花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「インド旅行」(11)

2013年12月12日 | 海外旅行「南アジアⅠ」インド

≪「カンチェンジュンガ」の朝焼け≫

5日目朝は4時半に起きて5時半に懐中電灯とカメラを持ち、暖かい服装をして4WDのラウンドクルーザーに分乗した。目指すは標高2590mの「タイガーヒル」だ。
狭い急傾斜のでこぼこ道を上り、30分以上かかって「タイガーヒル展望台」に着いた。

そこの建物の3階に上がり(外と2階と3階では展望料金が異なるらしい。3階は外国人が多く、ミルクティーのサービスまであった)、大勢の観光客と一緒に標高8586m、世界で3番目に高いインドの最高峰「カンチェンジュンガ」の朝焼けを待った。

じっと待つこと30分程。右側の東の空が赤くなり始め、しばらくすると反対の西側に太陽に照らされて色合いを変える「カンチンジュンガ」が雄姿を現した。
古いデジカメで写真を何枚も撮ったが、果たして上手く写ったかどうか。夢のような感動の時間が流れていった。
このようにはっきりと姿を見られる日は、そんなに多くないらしい。
下を見ると「チベット仏教」の旗「タルチョ」が揚がっている場所に、大勢の観客がいた。

①6;27                             ②6;45
  
③7;02
 
④7;13
 

暫くすると「カンチンジュンガ」よりさらに西方、遥かに離れた場所に、かすかだが「エベレスト」(8848m)の頂が見え出した。
「エベレスト」は隣国ネパールの山だ。3年前にネパールに行った時、遊覧飛行でその上空近くまで行った事があるが、インドからも見られたことは嬉しかった。
「エベレスト」は、幾つもの山並みの遥か遠くに小さくしか見えないので、私のカメラで写すのは無理だろうと思ったが、とりあえず試しに撮って置いた。
帰りがけに別の展望場所にも寄った。

⑤7;15
 
⑥8;15
 

ホテルに戻り、朝食を食べたが、仲間達は感動覚めやらぬ様子でそれぞれ口々に「カンチェンジュンガ」をこの目で見た感想を語っていた。確かに今回は季節と天候に恵まれ、本当にラッキーだったのかも知れない。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「インド旅行」(10)

2013年12月12日 | 海外旅行「南アジアⅠ」インド

≪「コルカタ」空港から「バグドグラ」・そして「ダージリン」へ≫

4日目の朝、バスは「コルカタ」の市街を通り抜けて空港へ向かった。
そこから10;15発の小さな国内線航空機で、「ダージリン」の足元の「バグドグラ」空港を目指した。所用時間は1時間5分だ。
ヒマラヤ山脈とは反対側の座席だったので、何も見られなかった。機内ではビスケットと水、紅茶が出た。

「ダージリン」への玄関口、「バグドグラ」空港は、標高140mの高さにあった。そこから小型バスで、目指す「ダージリン」まで95kmを4時間かけて山道を走った。
低地の広い茶畑に植えてある茶は「アッサムティー」になるという。葉が大きいので、粉にして発酵させ、濃い色が出るのでミルクを加えて飲むと美味しい茶だ。

  

次第に狭く傾斜がきつい山道に入った。ピンキングカーブを越えて標高1200mの地点で休憩をした。
遠くに見えるヒマラヤの山並み、足元の急斜面にへばりつく様に広がる茶畑、山肌にはこの地方独特の向日葵が咲いていて一面に黄色いじゅうたんを敷いたように見える。
遠く見上げると、高地に村が見えた。あそこが目指す「ダージリン」かなと思った。

  

  

さらにがたがた道をバスは登って行った。山道を抜けると、山肌にへばりつくように家々が建つ町に着いた。標高1500mにある町「クルセオン」だった。
ここは線路幅が僅か610mmしかない小さな鉄道、世界遺産『トイ・トレイン』が走っている町だ。

  

『トイ・トレイン』はイギリス統治時代に彼らがこの地を避暑地にするため、1881年に開業した鉄道路線で、「クルセオン」の遥か下の町「ニュウジャルパイ町」から、終点「ダージリン」まで全長88km、標高差200mを時速15kmで約7時間30分掛けて走る鉄道だ。
2010年6月の山崩れで、まだその一部が運休中だった。
荒れた山岳高地の山肌に茶を栽培させ、紅茶を作らせることも、イギリスが思いついて指導したのだ。確かにこの近郊では、気温が高い低地よりも葉が小さく柔らかい茶が育つので、紅茶としても美味しい茶ができるようになったのだ。しかし急勾配の傾斜地では、年3回の摘み取り作業は大変だろうと思った。

運転手が休憩している間に私達もレストランで紅茶を飲むように言われたが、私は1人で周囲を散策する事にした。
直ぐ傍に小さな「キリスト教会」があった。庭にマリア像が佇んでいた。教会のドアには鍵が掛かっていた。

  

教会の周りで遊んでいる若者に「写真を撮っていいか。」と聞くと、全員が「OK」といってポーズを取ってくれた。お礼に持っていた金柑のど飴を1つずつ配った。年齢を聞くと18~26歳で、平日なのに群れて遊んでいるので「今日は仕事が休みなのか。」と聞くとそうだいう。何の仕事をしているかは聞かなかったが、身なりからして失業者には見えなかった。
バスが出る時も、坂の上から手を振って見送ってくれた。明るく人懐こい青年たちだった。

丁度学校が終わった時間らしく、大勢の子ども達が帰宅する様子に遭遇した。皆制服を着ていて、極普通の子ども達だった。

  

「クルセオン」から4つ目の町「ダージリン」に向かう途中で、バスから降りて荷物を持ち、4WDの車に分乗するよう言われた。さらに道が狭く、急だからだった。
やっと「ダージリン」のホテル(標高2200m位ある場所に建つ)に着いた頃には、夕闇が迫っていた。

ホテルは山小屋風の木造ホテルで部屋は広かったが、各部屋から「カンチンジュンガ」が見えると言われていたが、残念ながら1人参加の人に割り振られた部屋からは見えなかった。
室温が低く、浴室も上の欄間に冷風が吹き込んでいて、寒くて入れなかった。
夕食後、部屋に戻ると暖炉に薪が燃えていた。さらに布団に湯たんぽが入れてあった。それで何とか寝ることができた。

 

 




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする