ち、AH=5から、AO=10/√3 と円Oの半径を求めることができました。

すると、円Oの円周の長さLは、
L=10/√3×2π
 =20π/√3
で、弧ARBの長さL’は、
L’=L×120°/360°
  =20π/√3×1/3
  =20π/(3√3)
で、この分母を有理化して、
L’=20√3π/9
となり、これが答えです。


(2)の点Mの動いた長さについては、次回取り上げます。興味のある人は調べてみてください。

軌跡の問題(1)

2015-07-21 11:42:49 | 数学・算数の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

毎日暑い日が続いていますが、今日の東久留米市の最高気温も36℃で猛暑日になりそうです。十分に水分補給して熱中症に気をつけて過ごしましょう。

さて、数学には軌跡の問題というものがあります。

手元にある数学の公式集では、軌跡というのは、
「ある条件に適する点が描く図形。すなわち、条件に適する点全体の集合を、その条件に適する点の軌跡という。」
とあり、軌跡を推定するには、
(a)条件に適する点を数個作図してみて、その概形がどのような直線になるか、円になるかを推定する
(b)動点を特殊な位置にもっていって、軌跡になる図形の足場となる点を探す
(c)求める軌跡が有限の範囲(たとえば線分、円弧など)だけ動くか、無限に遠くまで動くか(たとえば直線など)を考えて軌跡の限界をみきわめる、
とあります。

今回は、この軌跡の問題を取り上げます。

問題は、
「長さが10の線分AB上に点Cがある。AC、BCを1辺とする正三角形ACP、BCQを線分ABの同じ側につくる。また、線分AQ、BPの交点をR、線分PQの中点をMとする。CがAB上をAからBまで動くとき、次のものを求めなさい。
(1)点Rが動いた長さ
(2)点Mが動いた長さ 」
です。


▲問題図

上記の軌跡の推定法の(a)にあるように、条件に適する点を調べて点Rの軌跡を推定するとき、点Cが点Aおよび点Bに一致する場合を調べるのが自然でしょう。

そこで頭の中で点Cを点Aに近づけてみると、点Rは点Aに近づくことが容易に判るでしょう。同様に、点Cが点Bに近づくとき、点Rは点Bに近づきます。

したがって、点Rの軌跡は、問題図にあるような線分ABの上側の点と点Aと点Bを通り、それは円弧上にありそうな雰囲気です。

そこで、もし点Rが円弧上にあるとすると、点A、B、Rは同一円周上にあることになり、∠ARBは弧ABの円周角になるので、点Rの位置によらず、∠ARBは一定になります。

反対に、∠ARBが一定の角度であれば、点Rは円周上にあることがわかり、その円周の長さまたは直径が判れば、点Rが動いた長さを求めることができそうです。

それでは、∠ARBが一定かを調べてみましょう。

図1は問題図に与えられた条件を書き加えたものです。


▲図1.与えられた条件を書き加えました

ここで、AP//CQから、平行線の錯角が等しいので、
∠PAQ=∠CQA
で、△ACQ≡△PCBから、
∠CQA=∠CBP
なので、
∠PAQ=∠CQA=∠CBP
です。

同様に、CP//BQと△ACQ≡△PCBから、
∠QBP=∠CPB=∠CAQ
です。

ここで、△RABに着目すると、
∠RAB=∠CAQ
∠RBA=∠CBP
なので、
∠RAB+∠RBA=∠CAQ+∠PAQ=60°
となり、三角形の内角の和が180°であることから、
∠ARB=180°-(∠RAB+∠RBA)
    =180°-60°=120°
と∠ARBが一定になることが判りました。

これで、点Rが点A、Bを両端とする円弧上にあることが判りました。

次に、その円の円周の長さか直径を求めれば、点Rの動いた長さを求めることができるのですが、これは次回に調べます。


興味のある人は調べてみてください。

“believe” と “receive” の綴り方

2015-07-20 12:20:16 | 英語の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

予定通り、昨夕滝山名店会のビアガーデンに行ってきました。暑い日だったので、冷たいビールは格別です。次回は8月2日なので、それを楽しみに頑張ります。


▲滝山名店会ビアガーデン



▲ビール


さて、中学校の夏休みの宿題で定番なのが、休み明けに行われるスペリング・コンテストの英単語暗記です。そのスペリング(spelling)で間違えやすいものの一つが、[i:]と発音する単語に “-ie-” と “-ei-” と綴る単語があることでしょう。(“-ei-” という綴りは普通[ei]と発音します)

