岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

地域のコミュニティーから民主主義を考える

2016年12月18日 23時47分18秒 | 政治経済論・メモ
僕は築30年の団地(400世帯の大規模マンション)に住んでいる。何より環境のいいのに惹かれた。自宅の窓からは里山が見える。見えるというより里山に囲まれて大規模団地があるように感じられる。街は大規模集合住宅と戸建てを含めて4000世帯ある。人口は約一万人。ここのうち400世帯が居住する管理組合の理事の順番がまわってきた。


 夏祭り、防災訓練、美化デー、などに積極的に参加するようになった。今まで参加をためらっていたのは理由がある。戦中の隣組の印象が強かったからだ。


 しかし実際に参加するとかなり印象が異なる。ものを一つ決めるのにも時間をかけて話し合う。見切り発車はしない。今日は美化デー、餅つき大会、管理組合の植栽管理委員会と目まぐるしかった。



 美化デー。住民が総出で清掃をする。時節柄落葉の処理が中心になる。落葉は堆肥になるが居住地空間にある量によっては生活や防犯の支障となる。落葉に隠れて様々な不燃ごみが落ちている場合もある。共同所有の施設の管理清掃もある。階段の班長だから自治会や管理組合との連絡もしなければいけない。これが地域住民の意思疎通の場ともなる。団地も地区30年になった。住民の高齢化も進んでいる。僕ぐらいの世代が出なければ回っていかないようになってきた。ここは話し合いの場でもある。地域の抱える問題が忌憚なく出される。スイスの直接民主主義で意見を吸い上げるのにも似ている。会議ではないからきわめて日本的と言えばそれに違いない。だが独特の意義がある。


 餅つき大会。これは壮観だった。文字通り性別、年齢、国籍に関係なく住民が参加する。外国人には餅つき大会は珍しいようだ。20年ほど前に餅つき大会の直後に英会話学校にいったことがある。アメリカ人の講師から様々聞かれた。今日の餅つき大会にはオーストラリア人の住民が参加していた。その人がお餅、豚汁、焼き芋を手に列に並ぶ、子供たちが臼の前に列をつくる、子供たちが列を作ると親たちがカメラのシャッターを切る。周りの大人たちが拍手をする。実に和やかでほほえましかった。普段はコンクリートの壁にさえぎられているものがなくなる。昔の住宅街では見知らぬ子供に大人が声をかけるのが当然だったがそれが再現されるかのようだ。


 管理組合の会議。植栽は樹木の管理を担当する。樹木は住環境の問題に関連する。だが木を伐採してほしいという意見と伐採しないでほしいという意見が交錯する。この仕事は樹木と人間の、共生のありかたを決めるだけでなく、住民同士の意思の統一をはかる場でもある。管理組合に管理を任せっきりにすれば業者に依頼することになり管理費が値上がりする。そういうことも住民全体に理解してもらわなければならない。


 昔、入会地というものがあった。村の住民なら誰でもはいれて、薪や落葉、キノコ、山菜が得られた。その代わり入会地の管理には利用する村人の暗黙の了解に基づくルールがあった。


 こういうコミュニティーは方向性によっては戦中の隣組ともなる。だが阪神大震災、東日本大震災のときのように地域の助け合いにもつながる。阪神大震災の時はこうしたコミュニティーの助け合いがあって、榊原の事件があるめで学校でのいじめが消えたとも聞く。


 こうしたコミュニティーを活かすも殺すも住民の意思と行動にかかっているような気がしてならない。



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