花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「インド旅行」(9)

2013年12月10日 | 海外旅行「南アジアⅠ」インド

≪「ベナレス」に別れを告げ、「コルカタ(カルカッタ)」へ≫

2日間に渡って人間の極限の生き様に触れ、少なからず衝撃を受けた後、午後はホテルを出発して「ベナレス空港」に戻り、17;30発の国内線航空機でかっての首都「コルカタ」に向かった。

インドの「国内線航空機」では、預けるスーツケースの重さは15kg以内で、もしも超過すると1kg単位で超過料金が発生する。そのため、日本から持ち込んだおかゆ2袋や洗面用具、雨具などをリュックに移して背負った。国内線に4回乗ったので、その間中スーツケースの重量を気にし、リュックに荷物を入れて背負った。

1時間45分の機内では、傍に小学校低学年らしき女児が家族と乗っていた。私はいつも折り紙を持参して行くのだが、その時もその子に「鶴」と「蝉」を折って渡した。言葉は通じないが、家族で喜んでくれたらしい。
降り際、母親からブレスレットを手渡された。驚いた。「気持ちだから受け取ったら?」というツアーグループの仲間の言葉で、あり難く頂くことにした。

たまたま以前オーストラリアに行った時に買ったピンブローチがあったので、それを子どもに着けて上げた。父親が住所と名前を聞いて来たが、それは遠慮した。
仲間の1人が、「折り紙の力って凄いね。」と言っていた。「折る」「たたむ」は日本の文化なので、これからも機会を見て折り紙を折って行きたいと思った。
なお、そのブレスレットは私の手首には細めだったので、帰りに添乗員さんに差し上げた。

「コルカタ」は翌朝、大半が車窓からの見学だった。
「コルカタ」の町は、逆三角形の形をしたインド亜大陸の北東の角に当たる町で、英語読みでは「カルカッタ」となる。
ここは西ベンガル州の州都で、人口は1411万人(2011年調査)。「ムンバイ」に続くインド第二の都市である。
1690年に商館「イギリス東インド会社」が設置され、1698年には「ウイリアム要塞」が築かれた。やがてイギリスは、フーグリー川東岸に並ぶ3村の徴税権を購入し、その後は力でベンガル地方の徴税権を獲得して、1858年にはイギリス領インドの首都と定めて支配した。
1912年に首都を「デリー」に移すまで、「コルカタ」はイギリスにとってインド植民地の拠点都市だったのである。

イギリスの支配時代に建てられた白亜のキリスト教寺院①「セントポール寺院」は下車して写真を撮ったが、②「ビクトリア記念堂」(インド皇帝を兼務したビクトリア女王を記念して1921年に建てられた。「タージ・マハール」に似せたデザインの建物で、今は博物館になっている)と「ウイリアム要塞」などは走るバスから見ただけなので、ほとんど記憶に残っていない。
途中で「マザー・テレサ」が働いていた教会があったが、バスは通り過ぎただけだった。

 ①

 ②

また「コルカタ空港」に戻り、10;15発の国内線航空機で今度は「バグドグラ空港」まで、1時間の飛行をした。ヒマラヤ山脈の麓の町、「ダージリン」に行くためだ。

コメント (4)
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