中学で習う英単語では、 “-ie-” と綴る “believe” と “-ei-” と綴る “receive” が代表格です。

これは、[i:] と発音する前の文字が “c” か “c” でないかで決まっていて、イギリスなどの英語圏の子供たちは、 “i before e, except after c” (c の後のほかは i は e の前)と習うそうです。

これに類する単語を並べてみると、
【“c” の後ではない単語】
believe(信じる)、chief(チーフ)、field(野原)、grief(悲嘆)

【“c” の後の単語】
receive(受け取る)、ceiling(天井)、deceive(欺く)、receipt(領収書)、perceive(理解する)、 conceive(考えつく)
などがあります。

但し、これにも例外があって、 “seize”(つかむ)は、“s” の後ですが、“-ei-” と綴ることに注意してください。


暑い夏ですが、夏休み明けにスペリング・コンテストがある人は、早めに覚えてしまいましょう。

紙幣の肖像と明治の元勲

2015-07-19 10:35:55 | 社会の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

蒸し暑い日になりました。東久留米市の気温は36℃まで上がる予想で、これから益々暑くなるようです。夕方から滝山名店会のビアホールがあるので、それを楽しみに猛暑を乗り切りたいと思います。

小学生から中学生まで、特に男子には歴史好きが多いです。と言う私も歴史好きで、小学生の頃は定番の戦国時代が好きでした。

TVでも歴史番組が多く放送されていて、先日、西郷隆盛を取り上げた番組を飲みながら見ていたところ、ふと思ったのが、お札の肖像に薩摩出身者がいないということでした。

小学2、3年生の頃、流通していた紙幣で覚えているのが、100円札の板垣退助(お祭りのとき貰った)と500円札の岩倉具視(めったにお目にかからない)で1000円札以上については全く記憶にありません。

この2人はどちらも明治の元勲で、板垣退助は土佐出身、岩倉具視は公家出身です。

その後(多分中学生以降)、1000円札の伊藤博文は馴染み深く、今でも1000円札というと、夏目漱石より伊藤博文を思い出してしまうほどです。

この伊藤博文も明治の元勲で長州出身です。

このように、明治維新での倒幕運動の主体であった薩長土肥のうち、長州と土佐出身の元勲が紙幣の肖像になっているのに対して、薩摩、肥前(特に、薩摩)出身者がいないわけです。

当然、紙幣の肖像を決める際、藩閥によって決めているわけでなく、板垣退助は自由民権運動の推進、伊藤博文は初代内角総理大臣、などという功績で決められたのでしょう。

しかし、もし薩肥出身の元勲の肖像を使うとすれば誰が選ばれるかを想像してみるのも面白いものです。

すると、その有力候補は、薩摩の西郷隆盛、大久保利通、肥前の大隈重信あたりといったところでしょうが、西郷さんは人気はありそうですが西南戦争で負けていますし、大久保利通は西郷さんが下野した後、明治政府を一人で支えた大政治家ですが、前回、前々回の紙幣変更では、文化人(学者、作家)が選ばれているので政治家は不利かもしれません。

それに対して大隈重信は、1881年の明治十四年の政変で下野し、その後内閣総理大臣を2回務めた政治家ですが、一方、早稲田の創設者で教育者でもあります。(前々回、慶応の福沢諭吉が10000円札の肖像に選ばれているので、大隈重信を期待する早稲田出身者も多いのではないでしょうか)

また、日比谷公園で執り行われた国民葬(国葬ではありません)には30万人の一般市民が集まるほど人気があったそうです。

と言うことで、上記の3人のなかでは大隈重信が最有力候補と思うのですがどうなるか楽しみです。(紙幣の変更は約20年周期で実施されているので、次回は、2024年前後になりそうです)

