84回目の8・15
8月15日は「終戦の日」とも「敗戦の日」とも呼ばれる。毎年考えるのだが、8・15の呼称は問題をはらんでいる。「終戦の日」では「戦争が終わった」というでけで、日本の軍国主義が破れたのを表現できない。「敗戦の日」では、いつか反撃するというニュアンスがある。
どちらにも違和感があるので、「ポツダム宣言を受け容れるのを公表した日」と個人的に呼ぶようになった。
この日はことに日本全国で、「戦争と平和」が語られる。そこで今年も「8・15を考える歌人のつどい」に参加した。講演とスピーチが三人。
・海老名香葉子(先代、林家三平の連れ合い)、市川八重子(「相聞」所属の歌人)、小石雅夫(「新日本歌人」所属の歌人)
海老名香葉子の話は東京大空襲の被災体験。家族をほとんど失った「自称戦災孤児」だが罹災証明がなかったので戦災孤児とは認められなかったそうだ。疎開先で東京の下町が全滅した焼け跡に一人で帰ってきた。ひもじい思いもした、心細い思いもした、ただ一人生きのこった次兄が焼け跡のテキヤから足を洗うように説得したともいう。
戦争の被害体験はまだまだ語りきされていないと実感した。
市川八重子の話。満州に渡り、終戦とともに関東軍がいち早く逃げていったあとにソ連の「収容所」に入れられた。酷い扱いだったそうだ。「ソ連兵」は兵力が足らずに、囚人を軍隊に編入した。荒くれものたちである。「性接待」をさせられた日本人女性、「教え子を日本に帰還させるために」中国人と結婚した日本人女性。戦争で一番被害を受けるの女性かもしれない。
小石雅夫の話。父親が大阪船舶の搭乗員だったが、魚雷攻撃を受けて撃沈された。骨壺には一枚の短冊ほどの紙切れしか入っていなかったそうだ。戦争で死ぬのは軍人や空襲だけではない。戦争に動員された専門技量を持った民間人も戦場の兵士と同じ危険にさらされる。
土建業者、医療従事者、大型車両の免許をもったトラックドライバー、バスの運転手、船員などもこれにはいるだろう。
戦後史をたどる短歌リーディングも行われた。戦後の「再軍備と軍国化」をたど内容だった。
10月の「憲法を考える歌人のつどい」が開かれる。これにも参加しようと思っている。