生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

キスチョコ

2016-09-24 03:21:42 | 日々の暮らし
昨晩は部内会議後、飲み会に行って来ました。
久し振りでしたから
楽しかったです。

そうそう、施設を出る時、女性の主任からお礼のキスチョコを頂きました。


私がキスチョコ大好きなことは皆様もご存知だと思います。

これも嬉しかったです。

彼女から誕生日記念に

一筆書いて欲しいと

頼まれ、夜勤に書いて届けたお礼でした。

彼女は良いことがなく

、悪い事が続いて

落ち込んでいるようでした。


皆様にも経験あると思います。

普段は自信があるのに

、何をしても裏目裏目

に出てしまう事が。

それも受け入れなくてはいけません。

どこかに反省することがあると思います。


「私の人生は挫折の歴史である。

私はへまな失敗例を集めた書物が欲しい」

(発明家ワット)

「私は手先が器用でなくて良かった。

私の重要な発見はことごとく失敗がヒントになっているのだから」

(化学者ハンフリー・ディビー)

そんな事を考えながら

二作品書きました。


「一陽来復(いちようらいふく)」

辛い苦しい冬の後には

幸せ一杯の春がやって来ます。


「下載清風(かさいせいふう)」

背中の重荷を降ろして

軽やかに風に吹かれて

生きて行きましょう!


とコメント付けました。


言葉には魂があります。
言霊(ことだま)といいます。

その言葉を念じれば

そのようになるものです。

私は言霊伝道師と思っております。

逆境のあなたに
送ります。

今日の佳き日に


合掌
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日本人の微笑み

2016-09-23 02:28:13 | 日々の暮らし
以前は外国人から、

日本人はよく笑顔で接してくれるが、何で笑っているのか

心の内が分からない?

という意見を聞いたものです。

外国の映画には、メガネをかけ、

カメラをぶら下げて

ニコニコしている人物を登場させれば日本人。

そんなイメージをされていました。

終戦後や、東京オリンピックなどで沢山の見たこともない外国人が来日して来ました。


言葉が分からず、

敵意はない、安心してくださいとの意味を込めての

笑顔の接し方だと思います。
日本にやって来た外国人で怪談などの作家で有名な、

小泉八雲が素敵な言葉を残してくれましたので紹介します。

『日本人は死に直面しても、微笑することができる。

その微笑には挑戦もなければ偽善もない。

われわれ西洋人が抱く性格の弱さとか、

陰気なあきらめの微笑と混同すべきではない。

日本人の微笑は、長い歳月をかけて丹念につくりあげられた

礼儀、作法の一つなのである』

と述べています。


私はこれを見て思わず拍手した記憶がありました。

2度のオリンピックを迎えるにあたり

小泉八雲の言葉を噛み締め

外国の方に笑顔で

おもてなししたいと


思いました。


日頃の礼儀作法として

身に付けたいと

思います。

合掌



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仏法のいろは

2016-09-22 00:59:29 | 日々の暮らし
弘法大師空海は、いろは四十七文字で仏法をやさしい言葉で表現しています。

「色は匂(にほ)へど

散りぬるを

我か世誰(よたれ)そ

常(つね)ならむ

有為(うい)の奥山(おくやま)

今日越(けふこ)えて

浅(あさ)き夢見(ゆめみ)し

酔(え)ひもせす」

春には、白い豊かに咲きほこっていた花も、やがては散って行くように、
人間もまた、いつの間にか年をとって、ついには死ななければなりません。

人間ばかりでなく、すべての動物、植物も鉱物さえも、やがては滅びて行くのです。

この永遠で不滅の真理に気がつけば、

はかない生命を嘆いたり、浅ましい夢を見て物事にとらわれることはありません。

煩悩(ぼんのう)の迷いの酒に酔ったりすることもない。

という意味です。

これが人間界の星に生まれた修業なのてす。


今日生きることができる喜びに感謝したいと思います。

合掌
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聖フランチェスコの祈り

2016-09-21 04:31:26 | 日々の暮らし
3時過ぎです。
雨音が聞こえません。
台風が遠ざかったのでしょうか。

今日は忘れられない、若い聖僧(アバター)と老僧の会話を話したいと思います。

老僧が

「君が私に神がどこにいるかを示すことができれば、

このオレンジを一個あげよう」

若い聖僧は答えました。

「先生が私に、神がいないところを示すことができれば、

私はオレンジを二個差し上げましょう」

素晴らしい問答です。

この話のポイントは

キリスト教の教えでは

「神は至るところにいる」からです。

では、歴史に記録されているあらゆる祈りの中で、

最も有名で不朽の生命をもっていると言われる、
聖フランチェスコの祈りを紹介します。

私は聖フランチェスコが大好きです。

子供好きで恋人もいてあらゆる宗派の人にも好かれていました。
(良寛さんに似ています)

830年前にイタリアのフランシスコ修道院の創始者でもある彼の生き方に引かれて本も読みました。

『主よ、私はあなたの平和の使いとしてください。

私が、憎しみあるところには、愛を

争いあるところには、許しを

疑いあるところには、信仰を

絶望あるところには、希望を

闇あるところには、光を

そして、悲しみあるところには、喜びを

もたらすことができますように。

ああ、神聖なる主よ、

私が慰められるよりも、

むしろ慰めることを、

理解されるよりも、

むしろ理解することを、

愛されるよりも、

むしろ愛することを、

求めることができますように

お導きください。

というのは、私たちは

与えることによってこそ

自ら与えられ

許すことによってこそ

自ら許されるからです。

そして、死すことにおいてこそ、

私たちは、永遠の光の

中に生まれるのです』

(聖フランチェスコ)

なんと、素晴らしい言葉でしょう。

法華経の心と同じ

尊い言葉です。


私は思うのです。

神との交信には

「神の喜ぶことを

入れて祈ること」

絶対に忘れては

ならないと。

今日の気づきになれば


合掌




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時間よ止まれ!

2016-09-20 20:29:25 | 日々の暮らし
「私は自由な土地で、自由な人々とともに生きたい。

そういう瞬間に向かって私は止まれ、

お前はあまりにも

美しいと

呼びかけたい」

(ゲーテ・ファウストより)

花は散るから美しい。


美しい景色も

一瞬だから美しい。

生活で出合う

さまざまな場面も


一瞬のうちに

過ぎていく。

自由な仲間と

美しい瞬間を見に

行ける幸せ。


時間よ止まれ!


夜勤無事明けました。

ありがとうございました。

おやすみなさい。


皆様も

暴風雨には

お気をつけください。


合掌
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