限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第262回目)『リベラルアーツ修得阻害の大敵』

2021-07-11 20:33:45 | 日記
論語の有名な句に「故(ふる)きを温めて、新しきを知る、もって師たるべし」(「温故而知新、可以為師矣)というのがある。冷えたスープを温めて飲むという動作を使って、古い知識を再度見直すという観念的な学びの方法をビジュアルに表現した。この句によって、読む人が瞬時に意味するところを理解することができる。

中国の成句にはこのような切れ味のよい比喩を使った文章が数多くある。この手法の名手の一人が荘子だ。『荘子』みずから《寓言編》で「文章の 90%は寓言である」と認めている。私だけでなく、多くの荘子に惹かれる人にとっては、荘子の魅力は何といっても、自由闊達で、切れ味の鋭い警句が次々と繰り出される点にあるといえよう。ただ、ヘタに真似ると「虎を画いて成らず、かえって狗に類する」(画虎不成反類狗)のごとく、惨めな結果を招くことになるだろう。



そのような危険性を承知ではあるが、リベラルアーツ修得の際に表れる阻害要因を比喩を使って説明してみよう。

分厚いスキヤキ鍋でスキヤキをしたとしよう。鍋をコンロで炊くと、時間がたってもなかなか鍋が熱くならない。鍋が分厚い分、温まるまで時間がかかるのであるが、もし辛抱しきれなくなって、止めてしまうと鍋には生煮えのスキヤキしか残らない。蛇足ながら物理学で説明すると、分厚い鍋は熱容量が大きいので、温度上昇が遅いのである。

ところで、企業でリベラルアーツの研修をするときによく感じるのだが、企業は研修の成果が数ヶ月のような短期間に表れてくることを期待していることだ。それとともに、研修効果を数値で測定できることだ。つまり、「リベラルアーツ研修にこれだけの投資をしたのであるから、成果はこれこれ」という実績が欲しいのだ。人の育成をあたかも、1年草である穀物の栽培するかのような感覚で即席で計量可能な効果を求めているのだが、人の育成には時間がかかりその成果は計量化できないという事は、すでに 2500年近くまえ、斉の政治家・管仲の名前で伝わる『管子』《権修》に次のように書かれている。
一年の計、穀を樹(う)うるにしくはなし。十年の計、木を樹うるにしくはなし。終身の計、人を樹うるにしくはなし。(一年之計、莫如樹穀。十年之計、莫如樹木。終身之計、莫如樹人)

この最後の句を私なりにの解釈をすると「人材育成は数十年かかり、その成果は不確実だが、それでも人の育成から力を抜いてはいけない」という意味だ。
人の知的な面の成長にはもともと時間が掛かるものであるのだが、リベラルアーツの修得にはそれにもまして長い時間を必要とする。というのも、多くの知識や情報に触れる必要がある上に、知が智に変化するのは、あたかも新酒が芳醇な古酒に変化するように長い期間が必要だ。この観点から「リベラルアーツ修得阻害の大敵」とは実は短期間で成果をもとめる「あせり」であると言っていいだろう。
コメント
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