「0」の言い方

2015-07-18 09:00:17 | 英語の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

今日から夏期講習が始まります。理解が足りない教科・単元の復習を中心として、特に中3の受験生については都立高校入試に対応する学力を身に付けることを目標に進めていきます。40日間の長丁場ですが、暑さに負けないで頑張っていきましょう。

先日、高1の塾生が、学校から出された夏休みの英語の宿題を持ってきました。それは、見開き2ページにいろいろな分野の記事を集めた小冊子で、例えば、テニスで活躍している錦織圭選手の記事などが載っています。

ところで、テニスでは、例えば、
“Nishikori won the first set six games to love.”(錦織選手は第1セットを6-0で勝った)
というように、「0」のことを “love” と言います。

これは、オックスフォード実例現代英語用法辞典によると、フランス語の「卵」の意味の “l’oeuf” から来た言葉で、その理由は数字の0が卵の形をしているからだそうです。

一方、サッカーなどの団体競技での0点は、イギリス英語では イギリス英語では “nil”、アメリカ英語では “zero” または “nothing” と言い、例えば、
“Scotland beat England three nil.”(スコットランド3対0でイングランドを破った)
などです。

一般的に数字の0は、イギリス英語では “nought”、アメリカ英語では “zero” と言うのが普通ですが、スポーツの得点では特有の言い方があるようです。

不平等条約改正と日本の近代化

2015-07-17 11:16:46 | 社会の話
こんにちは。東久留米市の学習塾塾長です。

随分ゆっくり進んでいる台風のおかげで、ときどき激しい雨が降ったりしています。午後から回復に向かうようですが、明日も激しい雨が降る可能性があるようです。日曜日は、滝山名店会の2回目のビアガーデンなのですが、良い天気で暑くなるようなので楽しみです。


▲滝山名店会のビアガーデン

明治初期の外交政策で、その中心課題の一つは、幕末に締結した不平等条約の改正でした。そのため、1871年(明治4)に岩倉使節団は、欧米を歴訪し、条約改正の予備交渉と欧米の国情視察にあたります。

その行路は驚くもので、1871年12月23日に横浜を出発し、
横浜→(太平洋)→
【アメリカ】 サンフランシスコ→ワシントン→ボストン→(大西洋)→

【ヨーロッパ】 ロンドン→エジンバラ→ロンドン→パリ→ヨーロッパの主要都市(ブリュッセル、ハーグ、ベルリン、ペテルブルグ、コペンハーゲン、ストックホルム、ローマ、ウィーン、ベルン)→ナポリ→(地中海、スエズ運河、紅海)→

【その他】 アデン→(アラビア海)→ゴール→(インド洋)→シンガポール→(南シナ海)→サイゴン→(東シナ海)→香港、上海、長崎→(瀬戸内海)→神戸→横浜
と各地を訪問し、1873年9月13日に横浜に帰ってきます。

残念ながら、条約改正交渉については、日本の法体系の未整備など近代的諸制度が確立されていなかったため、ほとんど相手にされませんでした。しかし、使節団が欧米諸国の充実した国力を目の当たりにしたことで、それ以降、日本の近代化を推進していくことになります。

そして、立憲政治の確立、産業の振興などの近代化を進めた結果、1894年に陸奥宗光外相のもとで、領事裁判制度の撤廃に成功し、1911年に小村寿太郎外相のもとで関税自主権の回復に成功します。

それらと重要な出来事を時系列的に整理すると、

1899年 大日本帝国憲法発布
  ↓
1890年 第1回帝国議会開催
  ↓
1894年 領事裁判制度の撤廃(発効は1899年)
  ↓
1894年 日清戦争
  ↓
1895年 下関条約
  ↓
1902年 日英同盟
  ↓
1904年 日露戦争
  ↓
1905年 ポーツマス条約
  ↓
1911年 関税自主権の回復(発効は1911年)
のようになります。年号はともかく、順番はしっかり頭にいれておきましょう。